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論文紹介 中国は米国と軍事力で互角でなくても開戦するかもしれない

政治学では多くの研究者がアメリカの覇権を中国が脅かす可能性について検討していますが、両国の軍事力の格差は依然として大きなものであるという認識が一般的です(例えば、論文紹介 まだ中国は米国と互角に争える超大国ではないとの研究報告を参照)。

勢力均衡理論、合理的抑止論を踏まえれば、アメリカが軍事的に優勢である限り、中国が武力に訴えるリスクは差し迫ったものではないはずです。しかし、政策決定者の状況判断によっては、中国が武力に訴えるリスクは決して小さなものではないという見方も以前から出されています。以下の論文もそのような見解を支持しています。

Christensen, T. J. (2001). Posing problems without catching up: China's rise and challenges for US security policy. International Security, 25(4), 5-40. https://doi.org/10.1162/01622880151091880

この論文は、中国がアメリカに対して武力を行使する可能性を評価する際に、中国の政策決定に参加するエリートの信念や認知を考慮に入れるべきであると主張したものです。著者は中国指導部が以下の認識を持った場合、軍事力で劣勢であったとしても、アメリカに対して戦いを挑む可能性があると考えました。

(1)武力行使を避ければ、中国の支配体制の安定にとって致命的な事態が生じる。
(2)アメリカに作戦で多数の死傷者が出ることを思い知らせれば、軍事的介入を思いとどまらせ、あるいは撤退に追い込むことは可能である。
(3)アメリカが別の地域に注意を向けているか、あるいは別の正面に兵力が拘束されているため、中国に対して効果的な作戦が遂行できない。
(4)政治的、軍事的手段によってアメリカと同盟国を引き離すことが可能である。

まず、(1)の認識の影響を考えてみます。著者は中国共産党が必ずしも攻撃的な性格を持っているわけではないが、台湾の独立だけは何としても阻止しようとして、あらゆる手段をとる可能性があると判断しています。なぜなら、中国共産党が支配の正統性として拠り所にしているのは、中国の経済的繁栄と国家的統一であり、特に国家的統一を維持することには絶大な政治的重要性があると考えられています。中国共産党が台湾問題でアメリカと妥協することがあれば、直ちに国内で激しい反発に晒され、政治的危機に発展する恐れがあります。

著者が2000年に中国を訪問し、北京で中国共産党の幹部から聞き取ったところによれば、中国共産党は民衆の不満や批判に対して極めて敏感です。中国共産党が国家的統一を損なうことがあれば、反体制派は即座に批判を加えると考えられています。米中間の軍事的能力に大きな差があることは中国のエリートの間で広く認識されていますが、台湾を軍事的に打倒することは容易であるという認識も一般的であり、さらに長期的に見れば米中戦争はほとんど不可避であるという認識があることも報告されています(pp. 15-6)。ただし、論文では2000年に台湾の総統に就任した陳水扁が経済問題で支持率を落としていたため、当時の関係者は台湾が自発的に中国共産党の支配を受け入れるようになるはずだと楽観していたことも紹介しています。

(2)はアメリカの戦争遂行能力が政治的理由でかなり限定されているという認識と言い換えることもできます。中国のエリート層では、アメリカは台湾問題で多数の死傷者を出す事態に耐えられないという見方が支配的であると著者は述べています。中国で対米戦略として議論されているのは、中国が台湾問題で武力攻撃に踏み切った際にアメリカが引き下がるかどうかではなく、アメリカがどれほど速く引き下がるか、その際にどれほどの損害が中国に発生するかです(p. 17)。アメリカ軍の部隊を台湾から撤退に追い込むために必要な死傷者の見積もりはさまざまあり、数百名という見解もあれば、1万名という見解もあるようです。

著者が行った聞き取り調査によれば、中国側がアメリカ軍の脆弱さの根拠としてよく持ち出していたのはソマリア内戦の戦例でした。1993年、ソマリアに平和維持活動で派遣されたアメリカ軍の部隊が現地の武装勢力との戦闘で16名の戦死者を出したのですが、そのことで国内の有権者は政権に強く反発し、最終的に撤退へと追い込まれました(p. 18)。アメリカ軍が人的損害に敏感に反応することを踏まえ、中国軍の専門家は湾岸戦争でアメリカ軍と戦ったイラク軍の戦略があまりにも消極的すぎたと批判しており、アメリカ軍がイラク軍に対して攻勢をとる前にサウジアラビアに開設された作戦基地をミサイルで攻撃すべきであったと主張しています(p. 19)。また1998年のコソボ紛争では、アメリカがセルビア人の武装勢力を敵視し、航空攻撃を加えましたが、この作戦が実行されたのはセルビアに十分な拒否能力がなかったためであると説明されています(Ibid.)。

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