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カンボジアを生きる わたしたち ~カンボジアで出逢ったステキな女たち、男たち、そしてわたし~ 73.引っ越し

 「100ドル営業」をするうちに、それまでほとんど日本人とかかわっておらず、ひっそりと暮らしていた私の存在が、日本人界隈に広がった。

 「なんだかおかしな日本人の女の子が、毎日自転車に乗って大学に通っていて、ろくにご飯も食べずにがりがり痩せてかわいそう。ここはひとつ、みんなで山崎を応援してやろうじゃないか」…という話だったのかどうかは分からないけど、以来商工会のおじ様方からお食事に誘われたり、カラオケに行ったりと、かわいがっていただくようになった。

 もちろん、日中は学業に専念。大学が終わってから新聞を毎日翻訳して、家に引いた無線電話回線で、翻訳した要訳記事をFAXで配信するという毎日だった。

 そんなある日の夜、食事とカラオケを終えて大林組の所長さんに家に送っていただいた時に、「なんかこのあたり治安が悪いよね。暗いし、道路もガタガタでセキュリティー上あまりよくないんじゃない?選挙も近いし、気を付けたほうがいいよ」と指摘された。

 確かに、選挙が近づくにつれて、近所の雰囲気が不穏になっていた。全国各地でもヴェトナム人が焼き討ちにあったり、違法居住者だといって追い出されたりといった事件が続いた。ヴェトナム人がカンボジア人だといって選挙に投票をするのを恐れて、ヴェトナム人への取り締まりを強めていたのだ。必然的に私の住んでいたヴェトナム人街は、みるみる不穏になっていった。仕事がもらえなくなり、あぶれた若いヴェトナム人達が、昼間から酒を飲んで騒ぐようになった。夜も、近くで銃声を聞いた。まっちゃんも、「ここは危ない」と言うようになった。大家さんたちも、なんだか心配そうな顔をしている。

 私はここにいては危険だ、と思った。そして引越しを決心した。
 こうして私の思い出深い長屋生活は終わった。

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