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たかぱん
2024年5月31日 12:14
教会ばかりではない。教会学校も、存続が危ぶまれている。もちろん、すべての教会で、とは言わない。だが、大勢はそうだと言って差し支えあるまい。中には、子どもたちがもう来ないのが当たり前というスタイルで日曜日を過ごす教会もあるし、もう子どもたちのためのプログラムを組めず、ちょっと子ども向けの話をした態度で、あとは遊んでおきなさい、というようなところもある。少子化だから仕方がない、という声も聞かれる。
2024年5月27日 09:28
説教塾ブックレット。21世紀になってから、「説教塾紀要」の一部を一般に広く知ってもらうために、というような形で発行されたシリーズがある。その第11弾として、2012年に『まことの説教を求めて』が発行された。副題に「加藤常昭の説教論」と付いており、著者は藤原導夫牧師である。説教塾の一員であり、要でもある。 今回は、その書評のようなことをするつもりはない。ただ、そのごく一部から励まされた点を証しし
2024年5月25日 11:00
「伊集院光の100年ラヂオ」をお聴きの方も多いだろう。 ラジオ放送が1925年に開始したことは、歴史を学んだ中学生なら皆知っている。それが大きく世界を変えたことの意義までは学ばないが、この年は三つの出来事によってかたどられ、記憶されることになっている。そして来年がそこから百年の節目である。 それで2023年4月から、NHKに残る音源を発掘して紹介し、ラジオ放送について振り返るという企画が始
2024年5月19日 10:21
牧師自身の心は、誰が世話をするのだろうか。 プロテスタント教会では、牧師という。礼拝説教を担う。教会員の魂の配慮を司る。教会を訪ねる人を迎える。中には、心を病んだ人も来る。そもそも自分の罪に気づいたからこそ、聖書や教会を求める、というのが筋だ。心の悩みをもつのは当然かもしれないし、実際精神疾患を患っている人も来るだろう。 だから牧師は、カウンセリングも学ぶらしい。「牧会心理学」などの名前で
2024年5月13日 10:57
たしかに、「説教」という語を聞くと、日本人なら普通十人が十人、叱られる情景を頭に浮かべ、「お説教」を思い描くだろう。しかも、あまりまともに聞くべきものではない、というニュアンスがそこには漂うことと思う。 キリスト教会で「説教」があるよ、などと告げると、その瞬間に伝道が終わってしまうかもしれない。信徒にとっては、大切な「説教」。あるいは教団によっては、「宣教」の方を好む場合もある。「説教」は教え
2024年5月9日 11:50
教会もまた、ひとつの組織である。だが、新約聖書で「教会」と訳されている語は、私たちがイメージするものとはだいぶ違うように思われる。 もちろん、建物のことではない。これは教会の説教でもあり、鉄板の説明である。また、「共同体」であるとか、「信じる人々」のことであるとか、いろいろ注釈が加えられるのも、よくあることである。「呼び集められたもの」という、語源的な説明も、常識的である。そうして「一つ」にな