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たかぱん
2024年10月7日 12:38
民数記14:1-19 部族毎に一人ずつ、指導者を出します。カナンの地を偵察させるのです。ぶどうの房の付いた板を切り取り、担いで戻りました。しかし、ヨシュアとカレブの他の面々は、敵は巨人だと噂を広めました。これに、イスラエルの民は怯えます。民は、モーセとアロンに不平を言いました。エジプトで死ぬ方がましだった、さあ帰ろう、と。 群衆の声が響き渡る中、モーセとアロンは会衆の前にひれ伏します。そ
2024年7月15日 10:19
詩編68:33-36 詩の一部だけを拾うと、趣旨を取り違える危険があるでしょう。だが、その入口から開かれる世界を知る契機となるかもしれません。ダビデの賛歌は、神の偉大さ、壮大さを称える、スケールの大きい詩です。その末尾で、すべての業の称賛をまとめるところを見ます。要するに、これが言いたかったのです。神はこのように大いなることをなす方です。 「だから」と考えましょう。地上の国々はすべて、こ
2024年7月13日 10:54
詩編8:2-10 「人とは何者なのか」と詩人は問います。否、問うている、というわけではありません。これは驚きでしょう。主が心に留め、顧みるとはどういうことか、と驚いているのです。つまり、そんな価値などないはずなのに、どうして特別に計らってくれるのか、不思議なのです。人間が他の被造物と本質的に、立場的に変わらないという前提に基づいています。 神は天を造り、月や星を置きました。地上には動物が
2024年5月8日 11:17
イザヤ66:18-23 「私は来る」との預言を以て、大預言書イザヤ書が閉じられます。第三イザヤなどと呼ばれていますが、学説はどうでもよいのです。とにかくイザヤ書がこれで終わるのです。世界中の人々が集められます。神は、人間の行いと考えをご存じです。相応しい人々がそこに集められます。人々は神の栄光を見ます。神はそこにしるしを置くといいます。 誰の目にも、それは明らかになるのです。生き残った者
2024年4月26日 12:20
詩編78:12-31 「しかし、彼らは」神に背を向けました。そもそもイスラエルは、神に導かれ、恵みを受けて来たのです。ここには出エジプトの歴史から語られます。詩人は歴史を丁寧に辿り、如何に神が民を愛しく導いてきたかを描きますが、人々は神に逆らいます。神に背きます。つまり、それを「罪」と呼ぶのが、聖書の聖書らしいスタンスでありました。 「しかし、神は」がこれに応答されてきます。こういうふう
2024年4月18日 12:30
エレミヤ23:1-4 「私の牧場」と主が仰せになった。これは主のものだといいます。主の牧場の羊の向けを散らしてしまう者に、災いあれ。滅ぼすというのは殺すことというよりも、群を群でくしてしまうという意味にとりたいと思いました。そうすると、イスラエルの民が分裂したり捕囚とされたりすることを示せるようにも思えます。 エレミヤは、バビロン捕囚を知っています。だからその悲惨で困難だったことを指摘し
2024年3月11日 12:23
ミカ7:18-20 神の審きを告げ、終わりの日の到来を預言するミカですが、その眼差しは「救い」に向けられています。「わが救いの神を待つ」(7:7)というのが、ミカの信仰姿勢です。敵の口撃にも耐え、信仰の幻のうちにその敵の壊滅を見ています。エルサレムは復興し、平和が訪れる、イスラエルの民は神の民として主を礼拝することになる、と預言します。 なんとも希望たっぷりの預言書です。「あなたのような
2024年3月1日 11:25
申命記4:32-40 イスラエルよ、聞け。モーセの口を通して、改めてイスラエルの本筋となるべきことが告げられます。大いなる種が目を留めた国民もまた、大いなる国民となるのです。しかしそのためには、イスラエルは、主にこそ信を置かねばなりません。偶像は排さなければなりません。その罠に陥る歴史を先取りして警戒するかのように、記述は進みます。 ここは、イスラエルの歴史をかつて主がつくってきたことに
2024年1月29日 11:31
イザヤ50:4-10 イザヤは「私」として、ここに立っています。「我々は共に立とう」と呼びかけてもいますから、単に個人的な告白に終わっているものではありません。しかしまずはイザヤ個人の体験と自覚が大切です。「主なる神は、弟子としての舌を私に与えた」と、預言者としての使命を宣言します。それは「疲れた者を言葉で励ます」ためです。 イエス・キリストが、イザヤ書から多くをメシアとしての役割のため
2024年1月27日 09:58
詩編90:1-7 「神の人モーセの詩」。こんな言葉付せられているのは、この詩だけです。モーセの詩といえば、申命記33章に、イスラエルの各民族へ向けた祝福の言葉が思い起こされます。今回は、まず「祈り」と書かれています。モーセが神へ向けて発した言葉なのです。「わが主よ」から詩は始まり、永遠の神であり、イスラエルの住まいはここにしかないとします。 主の業により世界は造られ、いまのように置かれま
2024年1月19日 11:41
ゼファニヤ3:14-20 なんとも厳しい裁きの言葉を、ここまで連ねてきた預言者。ゼファニヤ書は小さな書に過ぎませんが、謎が多く、いろいろな解釈を呼んでいます。ヨシヤ王の時代から後のものなのでしょうが、ヨシヤの宗教改革をも後押しするか、牽引するかしたとも見られ得ます。いっそ捕囚の後の視点から記された、と考える学者もいるのだそうです。 その締め括りを、今日は開きました。激しい裁きの言葉が並ん
2024年1月11日 11:13
イザヤ44:6-8 イスラエルへ向けて神が告げます。それをイザヤが代弁します。熱心に、強く畳みかけます。祝福の言葉は、多くの困難を超えてきた民への報いなのでしょうか。そのためには、主なる神のアイデンティティをはっきり示しておかなくてはならないでしょう。主は「イスラエルの王」です。イスラエルのトップに君臨するお方です。 それは、イスラエルを支配する、ということでしょう。イスラエルを守る、と
2024年1月3日 11:21
イザヤ43:1-7 「恐れるな。私があなたを贖った。」イスラエルを創造した主が、直接呼びかけます。イスラエルの名を呼ぶのです。全能者が呼ぶのです。人もまた呼びます。愛していた猫の眠る土に手を当て、悲痛な声で猫の名を呼ぶ人がいます。幾度も呼びます。その声は、ある意味では無力ですが、届くものと信じます。これが神であれば、なおさらでしょう。 必ず共にいる。その言葉が無意味に放たれているはずがあ
2023年12月22日 12:44
ルカ1:67-79 ヨハネが産まれ、口が利けるようになった父ザカリアの賛歌が掲げられます。これで、イエス誕生の前段階の場面が幕を閉じます。マリアの賛歌が敵を蹴散らす力ある主を歌っているのに対して、ザカリアの言葉は、むしろ柔かです。イスラエルを憎むから自分たちは救われること、主によって救われることが歌われます。 ヨハネへの豊かな祝福の言葉が並び、「主の民に罪の赦しによる救いを知らせる」とい