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論文紹介 内戦が続く国で住民が組織する自衛民兵はどのように行動するのか

東アフリカの沿岸に位置するソマリアは、長期にわたって内戦が続いている脆弱国家の一つです。それぞれの地域の住民は無政府状態に適応しており、自衛を目的とした民兵を組織しています。ソマリアの政治で特に重要な民兵組織としては、ソマリアの南部に拠点を置くアル・スンナ・ワル・ジャマー(Ahlu Sunna Waljama'a, ASWJ)と中部に拠点を置くマーウィスリー(Macawiisley, Ma'awisley)です。2022年にこの二つの民兵組織の関係者に対して面接調査を行い、その研究成果をまとめた論文を紹介したいと思います。

Mohammed Ibrahim Shire (2022) Protection or predation? Understanding the behavior of community-created self-defense militias during civil wars, Small Wars & Insurgencies, 33:3, 467-498, DOI: https://doi.org/10.1080/09592318.2021.1937806

無政府状態に直面した人々は、自らの生命と財産を保証するため、独自の民兵を組織し、それを運用し始めることがありますが、その民兵が自衛の範囲を超えて、攻撃的に運用されることもあります。これは内戦を理解する上で見過ごすことができない重要な社会現象ですが、このことを説明するための理論は十分に確立されていません。

著者は、自衛を目的に組織された民兵に着目しています。これは地域共同体で組織され、民間人だけで構成された武装集団であり、反体制派の立場をとるものは除外しています。このような民兵組織の目的は少なくとも名目上は地元の住民を保護することですが、場合によっては自衛の目的を超えた暴力的行動をとることがあります。

著者は、資金提供と、機動性という二つの要因に着目することで、こうした民兵の行動を説明できると考えました。まず、資金提供の影響について考えると、地域の住民で組織された民兵であっても、その活動に必要な資金調達が外部の援助者に依存している場合、地元の援助者に依存している場合よりも地域の利害にとらわれずに部隊を運用できるようになると考えられます。

ここで想定される援助者は国家です。国家は政府軍で不足する作戦遂行能力を補完するために、民兵を運営する上で必要な資金を提供する場合がありますが、このような民兵組織は地元との一体性が低く、規律に重大な問題を抱える傾向があります。そのため、戦場では略奪、拷問、誘拐、殺害などの犯罪行為に及び、場合によっては国家による暴力の独占に挑戦し、国家存立を脅かすリスクさえあります。

自衛民兵の行動を左右するもう一つの要因は機動性です。機動力を備えている民兵は、ある地域から離れて攻撃的な行動をとる能力が高いため、隣接の敵対する地域社会の土地や資源を求めて、暴力的な行動をとる傾向を強めるとされています。著者は、国家から援助を受けている民兵は、反乱を鎮圧する目的で動員されるため、別の地域に派遣される機会があり、そのため攻撃能力を高める場合が多いとも指摘しています。もともと機動力を持たない自衛民兵は、攻撃的に部隊を運用させることが難しく、また地元の住民の保護という本来の任務達成を優先する傾向が強まります。

この考察を裏付けるため、著者は2019年7月から9月にかけて、64名の民兵の現役メンバー、あるいは元メンバーと電話でインタビューを実施しました。内訳としては、マーウィスリーの関係者が30名、ASWJの関係者が34名であり、半構造化インタビューの手法で40分から90分にわたって続けられました。組織化の方法、入隊した動機、資金源などについて質問しました。すべてのインタビューの参加者の身元は安全を理由に公開されていません。

ASWJは、1991年前後に組織された組織ですが、当初から武装勢力として活発に動いていたわけではなく、その勢力も限定的でした。しかし、2008年にソマリアの南部で勢力を拡大していた武装勢力アル・シャバブの最高指導者がアメリカ軍の武装ドローンによる攻撃で殺害されたことによって、状況が一変しました。新たな指導者の下でアル・シャバブはアルカイダを含めた外国の国際テロリスト集団と連携を急速に強化するようになり、厳格なイスラム教の解釈に基づくイデオロギーを採用しました。この路線変更によって、それまでソマリア社会で伝統的に信仰されていたスーフィー派を抑圧し始めたのです。

アル・シャバブの動きに抵抗し、地域共同体の宗教的伝統を維持するため、ASWJは多くの志願兵を受け入れるようになりました。著者がインタビューしたASWJの関係者の多くは、この最初の武装化の過程で入隊した人々であり、ほとんどがアル・シャバブの暴力的行為によって被害を受けた経験がありました。ただ、彼らには軍事的な経験が不足しており、地元の軍事専門家の助言が頼りでした。武器や装備は内戦の過程で政府機関から略奪したものが中心であり、慢性的な物資の不足に直面するなど、戦闘力には大きな問題がありました。

2008年12月にASWJが140名の部隊を投入し、アル・シャバブに対する最初の攻撃を実施したときには、手痛い敗北を喫したのは、その戦闘力が十分ではなかったためでした。この時期にソマリアから軍隊を撤退させつつあったエチオピアが、ASWJに援助を与える用意があることを打診してきましたが、この時期のASWJはエチオピアの代理勢力と見なされると、地元の住民の支持を失うかもしれないと判断し、いったんエチオピアの提案を見送りました。12月の下旬に戦局は好転し、ASWJの部隊はグリエルをアル・シャバブから奪取し、占領することに成功しました。

