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哲学のかけら

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哲学も少しはかじっています。なにもそんなこと考えなくてもいいんじゃない、と言われるところも、でもさ、と考えてみる、それが哲学。独断と懐疑に終わらずに常に自分の至らなさを認めるあた…
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2021年4月の記事一覧

4月27日は「哲学の日」なのだそうだ

4月27日は「哲学の日」なのだそうだ

ソクラテスが魂の不死を論じて毒ニンジンを呷って刑に服した日とするのだそうだが、根拠は分からない。ソクラテスの裁判から死刑が確定したが、アテナイ人の祭りの期間にさしかかり、その間は死刑は執行できないということで、クセノポンの言及によりそれが30日間伸ばされたらしいという辺りから、誰かが計算したのかもしれない。
 
また、ソクラテスの妻クサンティッペが悪妻とされることから「悪妻の日」ともされるそうだが

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メディアとしてのマスク

メディアとしてのマスク

コロナ禍の中で、マスクはメディアである。
 
ある精神医療関係の文章の中で、おっ、と思い、またその説明に、まことに共感したものである。というのは、ふだん私が考えてそう捉えている、そのものだったからである。
 
メディア。mediaという言葉により、私たちは、情報伝達手段、とくにマスコミを思い浮かべる。それはmediumの複数形である(だから英語で用いるときにはこれは複数形扱いをするべきなのだという

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もはや逆説ではない

もはや逆説ではない

「逆説」あるいは「パラドックス」にはタイプがある。
 
論理的に撞着してしまうものが有名だ。「私は嘘をついている」という言明は真か偽か。真ならばその言明自体が嘘だということになり、偽ならば嘘をついていることは真実となってしまい、いずれにしても辻褄が合わなくなる。「ここに張り紙をするな」という張り紙があった場合にどう考えるか、というのも面白い話題である。「二項対立で考えるのは間違っている」という発言

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ひとを悪く思ってはいけないのか

ひとを悪く思ってはいけないのか

論理正しくあればよいのだ。そういう感じで押し切ってくる人がいる。職場の上司であると、これはもう逆らえない。こうだからこうするはず。何故できないのか。何故そんなことを言ったり訊いたりするのか。
 
しかし、そこで繰り出される論理は、しばしば別の場面とは食い違うことがある。ある時にはAだから、と理由を付け、ある時にはAではないから、と理由を付ける。要するにその時々に、自分が言うことが正しいのであって、

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