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ACの頭の中

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日常の中で考えたことから、自分の価値観や捉え方、認知の歪みを整理してみる。
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#自己肯定感

「頑張ったね」が受け取れない-ACの自己肯定感-

「頑張ったね」が受け取れない-ACの自己肯定感-

うつ病になってから。
医者やカウンセラーから度々「頑張ってるね」と言われる。

そう言われて、ピンと来ない自分がいる。

そもそも、私は褒め言葉を受けとる・感じることに難がある。
褒められても実感が湧かない。

1番近い感覚を書くと

「何言ってるんだろう…」
もしくは
「そうなんですね」

…おかしくないか?なんだ、この感想は。
自分に向けられた言葉として、全く受け止められていない。

投げられ

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自分の名前、好きですか?

自分の名前、好きですか?

実のところ、自分の名前は好きじゃない。
苗字はまぁまぁ好きだ。少し珍しいので自己紹介でも掴みにし易いし、基本的に人からは苗字で呼んでもらえる。

好きじゃないのは下の名前、ファーストネームの方だ。
キラキラネームのように、派手やか過ぎて嫌だ…というわけでもなく、それなりによく聞く普通の名前である。

しかし、苗字で呼ばれることが常な私にとっては、ファーストネームは親が付けた、親しか呼ばない、私の固

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どこにも行きたくないし、どこにも居たくない

どこにも行きたくないし、どこにも居たくない

昔話をしよう。

かつて、1年ほどドイツに留学していたことがある。学校の留学制度の網目をくぐり抜け、ゆるい審査で行ける、まぁお気楽な語学留学だった。

ちなみに、今はもうドイツ語は話せない。
当時はかなり熱心に勉強したが、満足してしまい、それ以降は別の勉強で忙しくなり、すっかり忘れてしまった。

留学したいと思った理由はいろいろある。
リスクが少ないうちに海外に長期滞在してみたいとか、本格的に外国

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「頼られると嬉しい」が分からない

「頼られると嬉しい」が分からない

人は、頼られると嬉しいらしい。これが分からない。

思うに、昔から自分の意思や気持ちとは無関係に役割を押しつけられ、辛い思いをする経験が多かったことが理由ではないかと思う。

◇「頼られると嬉しい」という一般論が分からない

家庭内でいえば、私は、母から自分を支えろ理解しろ優しくしろと”頼られて”いたのだろうし、結果自立してしっかりするようになった。

そのせいか、「しっかりしているから」と学校生

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無になる過去、子供時代

無になる過去、子供時代

グループワークの話のつかみで「子供の頃、思い入れのあるものはなんですか」と聞かれた。周りの参加者は「遠足」「グローブ」「かっこいい文房具」などと各々答えていた。
子供の頃、好きだったものはあるだろう。
でもそれを思い出しても、私の心には虚無が広がるだけだ。

子供の頃、家族でたびたび遊園地に出かけていた。でも、それを今「良い家族の思い出だね」「遊園地楽しかった?」と言われたら、何もわからなくなる。

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「娯楽」というモルヒネを打ちながら

「娯楽」というモルヒネを打ちながら

今や、趣味はとても重視されているように思う。プライベートの充実とか、推し活とか。
「楽しいことがあるのだから、人生には生きる価値がある(死ぬなんて間違っている)」が正論だ。

それでも、思う。
娯楽は人生の目的や生き甲斐ではなく、生きる痛みを麻痺させるモルヒネではないのか、と。

◇「娯楽」というモルヒネ

「Cry of Fear」というホラーゲームがある。交通事故に遭った主人公が悪夢のような街

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私は写真に写るのが嫌い

私は写真に写るのが嫌い

私は写真に写るのが嫌いだ。旅行に行っても自分と観光名所を一緒には撮らないし、友達と遊びに行ってもできる限り写真を撮られたくない。(気心知れた相手なら、写真は好きじゃないと断る)

自撮りが普及し、人と会った記念に写真を撮る人も多い中、人と関わるのに不便な好き嫌いだと思う。
それというのも、嫌いなのはスナップ写真であり、証明写真などは平気なのだ。証明写真は良くも悪くもキッチリ型にはめて撮っており、自

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