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論文紹介 テロ組織の指導者を標的とした斬首作戦は有効なのか?

非正規戦争で領域支配を確立できていない武装勢力と交戦する場合、反乱軍の指導部、特にその指導者個人を標的として攻撃を加える場合があります。このような作戦は斬首攻撃(decapitation attack)と呼ばれており、2000年代以降にはアメリカ軍では対テロ作戦として実行した事例が複数あります。国際テロ組織アルカイダの指導者であったオサマ・ビンラディンは2011年5月2日にアメリカ海軍の特殊作戦部隊の強襲で殺害されましたが、これはアルカイダに対する斬首攻撃の一環として実施されたものでした。

斬首攻撃の成功は政治家によって業績として誇示されてきましたが、軍事的観点で考えた場合、その戦略的有効性に関しては大きな疑問が残っています。事実、斬首攻撃が成功した後もアルカイダの活動は継続しています。一部の研究者は斬首攻撃が国際テロ組織を撲滅する上で逆効果になる恐れがあると論じています。この視点はボコ・ハラムの事例を分析する上でも有効であるという主張があります。

アイザック・オラワレ・アルバート氏の「ナイジェリアのボコ・ハラム危機における斬首戦略とアブバカル・シェカウの死の重要性(Decapitation strategies and the significance of Abubakar Shekau's death in Nigeria's Boko Haram crisis)」は、テロ組織に対する斬首攻撃の戦略的な効果は状況次第である部分が大きく、場合によっては悪化させるリスクがあると論じています。このことを示すために、彼がボコ・ハラムの指導者が殺害された事例をどのように検討しているのかを紹介したいと思います。

Albert, I. O. (2021). Decapitation strategies and the significance of Abubakar Shekau's death in Nigeria's Boko Haram crisis. International Affairs, 97(6), 1691-1708.

ボコ・ハラムは、ナイジェリアの北部地域でイスラム教に基づく統治体制を実現することを目的とし、反政府活動を展開していた武装組織であり、当初は創始者のモハメド・ユスフによって率いられていました。ユスフは、2009年7月にナイジェリアの当局によって処刑されましたが、間もなくしてアブバカル・シェカウが権力を握り、外国の国際テロ組織との連携を通じて、ボコ・ハラムの活動をさらに拡大しようと動き始めました。北アフリカ諸国で活動を展開していたイスラム・マグリブ諸国のアルカイダ機構(Al-Qaeda in the Islamic Maghreb, AQJIM)との協力関係を強化し、構成員の訓練で支援を受けるようになりました。シェカウがYoutubeに投稿された動画を通じてボコ・ハラムの指導者として自らの存在を内外に示したのは2010年であり、その動画の中でナイジェリアに復讐することが宣言されていました。

2010年から2021年にかけて、ボコ・ハラムはさまざまな地域で攻撃を繰り返すようになりました。この時期の活動に関してはすべてが報道されているわけではなく、その全容を捉えることは難しいものの、いくつかの事件は国際的に大きな注目を集めました。2011年8月26日にナイジェリアの首都アブジャで国連機関が入る建物が襲撃され、多数の死傷者が出ています。2014年4月14日には、ボルノ州で女子学校がボコ・ハラムの襲撃を受け、276名の女子生徒が拉致されるという事件も起こりました(ナイジェリア生徒拉致事件)。ちなみに、この事件は被害者が部分的に解放されましたが、依然として全員の身柄は取り戻せていません。獲得した身代金は、組織の活動を維持するために使用されたと見られています。

このような状況を踏まえ、ナイジェリア政府は隣国のチャドなどと交渉し、ボコ・ハラムを壊滅させることを目的としてシェカウの身柄を拘束するか、あるいは殺害するために国際的な協力を開始したのです。この時期にボコ・ハラムの一部が分裂する事態も生じました。アブー・バクル・アル・バグダディが指導する中東の国際テロ組織イラク・シリアのイスラミック・ステート(Islamic State of Iraq and Syria, ISIS)と提携し、ボコ・ハラムの一派がISISの傘下に入ったのです。彼らはイスラミック・ステート西アフリカ州(Islamic State's West Africa Province, ISWAP)と名乗り、創始者のユスフの息子であるアブ・ムサブ・アル・バルナウィを新たな指導者としました。

これはボコ・ハラムの指導部の意に反する決定であったため、シェカウはアル・バルナウィを「異教徒」と強く非難しました。これ以降、ボコ・ハラムとISWAPとの間で戦闘が発生することになりましたが、ボコ・ハラムが劣勢に立たされました。2021年5月19日にISWAPの戦闘員によって追いつめられたシェカウは拘束されることを恐れて自爆しました。シェカウを殺害する方針は、2019年にバグダディが死去した後でISISの指導者となったアブイブラヒム・ハシミ・クラシによって下されたと考えられています。

ここまでの経過にも多くの不明な点が残されていますが、はっきりしているのはシェカウが死亡したことによってボコ・ハラムの活動が一挙に停滞したことです。これは斬首攻撃に効果があったことを示唆していますが、同時にISWAPが新たなテロ組織として台頭してきたことは指摘しなければなりません。ISWAPはナイジェリアとの和平の実現を拒絶しています。ただ、ボコ・ハラムのような住民を巻き添えにするような襲撃は避けています。ISWAPが力を入れているのは、支配領域で住民を懐柔し、ボコ・ハラムの戦闘員を取り込むことによって、勢力を拡大することであると見られています。シェカウが死去した後でボコ・ハラムの指揮官で降伏を拒否した10名が処刑されたことが報告されていますが、この数はその後さらに膨らんでいる可能性が高いと著者は見積もっています。このプロセスが進めば、ボコ・ハラムの構成員がISWAPに移る事例は増加するでしょう。

ISWAPは、ナイジェリア当局や国際機関に対する敵対行為は続けており、ナイジェリアの北東部で活動する国際支援機関を襲撃し、物資を奪ってそれを住民に分配することにより、支持を拡大しようとしています。ナイジェリアの国内では、ボコ・ハラムの勢力を取り込んだ後でISWAPが再び過去のボコ・ハラムのように振舞うリスクがあることを懸念しています。そのため、ボコ・ハラムの構成員を速やかにナイジェリアの社会に復帰させる必要がありますが、長年にわたってボコ・ハラムに苦しめられてきた住民の間では、元構成員を受け入れることは困難であり、このことが結果としてISWAPの採用を容易にしています。ボコ・ハラムの指導者を排除したことによって、残された構成員が新たなテロ組織の基盤になるリスクは現実のものとなりつつあります。

著者は結論において、「この事例研究は、対テロ戦略として指導者を斬首するという方法に頼ろうとすることは、テロの問題を減少させるのではなく、むしろ悪化させる可能性が高いという認識によって和らげなければならないことを示している」と述べています。ボコ・ハラムの事例に限らず、テロ組織の指導者を殺害することによって、治安を回復できた事例は世界的に見ても限られています。一個人に対して武力を用いることにより、問題を解決できると期待することは危うく、政治的状況を複雑化させる恐れがあることに絶えず注意を払うことが適切でしょう。

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