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カンボジアを生きる わたしたち ~カンボジアで出逢ったステキな女たち、男たち、そしてわたし~ 72.1か月100ドルのオンナ

 三菱商事の所長さんの紹介で、商工会企業にご挨拶がてら、この「新聞ビジネス」のご紹介をさせていただいた。

 当時のカンボジア日本人商工会はちょっとした「集まり」程度の活動しかなく、ゴルフやマージャン、飲み会などをしながら情報交換をする状態だったそうだが、ちょうどこのころ、きちんとした商工会組織を作る動きが起きていた。当時の大林建設の所長さんが音頭を取っており、そちらにご挨拶に行って新聞の売り込みをした。快く購読をしてくださることが決定し、さらに所長さんからこんな声がかかった。

 「商工会をきちんと組織化するにあたって、ちょっとした事務のお手伝いをしてくれる人を探しているんだけど、山崎さん、事務局のアルバイトやらない?月100ドルで良ければ」

 月100ドル。三菱商事の所長さんへの新聞要訳、そして今度は商工会事務局で月100ドル。今思えば、とんでもない(安い)額だけど(笑)、当時の私にとっては本当に大切な収入源となった。

 ぜひとも、ということで商工会事務局員としてのバイトも始まった。それから、その所長さんの紹介で、別の商社、ゼネコン、サービス会社の方々の元を訪れ、新聞の要訳の契約をいただいた。「笑っていいとも」の“テレホンショッキング”のような感じで、友達の友達がその友達を紹介してくださる。次第に、メディア、大使館、JICA、日本の研究機関へとこの新聞要訳配信ビジネスが広まり、プノンペン大学の女子大生のサイドビジネスが本格化した。

 配信とはいえ、当時はまだインターネットがない時代。なので、配信手段は「FAX」だった。自宅に無線のルーターをつけてもらい、FAX機能の付いた電話機を設置し、プリントアウトした原稿を登録したFAX番号に一つずつ送っていく。

 午前の大学の授業を終え、午後に辞書を片手に新聞を広げ、日本人が気になるだろう記事を選ぶ。注目すべき記事を1日1本か2本、記事全部を翻訳し、その他は要点を3~4行にまとめて1日10本ほど。時折、季節や行事にまつわるエッセイなんかを入れたりして、私の「手作り新聞」が出来上がる。それを、次の日の朝、大学に行く前にFAXで送っていた。

 私がこだわったのが、固有名詞のカタカナ表記。例えば「バッタンバン」はクメール語の音で読むと「バッドンボーン」なので、私は「バッドンボーン(バッタンバン)」、「カンポット」は「コンポート(カンポット)」、「サー・ケン副首相」は「ソー・ケーン(サー・ケン)副首相」と表記していた。すると購読者から「あの表記にしてくれたことで、カンボジア人スタッフと話をしている時に、クメール語の発音で相手に伝わるので話が通じやすくなった」という声をいただいた。

 この「手作り新聞」を通じて、どうにかカンボジアのこと、言葉をよりよく知ってもらいたい、そんな思いが生まれていった。それが次第に「ニョニュム」発行につながっていった。

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