![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/109644278/rectangle_large_type_2_8dd876db85a1bfebf0568b88072b0929.jpeg?width=800)
「物知り」と「教養」の違い
column vol.1047
ジャーナリストの池上彰さんが『池上彰のこれからの小学生に必要な教養』という新著を出されましたが、この本を紹介する記事を読んで、これは大人にとっても身になる話だなと感じました。
〈東洋経済オンライン / 2023年6月20日〉
教養は、単なる物知りではない。クイズ番組で全問正解できたからといって、必ずしも教養があるということではないのです。
池上さんは知識だけを積み上げても教養にはならないと指摘しています。
ちなみに改めて教養の意味を辞書で調べると、このように説明されております。
(1)
教え育てること。
(2)
㋐学問、幅広い知識、精神の修養などを通して得られる創造的活力や心の豊かさ、物事に対する理解力。また、その手段としての学問・芸術・宗教などの精神活動。
㋑社会生活を営む上で必要な文化に関する広い知識。
池上さんは「幸せに生きるための知識の運用力」と表現しています。
例えば、豊富な知識を持っているけど、議論する相手を完膚なきまでに論破する人が「幸せである(なれる)」かどうかは微妙です…
こちらがどんなに正論であっても、相手に対して必ず議論の逃げ口をつくっておくことが大人の嗜みだと言われていますが、これがまさに教養ですね。
自分が幸せになるために知識を上手に使っていくということが改めて理解できたところで、では「幸せ」とは何なのでしょう?
「手間をかけて」知識を得る
幸せは人それぞれなので一概に定義できませんが、例えば「自分の夢(目標)を叶えること」だったり、「周りの人と楽しく付き合う(理想を言えば愛される)こと」だったりしますよね。
自分の夢もなかなか一人では叶えられないので、ここでは「周りの人と楽しく付き合うこと」を軸に話したい思います。
教養の第一歩は当然、運用すべき「知識」の獲得になるわけですが、単なる「物知り」か、「教養」につながるかは情報収集の仕方がカギを握ります。
池上さんは
これからの社会を生きる子どもたちは否応なくデジタル情報と関わっていきますから、動画やネットをやみくもに遠ざけるわけにはいかないでしょう。ただし、正しい情報は発信するのも手に入れるのも手間がかかるのだということは、伝えてほしいと思います。
と仰っております。
「正しい情報を手に入れるには手間がかかる」。
確かに世の中フェイクニュースが溢れているので、さまざまな情報源から検証していくことが大切ですね。
そしてもう少し踏み込んで考えると、仮に真実に出会えたとしても、それだけでは「周りの人と楽しく付き合うこと」という幸せを手に入れられるわけではないと思うのです。
他にも、「なぜ真実から目を背けてしまっている人たち」がいるのかを理解するための知識(情報)が必要になるでしょう。
人はそもそも自分の思い込みや願望を強化する情報ばかりに目が行き、そうではない情報を軽視してしまうという「確証バイアス」が無意識に働いてしまいます。
このことから、人間は真実であるかどうかよりも自分にとって都合が良いか否かということで「正しい情報」を定義したがる性質が分かります。
ポイントは、相手が真実を受け入れやすい状況をつくることです。
例えば、昔、昔、あるところに農民一揆をする人たちがいたとして、その人たちに「暴力はいけないよ」と正論を伝えたところで、物事は解決しないわけです。
一揆に駆り立てた悪政なり、作物が今より豊かに採れる土壌づくりなど、根本原因を解決しなければなりません。
自分と反対意見を持っている人に対して、調べ上げた真実を主張するだけではなく、相手の不都合に目を向けて気持ちに寄り添うための知識を獲得することが求められるのはそのためです。
そして、それこそが教養を身につけること(幸せになること)なのです😊
「知識の運用」の源は「深い考察」
獲得した知識を教養として運用していくためには
物事を深く考える姿勢が大切
であると池上さんは言及されています。
例えば、歴史の授業だったとして
○○戦争が起きたのは××年という知識から踏み込んで、「なぜ戦争が起きるのか「戦争をなくすための取り組みはどうなっているのか」
を考えることが大切であると仰っているのです。
先ほどの農民一揆も「暴力はいけないこと」という真実を手に入れた後に、深く考察することで「なぜ暴力を振るうのか」という「問い」が生まれます。
そうして問いに対する新しい知識を身につけていき、さらに考察織り混ぜ繰り返していくことで、より幸せに近づける教養が身に付いていく。
この話は、近年ビジネスパーソンに激推しされている「アート思考」にもつながります。
〈日本の人事部 / 2023年4月21日〉
アートとは、美術や音楽などに限りません。
広義には文学、哲学、宗教学、歴史学、言語学などの人文科学分野が含まれています。
つまり人間の知性や感性を磨くための学問分野です。
よく「デザイン思考」と混同されることが多いですが、こちらは課題解決が目的で、「顧客」を起点に考え、商品・サービスを開発します。
あくまでもアート思考は「自分」が起点であり、自分と向き合うことで創造力の向上を目指す。
つまり顧客の声を形にした掃除機は「デザイン思考」、普段料理する自分が “こんな機械があれば片付けがラクラク” と思って開発した食洗機は「アート思考」というわけです。
今は予測不能なVUCA時代。
デザイン思考だけでは答えが出ません。
ここで重要になるのが「問い立て」です。
例えば、小売の現場でも「お客さまのニーズが分からない」という声を聞きます。
そんな時は、「自分がお客さまだったら、競合と比較してどのように利用するか」を深く考察すると顧客の評価やニーズの糸口を見つけやすくなります。
つまり、良質な問い立てが非常に重要になるのです。
そして教養が「幸せに生きるための知識の運用力」だと言うならば、そもそも自分の中での幸せの定義が必要です。
なぜならば、向かうべき幸せが明確でなければ教養を発揮することが叶わないからです。
つまり、教養のある人というのは自分の幸せを定義できている人(しようとしている人)であることが前提になります。
そして「幸せになるために何をすべきか?」という最初の問い立てをし、必要な知識の獲得と深い考察を繰り返していく。
そうして幸せに近いていくわけですね。
教養がどんな時代においても人生を豊かにするものと言われる所以が理解できます😊
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?