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論文紹介 中国は近隣諸国を懐柔するため、対外政策を調整している

2017年末にアメリカは中国を「戦略的競争者(strategic competitor)」と位置づけ、対抗する動きをとるようになり、安全保障、貿易などで対立が顕著になっています。既存の国際秩序を支配する覇権国が新たに台頭する新興国と戦争状態に至る「トゥキディデスの罠」が起きるのではないかという懸念も一部の研究者から出されています。

しかし、このような見方については、米中関係を過度に単純化する恐れがあるという意見もあります。米中関係が悪化するとしても、それは単線的にプロセスで進むのではなく、さまざま国々が絡む複雑なプロセスとして進むと予測されています。次の論文でも、中国は自らの外交的な地位を有利にするため、中小国を取り込もうとすると考えられています。

Feng Liu, The recalibration of Chinese assertiveness: China's responses to the Indo-Pacific challenge, International Affairs, Volume 96, Issue 1, January 2020, Pages 9–27, https://doi.org/10.1093/ia/iiz226

この論文では、中国の対米政策には柔軟性があることを指摘するものであり、周辺諸国を自国に引き付けることで、外交的な優位を追求しようとする特徴があることが明らかにされています。そのため、中国は必ず自国本位の外交を実施するとは限りません。中国は経済分野で一帯一路の構想を推進していますが、東南アジア諸国連合(ASEAN)が主動する経済連携である地域包括的経済連携(RCEP)の枠組みを尊重しています(p. 12)。

アメリカは、環太平洋地域の経済連携を推進する環太平洋パートナーシップ協定(TTP)に加盟していましたが、2017年に離脱しており、アジアにおける影響力を低下させていますが、中国はこの機会を利用して自国の経済的影響力の拡大を図っているとされています(Ibid.)。中国はアメリカ、日本、オーストラリア、インドから構成された日米豪印戦略対話(Quad)に反対していますが、これはアメリカを中心とする国際協力の枠組みが形成されることで、その対外的な影響力が削がれるリスクを認識しているためだと考えられます(Ibid.)。

著者は、安全保障分野における中国側の認識では、3点の課題があると解釈しています。第一に、中国は東アジアにアメリカが軍事基地を持ち、その部隊を前方配備していることに懸念を持っています。具体的にはミサイル防衛の影響を懸念しており、これは自国の核戦力の生存性、信頼性を低下させるものと見なしています。2016年にアメリカ軍が韓国に終末高高度防衛ミサイルを新たに配備したことを受けて、中国が経済制裁を含む対抗手段をとっています(Ibid.)。

第二に、中国がアメリカがアジアで同盟国や友好国との関係を強化することは、中国に対する封じ込めを図るものと解釈しています(Ibid.)。以上2点と関わりますが、第三の懸念として中国は台湾、尖閣諸島、南シナ海など、さまざまな紛争地域に対してアメリカが関与を強めることに懸念を持っています。中国の政府高官はアメリカが関与を強めることによって、他の紛争当事国が中国に強く対抗する事態が引き起こされると考えており、紛争を激化させると懸念しています(Ibid.)。

中国には、アメリカとの外交関係を良好に保つことによって、勢力を拡大することに成功してきた歴史があります。2002年10月に開催された中国共産党の第16回全国代表大会において江沢民国家主席は今後20年は中国にとって「戦略的好機の時代」と表明し、世界貿易機関(WTO)に加盟を果たして、国際貿易を積極的に推進し、経済成長の加速に活用しました(p. 13)。この時期の中国の対外政策では善隣外交が重視され、近隣諸国を安心させ、両行な関係を形成するように働きかけていました。

しかし、中国はその経済的、軍事的な能力を拡大してからは、領土紛争の対応方針を変化させ、現状変更の機会を伺うようになりました。東シナ海で日本が尖閣諸島の国有化する出来事が起きてからは、中国の法執行機関の船舶が周囲を巡航するようになりました(尖閣諸島国有化)。フィリピンがスカボロー礁の付近で操業していた中国の漁船を拿捕すると、中国は現地に海上構築物を建設し、岩礁を実効支配するようになりました(p. 13-4)。2015年にアジアインフラ投資銀行(AIIB)を設置し、途上国のインフラ整備に対する融資を開始したことも重要な政策の変化であり(p. 14)、2012年に中国共産党の総書記に就任した習近平が掲げた「中華民族の偉大な復興の実現」の一環として実施されていると見られています。

著者の見解では、長期的なトレンドとして、2012年を境にして中国の対外政策がより積極的、野心的なものへと変化したとされています。同時期から中国は自国の勢力を拡大する上でアメリカを障害と見なすようになっていましたが、それは2017年にアメリカが『国家安全保障戦略』で中国を念頭に置いた地域戦略の枠組みを「アジア太平洋」を「インド太平洋」に転換したことで強められました。2018年に習近平体制の下で外交部長を務めていた王毅はアメリカのインド太平洋構想について泡玉に例えながら「すぐに消えてしまう」と評し、アメリカのインド太平洋戦略に否定的な態度をとっています(pp. 15-6)。

