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なぜタリバンはアフガニスタンで20年も戦い続けられたのか? 『タリバンの戦争』の文献紹介

2021年現在、アフガニスタンの各地で武装勢力のタリバンが攻勢を強めています。2021年4月13日、米国のジョー・バイデン大統領はアフガニスタンに駐留する米軍の全部隊を9月11日(後日、8月31日に変更)までに撤退させることを発表しました。

米軍の全部隊が撤退しても、アフガニスタンにはタリバンに抵抗する能力があるというのがバイデン大統領の説明ですが、8月現在のタリバンはアフガニスタンの都市を次々と攻略し、勢力を急拡大させています。米国はタリバンと20年にわたって戦い続けてきましたが、アフガニスタンが抵抗力を発揮できなければ、2001年から続いたアフガニスタンの戦いの最終的な勝者はタリバンとなる見通しです。

20年近くにわたってタリバンが戦い続けることができた理由はさまざまあります。その詳しい勝因を知りたい方にAntonio Giustozziの『タリバンの戦争:2001-2018(The Taliban at War, 2001-2018)』(2019)を一読することを推奨します。

Antonio Giustozz. 2019. The Taliban at War: 2001-2018. Oxford University Press.

そもそも、なぜタリバンは戦っているのか

まず、アフガニスタン紛争の歴史を簡単に振り返っておきます。2001年9月11日、国際テロリスト集団であるアルカイダが米国で同時多発テロ事件を起こしたことを受けて、米国政府は国際テロリスト集団の撲滅を目指す世界規模の軍事作戦に乗り出しました。

この「テロとの戦い」と呼ばれた一連の軍事作戦で最初に米国の武力攻撃を受けた国がアフガニスタンでした。アフガニスタンは中央アジアの内陸国であり、人口は4000万にも満たない国ですが、国土の面積は65万平方キロメートルと日本の1.7倍もあり、険しい山岳地帯が広がっています。

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2001年の当時、アフガニスタンの大部分を支配していたタリバン政権は、アフガニスタンの国内にいたアルカイダ関係者の身柄を引き渡すように米国から外交的な要求を受け、これを拒否しました。タリバン政権は以前から対米路線を明確にしていたこともあって、同時多発テロ事件に深く関与しているはずだと米国政府は見ていました。そして、2001年10月7日、米国はタリバンとの戦いを開始し、アフガニスタンのカブールへ部隊を進軍させました。

この著作の記述は、この2001年のタリバンに対する米軍の武力攻撃から始まっています。

生き残った幹部がタリバンを再建した

第1章ではタリバンが米軍の攻撃で大きな被害を出したものの、アフガニスタンからパキスタンへと辛うじて退却できたことが述べられています。

この時期の敗北でタリバンはアフガニスタンにおける勢力をほとんど失いました。しかし、生き残った幹部は再起を図り、2002年から2004年にかけてパキスタンの北部に位置する集落、クエッタ(Quetta)とミランシャー(Miran Shah)に拠点を構築し、部隊の再建を図りました。この時期にはアフガニスタンに駐留する米軍、英軍の部隊に対し、組織的な部隊行動を伴わない即席爆発装置での攻撃や治安部隊のパトロールに対する待ち伏せ攻撃が行われました。

この時期のタリバンが動員できた兵力は以前からタリバンに所属していた戦闘員に限定されていたのですが、2005年から2009年にかけてアフガニスタンの南部に位置するカンダハール州に潜入し、そこで地元有力者との関係を構築することに成功したことで、新たに構成員、協力者を獲得しました。第2章から第3章では、この経緯が非常に詳しく述べられています。

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