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ショートメッセージ

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聖書から日々黙想をしている中で、短いひとまとまりのメッセージを書き留めています。それをおすそわけします。ご面倒ですが、聖書箇所について聖書を開くか、検索してくださると、いっそう身… もっと読む
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#イスラエル

イザヤ書が閉じられる

イザヤ書が閉じられる

イザヤ66:18-23 
 
「私は来る」との預言を以て、大預言書イザヤ書が閉じられます。第三イザヤなどと呼ばれていますが、学説はどうでもよいのです。とにかくイザヤ書がこれで終わるのです。世界中の人々が集められます。神は、人間の行いと考えをご存じです。相応しい人々がそこに集められます。人々は神の栄光を見ます。神はそこにしるしを置くといいます。
 
誰の目にも、それは明らかになるのです。生き残った者

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人と神との織りなす歴史

人と神との織りなす歴史

詩編78:12-31 
 
「しかし、彼らは」神に背を向けました。そもそもイスラエルは、神に導かれ、恵みを受けて来たのです。ここには出エジプトの歴史から語られます。詩人は歴史を丁寧に辿り、如何に神が民を愛しく導いてきたかを描きますが、人々は神に逆らいます。神に背きます。つまり、それを「罪」と呼ぶのが、聖書の聖書らしいスタンスでありました。
 
「しかし、神は」がこれに応答されてきます。こういうふう

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従ってはならない羊飼い

従ってはならない羊飼い

エレミヤ23:1-4 
 
「私の牧場」と主が仰せになった。これは主のものだといいます。主の牧場の羊の向けを散らしてしまう者に、災いあれ。滅ぼすというのは殺すことというよりも、群を群でくしてしまうという意味にとりたいと思いました。そうすると、イスラエルの民が分裂したり捕囚とされたりすることを示せるようにも思えます。
 
エレミヤは、バビロン捕囚を知っています。だからその悲惨で困難だったことを指摘し

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神と人とをつなぐ

神と人とをつなぐ

ミカ7:18-20 
 
神の審きを告げ、終わりの日の到来を預言するミカですが、その眼差しは「救い」に向けられています。「わが救いの神を待つ」(7:7)というのが、ミカの信仰姿勢です。敵の口撃にも耐え、信仰の幻のうちにその敵の壊滅を見ています。エルサレムは復興し、平和が訪れる、イスラエルの民は神の民として主を礼拝することになる、と預言します。
 
なんとも希望たっぷりの預言書です。「あなたのような

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イスラエルの民の神となる

イスラエルの民の神となる

申命記4:32-40 
 
イスラエルよ、聞け。モーセの口を通して、改めてイスラエルの本筋となるべきことが告げられます。大いなる種が目を留めた国民もまた、大いなる国民となるのです。しかしそのためには、イスラエルは、主にこそ信を置かねばなりません。偶像は排さなければなりません。その罠に陥る歴史を先取りして警戒するかのように、記述は進みます。
 
ここは、イスラエルの歴史をかつて主がつくってきたことに

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イザヤが主の声になる

イザヤが主の声になる

イザヤ50:4-10 
 
イザヤは「私」として、ここに立っています。「我々は共に立とう」と呼びかけてもいますから、単に個人的な告白に終わっているものではありません。しかしまずはイザヤ個人の体験と自覚が大切です。「主なる神は、弟子としての舌を私に与えた」と、預言者としての使命を宣言します。それは「疲れた者を言葉で励ます」ためです。
 
イエス・キリストが、イザヤ書から多くをメシアとしての役割のため

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唯一のモーセの詩

唯一のモーセの詩

詩編90:1-7 
 
「神の人モーセの詩」。こんな言葉付せられているのは、この詩だけです。モーセの詩といえば、申命記33章に、イスラエルの各民族へ向けた祝福の言葉が思い起こされます。今回は、まず「祈り」と書かれています。モーセが神へ向けて発した言葉なのです。「わが主よ」から詩は始まり、永遠の神であり、イスラエルの住まいはここにしかないとします。
 
