ボンユキ

カンボジアに住んで26年。私がこの国に魅せられたこと、感じたこと、徒然につづっています。

ボンユキ

カンボジアに住んで26年。私がこの国に魅せられたこと、感じたこと、徒然につづっています。

最近の記事

カンボジアを生きる わたしたち ~カンボジアで出逢ったステキな女たち、男たち、そしてわたし~ 77.貧乏な学生

 2年生が終わって選挙のあった夏休みになる前、クラスの男の子が私に本を貸してほしいといってきた。それは、わたしが「つもり貯金」をしてようやく作った15ドルで買った言語学の本だった。  ソンバットという男の子。  「ボンユキ、その本、夏休みの間読むの?」  「うーん。たぶん読まないと思うけど、どうして?」  「それなら、夏休みの間、僕に貸してくれない?」  私は迷った。これを貸してしまったら、返してもらえるのだろうか。そんな不安がよぎった。クラスでは、本を買う人は少なく、教

    • カンボジアを生きる わたしたち ~カンボジアで出逢ったステキな女たち、男たち、そしてわたし~ 77.再びアピン

       そんな混乱の中、協力隊の時にホームステイをしたお家の女の子・アピンから電話があった。  「ユキー。どこにいるの?元気なの?いま何しているの?」  彼女は不安そうな声だった。  「アピン?元気よ。ピンは元気なの?どうしたの?」  「もうこんな国いや」  「どうしたの?何かあったの?」  愚問だった。  こんな状況の国に希望が持てないだけだ。ピンはこういった。  「ユキエはこんな国にいないほうがいいわよ。日本に帰れるなら帰ってちょうだい」  私はびっくりした。そし

      • カンボジアを生きる わたしたち ~カンボジアで出逢ったステキな女たち、男たち、そしてわたし~ 76.学生のデモ

         選挙が終わり、混乱が続いた。選挙が不当だったといって、野党やその他の勢力がデモを起こし、そこに学生が参加していた。大混乱の中で、また大学が始まらなかった。先生に聞いてもいつ新学期が始まるかわからない。私も外に出るのも怖くて、毎日新聞記事を翻訳して、町の様子に思いをはせた。このデモの中にはうちのクラスの子たちはいるのだろうか・・・。  ある日、クラスの友達から電話が来た。  「あんたはデモに参加しているの?」  「いや、していないよ。大丈夫だよ」  安心したが、もしかした

        • カンボジアを生きる わたしたち ~カンボジアで出逢ったステキな女たち、男たち、そしてわたし~ 75.広がる世界

           1階を事務所スペースにして、FAXやPCを置いて、当時パートナーとして集金や配信、営業の部分を担当してくれた人と一緒の共同事務所を開いた。大学と翻訳の仕事、それに集金や営業活動をする毎日。女子大生のサイドビジネスは順調だった。  私自身も日本人社会に顔と名前が知られるようになり、日本人会のイベントなどにも積極的に出られるようになった。まさに、生活に「余裕」が生まれていったのだ。  大学からは遠くなってしまったので、自転車通学は限界があり、バイクに乗ることを決意。しばらく

        カンボジアを生きる わたしたち ~カンボジアで出逢ったステキな女たち、男たち、そしてわたし~ 77.貧乏な学生

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          カンボジアを生きる わたしたち ~カンボジアで出逢ったステキな女たち、男たち、そしてわたし~ 74.初めての事務所

           商工会会長でもある大林組の所長さんにも相談させていただき、外国人が多く住み治安も比較的よいボンケンコン地区に引っ越すことにした。310番通りの2階建ての小さな一軒家。屋上があって、2階へは別階段でのぼる。  当時は、不動産業者を介さず大家さんと直接交渉をしながら家を決めていくのが主流だった。大家さんも世の中が不穏なので、できるだけまとまったお金を手に入れたいと思っていたのだと思う。値段交渉の条件として、「1年分前払いをすれば500ドルまで下げる」という話になった。しかし、

          カンボジアを生きる わたしたち ~カンボジアで出逢ったステキな女たち、男たち、そしてわたし~ 74.初めての事務所

          カンボジアを生きる わたしたち ~カンボジアで出逢ったステキな女たち、男たち、そしてわたし~ 73.引っ越し

           「100ドル営業」をするうちに、それまでほとんど日本人とかかわっておらず、ひっそりと暮らしていた私の存在が、日本人界隈に広がった。  「なんだかおかしな日本人の女の子が、毎日自転車に乗って大学に通っていて、ろくにご飯も食べずにがりがり痩せてかわいそう。ここはひとつ、みんなで山崎を応援してやろうじゃないか」…という話だったのかどうかは分からないけど、以来商工会のおじ様方からお食事に誘われたり、カラオケに行ったりと、かわいがっていただくようになった。  もちろん、日中は学業

