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カンボジアを生きる わたしたち ~カンボジアで出逢ったステキな女たち、男たち、そしてわたし~ 77.再びアピン

 そんな混乱の中、協力隊の時にホームステイをしたお家の女の子・アピンから電話があった。

 「ユキー。どこにいるの?元気なの?いま何しているの?」

 彼女は不安そうな声だった。

 「アピン?元気よ。ピンは元気なの?どうしたの?」
 「もうこんな国いや」
 「どうしたの?何かあったの?」

 愚問だった。

 こんな状況の国に希望が持てないだけだ。ピンはこういった。

 「ユキエはこんな国にいないほうがいいわよ。日本に帰れるなら帰ってちょうだい」

 私はびっくりした。そして私が外国人なんだということをつくづく感じた。外国人である私は、カンボジアが本当に不穏になって居続けられなくなれば、この国から逃げることが出来る。でも、この国で生まれ育った高校生のアピンは、この国から逃げることは出来ないのだ。そんな不安、諦めの言葉を電話越しに聞いたのだ。

 アピンはこういった。

 「1週間後のラジオを聴いてね。ユキのためにリクエスト曲を贈るわ」

 そのラジオは、クメール語でDJをやっているオーストラリア人の番組で、リクエスト曲を募っていた。ユキエもあのDJみたいにクメール語がぺらぺらになるといいねと、アピンは私を応援してくれていた。

 数日後、私宛にリクエスト曲が流れた。

 数年たって、アピンは父親がオーストラリア大使館赴任となり、家族でオーストラリアへ出発した。外国志向の強かったアピン。チャンスがめぐってきたのだ。

 「元気でね」

 私はアピンにエールを送った。
 その数年後、偶然アピンのお父さんとお母さんにプノンペンで再会した。オーストラリア赴任を終えて戻ってきたのだ。アピンは?と聞くと、オーストラリアでミャンマー人と出逢い、結婚したのだという。ああ、アピン。あの子が結婚して、もう一児の母親だというのだ。あのおしゃまなアピンが。

アピン

 オーストラリアにいるアピンを思って、いつかまた会えると信じていたいと思った。

後日談。

 それ以来、10年以上彼女と連絡を取るすべもなくいたのだが、先日(2020年)、彼女のご両親に偶然再会し、オーストラリアにいるアピンと連絡を取ることができた。現地でミャンマー人と結婚し、子供を持ち、現在は不動産会社で働いているという。Facebookでつながり、彼女の様子を見ることができるようになった。そして、アピンとともにお世話になった観光省職員だったチャンリーとも、Facebookでつながった。彼女は今スイスに国際結婚をした旦那さんと一緒にいるようだ。彼女たちは母国のことを、その地でどんな風に今思い、見ているのだろう。

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