主の業により世界は造られ、いまのように置かれま

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主はただ中におられる

主はただ中におられる

ゼファニヤ3:14-20 
 
なんとも厳しい裁きの言葉を、ここまで連ねてきた預言者。ゼファニヤ書は小さな書に過ぎませんが、謎が多く、いろいろな解釈を呼んでいます。ヨシヤ王の時代から後のものなのでしょうが、ヨシヤの宗教改革をも後押しするか、牽引するかしたとも見られ得ます。いっそ捕囚の後の視点から記された、と考える学者もいるのだそうです。
 
その締め括りを、今日は開きました。激しい裁きの言葉が並ん

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主を証しする者

主を証しする者

イザヤ44:6-8 
 
イスラエルへ向けて神が告げます。それをイザヤが代弁します。熱心に、強く畳みかけます。祝福の言葉は、多くの困難を超えてきた民への報いなのでしょうか。そのためには、主なる神のアイデンティティをはっきり示しておかなくてはならないでしょう。主は「イスラエルの王」です。イスラエルのトップに君臨するお方です。
 
それは、イスラエルを支配する、ということでしょう。イスラエルを守る、と

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あなたを贖い、あなたと共にいる

あなたを贖い、あなたと共にいる

イザヤ43:1-7 
 
「恐れるな。私があなたを贖った。」イスラエルを創造した主が、直接呼びかけます。イスラエルの名を呼ぶのです。全能者が呼ぶのです。人もまた呼びます。愛していた猫の眠る土に手を当て、悲痛な声で猫の名を呼ぶ人がいます。幾度も呼びます。その声は、ある意味では無力ですが、届くものと信じます。これが神であれば、なおさらでしょう。
 
必ず共にいる。その言葉が無意味に放たれているはずがあ

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ザカリアの賛歌に注目

ザカリアの賛歌に注目

ルカ1:67-79 
 
ヨハネが産まれ、口が利けるようになった父ザカリアの賛歌が掲げられます。これで、イエス誕生の前段階の場面が幕を閉じます。マリアの賛歌が敵を蹴散らす力ある主を歌っているのに対して、ザカリアの言葉は、むしろ柔かです。イスラエルを憎むから自分たちは救われること、主によって救われることが歌われます。
 
ヨハネへの豊かな祝福の言葉が並び、「主の民に罪の赦しによる救いを知らせる」とい

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イスラエルに始まる救いの物語

イスラエルに始まる救いの物語

ルカ1:46-56 
 
ルカの告げるストーリーは、実際その通りの会話があったことを記録したとは言い難いでしょう。ルカの構成するキリストの物語のために脚色した、とするべきだと思われます。それでいて、そこに含まれた歴史的真実・信仰的主題は、決してたんなる空想物ではない、と見てよいのではないでしょうか。ここには意義ある物語があります。
 
マリアの賛歌は、美しい信仰の告白にもなっています。突如訪れた運

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再建が始まりだった

再建が始まりだった

ネヘミヤ9:4-8 
 
バビロン捕囚から具体的にどのように帰還し、町を再建したのか、不明な点が多いのですが、ネヘミヤやエズラといった指導者の下、ここに神殿が再びその姿を現すに至りました。かつての規模には程遠かったようですが、感無量だったことでしょう。律法の書が読み上げられます。イスラエルの人々の、魂の言葉です。心の拠り所です。
 
支えるものであり、シンボルです。それはまた、神殿という形によって

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屈しない信仰

屈しない信仰

申命記7:6-8 
 
カナンの地には、数が多くて力の強い七つの国民がいました。申命記の主は、彼らとの共存を図ることはありませんでした。必ず滅ぼし尽くさなくてはならない、としたのです。イスラエルは、彼らと比べれば弱小な民族にすぎません。だから、亡ぶのだ、という理屈ではありません。強い国々の神々に仕えるようになることが、最大の懸念なのでした。
 
そのため、他の神々の信仰の像や礼拝所を滅することが要

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