王毅と同様に中国の研究者もアメリカのインド太平洋戦略に警戒を強めました。全般的に、彼らは中国の立場を弱める否定的な効果を持つ可能性があると解釈しました。ある中国人の研究者は、当時の中国とインドの戦略的競争が激化しつつあることを指摘し、アメリカがアジア太平洋からインド太平洋という地域概念に切り替えたことは、「アメリカにとってオーストラリアとインドが戦略的に重要になっていることを示している」と述べました(p. 16)。また、アメリカが中国の周囲に広範に関与することで、南シナ海、台湾海峡、東シナ海、黄海(朝鮮半島)の地域紛争を総合し、中国にジレンマを突き付けているという見解も出されています(p. 17)。

ただし、中国の研究者の中には、アメリカにインド太平洋戦略を実行する能力はないという見解を出す者もいました。この見解によれば、インド太平洋戦略の実質的な効果はありません(pp. 17-8)。こうした見方がある背景として、2017年にアメリカで政権を発足させたトランプ大統領がTPPから離脱した影響があり、この出来事は国際社会におけるアメリカの影響力が後退しているという中国の見解を裏付けていました(Ibid.)。ちなみに、そのような見方を打ち消す試みとして、アメリカ政府はインド・太平洋地域の物流網、通信網を強化するため、1億1300万ドルを投じることを2018年7月に発表しています(Ibid.)。

アメリカのインド太平洋地域については、関係国が必ずしも協力的ではないため、インド太平洋戦略が実効性を持たないという見解は根拠がないものではありません。その主要な枠組みの一つであるQuadでも、アメリカ、日本、オーストラリアに対してインドが積極的ではないことが指摘されています(p. 19)。インドのモディー首相はQuadが特定の国家を脅威として排他的に扱う同盟とすることに反対しました(Ibid.)。

それでも、中国の国内における論争を調べると、アメリカがインド太平洋構想を策定したことを踏まえ、近隣諸国を威圧することに慎重になるべきであるという論調が出てきています。それは中国の対外政策にも反映されており、明確な時期は特定できませんが、2017年後半から中国国内では自国の能力や成果を強調するレトリックが弱められているという印象を著者は持っているようです(p. 22)。

同時期に中国はインドとの関係を修復するために相当の外交的努力を払いました。2018年4月にはモディ首相と習近平国家主席は非公式の首脳会談を行い、国境地帯で続いていた紛争を収束させることに成功しました(p. 23)。インドは、中国が一帯一路のプロジェクトでインドと敵対するパキスタンのインフラ整備を支援していることについては引き続き不満を持っていますが、中印対立がこれ以上深刻にならないようにすることを中国としても優先しました。

また、2018年5月には日中首脳会談が開催されており、安倍晋三首相が総理大臣としては8年ぶりに中国を訪問しました(p. 23)。この会談を通じて日中関係の強化が図られています。ただ、著者はこれらの動きが根本的な政策転換であるとは限らず、より長期の観察を経なければ、一時的な政策調整である可能性は否定できないと述べています(Ibid.)。この点に関する著者の中国の意図に対する見方は非常に慎重なものだといえます。

中国はASEANとの関係の改善も試みていますが、ここで問題になるのは南シナ海の領有権問題です。すでに南シナ海において岩礁の実効支配を確立していた中国は、紛争当事国であるフィリピンと対立を続けることに利点はありません。そのため、中国は南シナ海の情勢を安定化させるための協議を実施し、行動規範の形成を約束しました。ASEANは中国の行動を抑制する上でこの行動規範の形成を目指す外交交渉に力を入れており、2017年11月から正式な協議を開始しました(p. 25)。交渉の過程でASEANは行動規範に法的拘束力を持たせ、中国の動きを封じようとしましたが、中国はそのような行動規範に合意することを慎重に避けようとしています(p. 25-6)。ちなみに、この行動規範は記事を作成した2023年の現在でも策定されていません。

結論部において著者はアメリカと中国の競争は始まったばかりであることに留意しつつ、中国がアメリカのインド太平洋戦略に対抗する意図から緊張緩和に努めている可能性があるという評価を述べています。この著者の議論に従うならば、中国が友好関係を求めてきたとしても、その意図は必ずしも現状維持ではない可能性があります。中国が長期的にアメリカの影響力を締め出し、そのインド太平洋戦略を頓挫させることを狙っているのかもしれません。最後に著者は次のように述べています。

「過去数年間にわたり、中国の強硬な外交は周辺諸国に悪影響を及ぼし、中国の台頭に対する懸念を深めてきた。全般的な安全保障環境の悪化を回避するため、最近の中国はアジア地域の大国(日本やインドなど)や中小国(フィリピンやシンガポールなど)を含めた近隣諸国と緊張を緩和するように対外政策を総合的に調整している。外交関係を改善、回復させることは、周辺諸国がアメリカに接近することを回避することでもある」

(p. 27)

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