          カンボジアを生きる わたしたち ~カンボジアで出逢ったステキな女たち、男たち、そしてわたし~ 73.引っ越し

          カンボジアを生きる わたしたち ~カンボジアで出逢ったステキな女たち、男たち、そしてわたし~ 72.1か月100ドルのオンナ

           三菱商事の所長さんの紹介で、商工会企業にご挨拶がてら、この「新聞ビジネス」のご紹介をさせていただいた。  当時のカンボジア日本人商工会はちょっとした「集まり」程度の活動しかなく、ゴルフやマージャン、飲み会などをしながら情報交換をする状態だったそうだが、ちょうどこのころ、きちんとした商工会組織を作る動きが起きていた。当時の大林建設の所長さんが音頭を取っており、そちらにご挨拶に行って新聞の売り込みをした。快く購読をしてくださることが決定し、さらに所長さんからこんな声がかかった

          カンボジアを生きる わたしたち ~カンボジアで出逢ったステキな女たち、男たち、そしてわたし~ 72.1か月100ドルのオンナ

          カンボジアを生きる わたしたち ~カンボジアで出逢ったステキな女たち、男たち、そしてわたし~ 71.ポル・ポトの死から始まったビジネス

           1998年4月。センセーショナルな事件が起きた。1975年~79年にカンボジアを虐殺の時代へと陥れたポル・ポトが亡くなったのだ。その前から、住民裁判が行われるなど、ポル・ポトやポル・ポト派残党の動きが報道されるようになっていたその矢先だった。  あまりにも歴史的なその出来事に感化されて、私はもっとカンボジアの「時事」を知りたいと思い、以来毎日新聞を読むようになった。  そんなある日、友達が「ある商社の人がバイトができる人を探しているんだけど、幸恵ちゃんやらない?」と連絡

          カンボジアを生きる わたしたち ~カンボジアで出逢ったステキな女たち、男たち、そしてわたし~ 71.ポル・ポトの死から始まったビジネス

          カンボジアを生きる わたしたち ~カンボジアで出逢ったステキな女たち、男たち、そしてわたし~ 70.火炎樹

           蛍の光と並んで、私の学生時代の思い出深い景色に「火炎樹」の並木がある。  ソヴィエト通りの両脇に並ぶ火炎樹。私やサビー、レスマイなどの「自転車通学組」は、まだ車やバイクの数も少なかった当時、横に並んで自転車でその通りを往復した。  暑い時期に咲く花。大きな街路樹に真っ赤な花を咲かせる。青い空と緑の葉と真っ赤な花のコントラストが広がる。  クメール語ではプカー・クガォック(孔雀の花)。のんびり、のんびり、自転車をこぎながら、彼女たちといろいろな会話をしながら通学していたと

          カンボジアを生きる わたしたち ~カンボジアで出逢ったステキな女たち、男たち、そしてわたし~ 70.火炎樹

          カンボジアを生きる わたしたち ~カンボジアで出逢ったステキな女たち、男たち、そしてわたし~ 69.蛍の光

           2年も終わりに近づくと、クラスの中の何人かがアルバイトを始めていた。私のグループのサビーとシノダーもNGOなどのインターンや地方リサーチのバイトを見つけ、積極的に外に出るようになった。私はもっぱらレスマイと一緒にいることが多くなり、彼女といろいろなことを話した。彼女は文学賞のコンテストに、詩や小説を出品する文学少女だった。ある日、「後悔」という題名の小説を出したのだと話してくれた。その年は受からなかったが、彼女が何か思いを秘めた子なのだということがわかった。もうすぐ2年も終

          カンボジアを生きる わたしたち ~カンボジアで出逢ったステキな女たち、男たち、そしてわたし~ 69.蛍の光

          カンボジアを生きる わたしたち ~カンボジアで出逢ったステキな女たち、男たち、そしてわたし~ 68.近所の火事

           月300ドルの生活で、日本人との食事や飲み会は極力避けて過ごしていた私だが、協力隊の頃からの友人やアニーたちに誘われて、時々飲みに出かけていた。  週末になると、姐御の家で、アニー、NGOで働く友人、協力隊の気の置けない仲間などが集まり、夕方から夜までわいわい騒ぎ、ときにはナイトクラブに繰り出す。いったい何の話をしてたんだろうか、本当にしょっちゅう集まっては飲んだ。  美しい夕焼けが見えるその家が好きだった。夕方の景色は次第に夜になり、あの頃はまだ星空も見えていたっけ。

