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カンボジアを生きる わたしたち ~カンボジアで出逢ったステキな女たち、男たち、そしてわたし~ 75.広がる世界

 1階を事務所スペースにして、FAXやPCを置いて、当時パートナーとして集金や配信、営業の部分を担当してくれた人と一緒の共同事務所を開いた。大学と翻訳の仕事、それに集金や営業活動をする毎日。女子大生のサイドビジネスは順調だった。

 私自身も日本人社会に顔と名前が知られるようになり、日本人会のイベントなどにも積極的に出られるようになった。まさに、生活に「余裕」が生まれていったのだ。

 大学からは遠くなってしまったので、自転車通学は限界があり、バイクに乗ることを決意。しばらくスクーターを友人から借りて、当時日本人でバイク販売店を営んでいた方からホンダのチャーリーを買わせていただいた。まだ交通量も少なく、バイクでも安全だった。

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 新聞翻訳をきっかけに、7月の総選挙の時に読売新聞から声がかかった。選挙当日の各種報道の通訳・翻訳を事務所に詰めてやってもらいたい、という仕事の依頼だ。事務所でフン・セン首相の勝利宣言のスピーチを、その場で同時通訳して記者さんに伝えた。それが次の日の新聞に載った。

 あの1997年7月の戦闘でラナリット第1首相が国を追われ、第1党だったフンシンペック党からはお飾りのような第1首相が置かれていた。そしてこの1998年7月の総選挙で人民党が第1党となり、フンシンペック党との連立政権が発足する。すごい歴史の展開。

 1993年に日本で国連のPKO活動への自衛隊派遣の是非が議論されたり、中田厚仁さん、文民警察の高田晴行さんが亡くなったという報道をテレビで見ていた私が、その5年後の1998年の総選挙では、それを現地から伝えるメディアに少しばかり関わらせていただく立場になったのだった。

 こうして新居・新事務所を拠点に新しい世界に飛び込んだ私。一方で、カンボジアは選挙後にいろいろな混乱が始まっていた。

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