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カンボジアを生きる わたしたち ~カンボジアで出逢ったステキな女たち、男たち、そしてわたし~ 68.近所の火事

 月300ドルの生活で、日本人との食事や飲み会は極力避けて過ごしていた私だが、協力隊の頃からの友人やアニーたちに誘われて、時々飲みに出かけていた。

 週末になると、姐御の家で、アニー、NGOで働く友人、協力隊の気の置けない仲間などが集まり、夕方から夜までわいわい騒ぎ、ときにはナイトクラブに繰り出す。いったい何の話をしてたんだろうか、本当にしょっちゅう集まっては飲んだ。

 美しい夕焼けが見えるその家が好きだった。夕方の景色は次第に夜になり、あの頃はまだ星空も見えていたっけ。

 ある日、姐御の家に集合となり、アニーの手料理などを食べていた。宴会も佳境に入り、ふと空を見上げると、遠くの空が赤くなっているのが見えた。

 何だろう?え、火事かな?
 あの頃は、火事になると近所の家の人が銃を撃ち放すのが恒例?だった。火事が起きていることを知らせるためだったのか、あの日もどこか遠いところで銃声が聞こえていた。

 酔っぱらった私たちは、「綺麗だねぇ」なんて言いながらその夜空を眺めていた。さて、ナイトクラブにでも繰り出すか、と家を出る支度をし、ピックアップトラックの荷台に乗り込む。夜の風を切りながら街に出ると、あの赤い夜空がどんどん近づいてくる。やっぱり火事みたい。

 私も友達も、もしかして私の家の方角なんでは…と思いながらも車は町の中心街に向かい、そのまま私たちはナイトクラブで飲んで、踊って、その夜は姐御の家に泊まらせてもらった。

 次の日、朝食をいただいてから自転車で家に向かう。すると、見慣れた我が下町の一角は、まる焦げの焼け野原になっていた。

長屋2

 やっぱり火事だったんだ!
 まっちゃんが、昨夜起きた出来事を教えてくれた。ユキのことが心配で部屋に行ったけど、いなかったみたいなので、逆に良かったと。

 私の家のはす向かいの一角が全焼していた。木造の家が多かった場所だ。まる焦げになった建物の前で、おそらくコミューンの人か何かが寄付を集める呼びかけをしていた。大きな拡声器を置いて、寄付をする人からお金を受け取り、その人の名前と金額を読み上げている。

 私は、昨日の夜この光景を「綺麗」だなんて思った自分が恥ずかしくなった。おそらく大変な騒ぎだったんだろうに、私はと言えばナイトクラブで騒いでいたわけで…。

 私はなけなしの50ドルを片手に、その寄付の受付テーブルのところへ行って、50ドルを渡した。その界隈で、50ドルの寄付というのは「破格」だったよう。受け取った人はとっても喜び、私の名前を聞いてきた。

 いや、名前も金額も読み上げなくて結構です。本当に気持ちですから。。。

 まぁ、どこの誰だということはきっとみんな知っていたと思うけど。
 私はその場を去った。

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