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聖書と信

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聖書はひとを生かすもの、という思いこみだけで、お薦めします。信仰というと引かれそうですが、信頼などの信として、ひとや世界を大切にする思いが、少しでも重なったらステキだな、と思いつ…
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2021年3月の記事一覧

はたらく細胞

はたらく細胞

先日、第二シリーズが放映終了。これに合わせて新しく放映された「はたらく細胞BLACK」も第一シリーズが終了した。類似のものが夜中の1:30頃から続けて放送され続けていたというのが画期的である気がした。
 
人間の体内の細胞をそれぞれ擬人化して、体内で起きている反応や日常のはたらきを描くアニメーションであり、元は清水茜という1994年生まれの若い漫画家によるコミックスである。
 
これが実によくでき

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『イエス運動・マルコ・哲学』(三上真司・横浜市立大学新叢書・2020年)

『イエス運動・マルコ・哲学』(三上真司・横浜市立大学新叢書・2020年)

謎のタイトルである。だが、読み終わったらその意味が分かる。そして、率直に言うと、面白かった。わくわくした。
 
そもそもイエスを、ギリシア哲学と重ねていくという発想が無謀である。だが少なくとも、イエスの教えを受け継いで伝えていった人々は、哲学と無縁だとする理由はないとも言える。本書は、犬儒派とも呼ばれるキュニコス派の哲学者と比較するばかりでなく、事実影響があったことを想定するものであった。
 

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「ホサナ」と叫べない

「ホサナ」と叫べない

4週後に受難日と復活祭を迎える福岡のキリスト教会は、非常事態宣言解除の中で、集まることができる見通しを、いまのところ期待している。
 
復活節の一週間前の主日は、棕櫚(しゅろ)の主日と呼ばれる。新共同訳聖書では「なつめやしの枝」と訳しており、ヨハネによる福音書の記事に基づく。ただ、他の福音書でも、自分の服を地面に敷いたというような描写がなされており、民衆の歓迎の度合いが窺える。
 
イスラエル各地

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言葉の罠とその克服

言葉の罠とその克服

言葉にしてしまうこと。「分節」という語の理解を、そこに重ねてみる。「分節」は元来、言語を考察する上で、発音や意味を区切ることを意味する。しかし、心理的には、ありとあらゆる事象の中から、一部を切り取った形で捉えることと見てもよいだろう。抽象化することにも比せられるが、何を以て抽象とするかどうかに必然性が伴うのではなく、恣意的なものがあるとすれば、むしろ捨象することだと見たほうが適切であるように思われ

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