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アフリカにおける戦争の歴史を通観する:Warfare in African History(2012)の紹介

アフリカの戦争史に関する研究は比較的少なく、その軍隊の制度や戦争の特性についてはまだまだ多くの謎が残されています。同時に調査は着実に前進しつつあり、最新の研究成果をもとにして、通史的な叙述を試みる研究者も出てきています。

ロンドン大学(刊行当時の所属、現在はオックスフォード大学)の歴史学者リチャード・リード(Richard J. Reid)教授の『アフリカ史の戦争(Warfare in African History)』(2012)はアフリカの戦争史を概観するために書かれたもので、古代、中世、近世、近代、現代の戦争史の特徴を巧みに要約、解説しています。

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著者は本書の第1章でアフリカの戦争史にとって自然環境がいかに大きな役割を果たしていたのかを語っています。例えば、アフリカの歴史では騎兵を持つ国があまり多く見られません。これは中世から近世にかけてヨーロッパやアジアの各地とは対照的です。

その理由の一つは風土病であると著者は述べています。サハラ砂漠以南の森林に広く生息するツェツェバエは、致命的な感染症アフリカトリパノソーマ症を媒介します。そのため、それが一時的にでも蔓延すれば牛、羊、馬、ラクダなどの家畜に多大な被害が出ました。この風土病を根絶できなかったために、アフリカで馬やラクダを飼育し、騎兵の制度や運用を発達させることは技術的に難しかったと考えられています。

アフリカの自然環境の厳しさが戦争の形態に影響を及ぼした経路は他にもたくさんありました。著者はアフリカの険しい地形と厳しい気象は、商業の基礎となる広域輸送の妨げになっていたことを指摘しています。沿岸部の河川沿いで暮らす農耕民の社会は比較的大規模な社会を形成しましたが、内陸部で暮らす遊牧民は強奪のために襲撃戦争(raiding war)を仕掛けることがありました。

この襲撃戦争は、領土の拡張を目的としておらず、生産や生殖に必要な人口を確保する奴隷狩りを目的としていました。農地の開拓が難しい環境だったために、土地の獲得よりも人口の獲得の方が経済的に重要だったためだと考えられています。襲撃戦争はアフリカの各地で奴隷制の発達を促しました。17世紀から19世紀にヨーロッパの商人がアフリカで数多くの奴隷を調達できた背景には、すでにアフリカで襲撃戦争の慣行があったことと関係がありました。

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この点に関してもさまざまな事例が取り上げられているのですが、ここでは第3章で取り上げられているオヨ王国の例を紹介します。16世紀の末に西アフリカ、現在のナイジェリアで、騎兵の運用に長けたオヨ王国が勢力を拡大しました。先ほど述べた通り、サハラ砂漠以南のアフリカで騎兵戦術に長けた軍隊が現れることは非常に珍しく、オヨ軍の騎兵隊には高い優位性がありました。

ただ、オヨ軍の騎兵隊はツェツェバエの生息域だった森林地帯に進入できないという制約がありました。この制約のためにオヨ王国がギニア湾に向けて勢力を南下させることが困難でしたが、その森林地帯が途切れる小さな回廊地帯を確保することによってギニア湾の沿岸諸国を属国に攻め込むことが可能となり、海上貿易の道が開かれました。

海上貿易の根拠地を確保したオヨ王国は18世紀を通じて奴隷を大々的に輸出し、その対価としてヨーロッパの奴隷商人から繊維、金属、武器などを受け取り、莫大な富を蓄えました。ただし、19世紀の初めまでにオヨ王国の勢力は軍事的に衰弱し、財源だった奴隷貿易も欧米列強に非合法化されたことなどの理由で、隣国に攻め滅ぼされてしまいました。

オヨ王国は本書の中で取り上げられたアフリカの戦争史の一部にすぎませんが、この事例にはアフリカ史における戦争のパターンを考える上で興味深い特徴が数多く見られます。本書は個々の戦争の事例に踏み込んで解説するものではないので、より詳しく知りたい読者は各章の末尾に置かれた文献案内などを活用するとよいでしょう。

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