          カンボジアを生きる わたしたち ~カンボジアで出逢ったステキな女たち、男たち、そしてわたし~ 68.近所の火事

          カンボジアを生きる わたしたち ~カンボジアで出逢ったステキな女たち、男たち、そしてわたし~ 67.日本のイメージ

           その頃、私はサビーのほかに、レスマイ、マラン、シノダー、ソニダーという仲間が出来た。シノダーはもっぱらノートを借りる相手だった。字がきれいだったから。レスマイは学級委員長で、文学少女。おとなしくておしとやかなクメール女性だった。マランはちょっとわがままなお嬢さん。でも気がよく、私にいろんな話をしてくれた。ソニダーはとても早口で、彼女の話すクメール語にはまったくついていけなかったが、ニコニコ私に話しかけてくれた。  ある日女の子仲間で話をしているとき、マランが声を潜めて私に

          カンボジアを生きる わたしたち ~カンボジアで出逢ったステキな女たち、男たち、そしてわたし~ 67.日本のイメージ

          カンボジアを生きる わたしたち ~カンボジアで出逢ったステキな女たち、男たち、そしてわたし~ 66.先生たちの事情

           正式な大学生になれたものの、相変わらず授業が休校になる日々が続いた。  クラスのみんなは相変わらず、授業が休校になって喜んで家に帰って行く。でも中には、図書館で自習をしたりして、勉強をしようとする学生もいた。私も休校のたびに図書館に行って、いろんな本を漁った。  クラスのみんなに対するイライラは薄れていったけど、大学の教授たちはいったい何を考えているのだ?そんな思いが膨れ上がっていった。  ある日、私は教務課に直談判をしようと、サビーやレスマイと一緒に乗り込んだ(乗り込

          カンボジアを生きる わたしたち ~カンボジアで出逢ったステキな女たち、男たち、そしてわたし~ 66.先生たちの事情

          カンボジアを生きる わたしたち ~カンボジアで出逢ったステキな女たち、男たち、そしてわたし~ 65.裏口入学状態

           クラスの仲間と打ち解けながら過ごす中、ある問題が私にはあった。それは、大学生活1年が過ぎたのに、いまだに教育省から正式に私の入学許可の書類が学校に届いていないということだった。  教務課から再三、「ユキ、教育省はなんと言ってきているのだ?」と聞かれた。このままでは、正式に学生証も出せないし、宙ぶらりんの状態になってしまう。クラスのみんなも心配してくれた。  あるクラスメイトは「少しお金を包んだほうがいいのでは」と耳打ちしてくれた。  私は、「大学に入るということだけで裏

          カンボジアを生きる わたしたち ~カンボジアで出逢ったステキな女たち、男たち、そしてわたし~ 65.裏口入学状態

          カンボジアを生きる わたしたち ~カンボジアで出逢ったステキな女たち、男たち、そしてわたし~ 64.ボンユキの孤立

           プノンペンに戻ると、大家さんやまっちゃんはいつもの通り生活していた。街のあちこちに戦闘の傷跡があったものの、普通の様子だった。  まっちゃんが、「ユキが日本に帰ってからすぐ、戦闘が起きた。家族は皆田舎に避難したが、オレは家を守らなきゃならなかったから、ここにいたんだ」と教えてくれた。  良かった。皆何の被害もなく、焼き討ちにも、襲撃にも遭わず、無事だった。下町だったから、かえってよかったのかもしれない。  それからまた、普通の生活が始まった。  戦闘後の混乱で、さす

          カンボジアを生きる わたしたち ~カンボジアで出逢ったステキな女たち、男たち、そしてわたし~ 64.ボンユキの孤立

          カンボジアを生きる わたしたち ~カンボジアで出逢ったステキな女たち、男たち、そしてわたし~ 63.帰ってこれなくなった夏休み

           1997年7月、大学1年目の後期が終わり、テストが終わって私は3週間の予定で日本に里帰りすることになった。  その時、まっちゃんが私に言った。 「もうすぐポル・ポトが攻めてくるよ」  わたしは「何言っているの、そんなことあるわけないじゃない」と、笑って日本に帰っていった。  その3日後、私が新宿で協力隊同期の既に帰国した仲間と飲んでいるとき、アルタの建物の大画面に「カンボジア内戦状態」というニュース速報が流れているのを目撃した。  一緒にいた仲間は「幸恵ちゃん、カ

          カンボジアを生きる わたしたち ~カンボジアで出逢ったステキな女たち、男たち、そしてわたし~ 63.帰ってこれなくなった夏休み