この戦果を踏まえ、2009年1月にエチオピアのメレス・ゼナウィ首相は記者会見を開きました。そこで発表された内容は、エチオピアとしてASWJを援助するという申し出であり、この後でASWJはエチオピアの援助を避けるという方針を見直し、外部の援助を受け取るようになりました。この時期からASWJの傘下には多くの派閥が集まってきましたが、その中には悪名高い軍閥も含まれていました。彼らはASWJで指導的な地位を要求し、さらにアル・シャバブとの武装闘争を口実としながら、それぞれの野心を追求する行動を加速させていきました。

著者の調査では、2009年の後半からASWJが本来の根拠地であるガルグドゥード州の境界を越えて作戦を遂行するようになったことが明らかにされています。ガルグドゥード州の南部境界に隣接するヒーラーン州中部シェベリ州だけでなく、直接的に隣接していない南部のゲド州バコール州にも拠点を確保し、勢力を拡大しました。当時、アル・シャバブとの争いに敗れてジブチに逃れていたソマリア暫定連邦政府は、アル・シャバブとの闘争を名目にASWJがソマリアにおける権力の獲得を追求していることを非難しました。ASWJはこの時期に児童の徴兵、住民への恐喝、検問を通行する人々への「課税」、そして「納税」を拒否した住民に対する発砲など、さまざまな人道上の問題を引き起こし、社会的な評判を落としています。

マーウィスリーは、こうしたASWJとは大きく異なった道を歩んだ民兵組織でした。マーウィスリーは、2014年にアル・シャバブが支配地域で住民に納税を強制し、児童を徴兵しようとしたことをきっかけとして、地元の住民が自発的に立ち上げた組織です。アル・シャバブは人員の不足に対応するため、8歳の児童さえも誘拐し、戦闘訓練を強制した上で、前線に送り込んでいました。著者のインタビューに回答した協力者の多くが子供を失っており、マーウィスリーのある指揮官は自分の8歳の息子が助けを求めて泣き叫んでいたことを面接の中で回想しました。また、複数の証言からアル・シャバブは毎週火曜日と土曜日に各家庭の妻を非公開の場所に連れて行くことを住民に強制していたことも明らかにされており、その性的搾取が苛烈であったことも伺われます。

マーウィスリーの初期のメンバーの多くは牧畜業を営む人々であり、軍隊の経験はほとんどありませんでした。彼らは自分の財産を処分することで武器と弾薬を調達しました。アル・シャバブから報復されるリスクは常に考慮しなければなりませんでした。一部の有志が危険を顧みず、マーウィスリーの活動を支援するために多額の出資を申し出ましたが、アル・シャバブに察知された場合は、見せしめに処刑されるか、あるいは投獄されました。しかし、地域共同体の中でマーウィスリーを支援する動きは着実に広がりました。2020年2月にはマーウィスリーを支援したという理由で、小さな村を丸ごと焼き払う事件も起きています。

マーウィスリーの軍事的能力は時間をかけて強化されていき、かつての支持者をアル・シャバブの刑務所から解放するため、繰り返し襲撃を行うことができるまでに成長しました。マーウィスリーはソマリア政府と非公式に提携していましたが、資金の提供はありませんでした。その援助の内容はごくわずかな糧食の提供にとどまっていたようです。マーウィスリーはより大きな援助を求めたこともありましたが、その要求は無視されました。つまり、マーウィスリーは、地元の支持によらなければ活動を継続することができない民兵であり、そのため政治的な勢力として活動することはありませんでした。

また隣接する住民、部族の利益を損なうことがないように、境界線を越えた作戦行動は避けられました。マーウィスリーの民兵は、行政区画、そして氏族ごとに部隊が編成されており、それぞれの氏族の領域がそのまま部隊が作戦を遂行する地域と重なっていました。民兵は遊牧民としての生活様式に慣れているため、長距離移動を行うことはありますが、それはアル・シャバブの部隊を追跡し、あるいは伏撃するために行われるものであって、その作戦の目的は防御的なものに限定されてきました。

2015年5月28日、ヒーラーン州に拠点を置くマーウィスリーは、アル・シャバブが占領した農村を奪回する作戦を実行しましたが、その際にも領域支配を拡大することは避けられました。まず、部隊は根拠地の都市であるBuloburdeを出発し、2個の部隊が別々の方向に前進しました。それぞれの部隊は北西方向に向かって30km進んだ位置にあるBuurweyne村と、南西方向に31km進んだ位置にあるAf’ad村を攻撃し、アル・シャバブの部隊を撃破しました。敵の装備を鹵獲した後に、マーウィスリーの部隊は村を占領せず、それぞれ根拠地へと帰還しました。

マーウィスリーは地域共同体の自衛という当初の目的を維持していたので、その構成員は地域共同体の指導者に対して説明責任を負っていました。彼らは民間人を攻撃することは、自分の身内を攻撃するようなことであると考えており、暴力的な行為を避けていました。著者は、このような厳格な規律が守られていることは、国外に脱出したソマリア人の証言からも裏付けることができるとして、地域共同体の支持を失うような軍事行動が抑制されていたと評価しています。

以上の調査に基づき、著者は内戦状態にある国家で民兵がどのような資金源で運営されているのか、それがどれほど遠方に部隊を移動させているのかという二つの要因によって、その民兵の行動様式に大きな違いが生じてくると主張しています。結論で著者はこのような研究成果がソマリアの海賊対策の検討においても有意義だと述べており、その海賊組織の多くはソマリア人の漁場で不法に操業する犯罪者を排除するために立ち上げられた自衛民兵であったことを指摘しています。彼らは国家の支援を受けて海賊の事業を拡大しており、日本も利用するインド洋の海上交通路を脅かす存在になっています。こうした課題に取り組む上でも、著者の議論は示唆に富むものであると思います。

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