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文献紹介 政治は暴力の行使と不可分の関係にある:ティリー『集合的暴力の政治』(2003)

政治を語る上で暴力は避けては通れないテーマです。戦争、内戦のような組織的な暴力の行使はもちろんですが、反体制運動として現れる暴動やテロリズムなど、集団として暴力を行使することは、さまざまな政治的交渉の手段として使われてきました。

現代の社会では集団の暴力を防ぐべき問題と捉えますが、コロンビア大学教授チャールズ・ティリーの著作『集合的暴力の政治(The Politics of Collective Violence)』(2003)は、政治は集団的暴力と不可分であると主張した研究であり、世界各地の事例を使って、その主張を裏付けようとしています。2001年のアメリカ同時多発テロ事件の後で刊行されたこともあり、テロリズムの研究と関連する研究成果にまとまっています。

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この著作の狙いは、暴力の行使を伴う集団的行動がどのように起きるのかを説明することにあります。ティリーは、この著作の主題である集団的暴力(collective violence)を2人以上の人間が協調し、物理的な損害を与える行為であると一般的に捉えていますが、これは集団的暴力の形態が時代や場所でさまざまに変化する性質があることを念頭に置いているためです。ティリーはこの多種多様な変化を促すものとして政治を位置づけています。ティリーの説によれば、政治は、ある特定の目的を達成するために暴力を行使するための策略と理解できます。もちろん、ティリーはこのような視点が万能ではないことを理解していますが、その最初の試みとして有意義であると考えています。

私なりに整理すると、ティリーの議論のポイントは次の3点にまとめることができます。
(1)集団的暴力はあらゆる政治と不可分の関係にあるが、それは政治というものが「我々」として意識される内集団と「彼ら」として意識される外集団を分離する効果があるためである。集団的暴力は集団間の境界で生じやすい。
(2)このような政治の効果が顕在化するのは、社会の中で人種、宗教、民族、階級、地域の間で憎悪感情が高まっている場合よりも、社会全体に対する国家の統治能力が弱まり、社会の治安や秩序が不安定化している場合である。社会不安が高まることが、集団的暴力の原因となる。
(3)社会に対する統制を維持するには国家の統治能力を強化するだけでなく、人々を可能な限り広範囲に国家体制に関与させることも重要であるので、権威主義より民主主義の方が集団的暴力の拡大を防ぎやすい。

ここでの統治能力とは主に治安維持の能力を指しており、境界を管理し、武器の使用、個人の攻撃を抑制する能力が含まれています。ティリーの議論では、警察力と読み替えることができる箇所が多いのですが、ここでは統治能力としておきます。

非民主的な国家は統治能力が低い場合が多いので、統治能力と政治体制を区別する必要がないようにも思われるかもしれません。ソマリア、ウガンダ、シエラレオネのような長期にわたる内戦を経験している国家には統治能力がないので、人々は自然と利己的に考え、自分が所属する集団に対する依存心、忠誠心を強めることに繋がっていると考えられます。その状況を改善しようにも、人々は国家体制に参画し、この機能を強化することができないため、国内政治で武力衝突を繰り返す状況から抜け出せません

しかし、例えば中国やイランのように非民主的な政治システムを維持しながら、強い統治能力を行使して社会を統制している場合もあります。このような場合、人々が国家体制に組み込まれていない状態が集団的暴力の要因になります。ただし、その集団的暴力は社会の中で繰り広げられるというよりも、国家が社会に対して暴力を行使するという形で現れることの方が多いと説明されています。このような体制側の集団的暴力は「暴力」や「テロリズム」のような用語で人々に認知されないように宣伝広報上の注意が払われることも政治的に重要な特徴です。

民主主義を採用しているものの、統治能力に限界があるケースもあります(選挙で暴力が使用されるケースがあるインドの民主主義については過去の記事で解説したことがあります)。また、統治能力に優れた民主主義国家では、ースも、ティリーの理論では集団的暴力の水準が内戦にまで拡大することはなく、一定の水準で推移すると考えられています。公共の場でのパフォーマンスを行うことにより、象徴的な集団的暴力が利用されているとティリーは考えます。

このような民主主義国で用いられることがあるのが「散発的な攻撃」とティリーが呼んでいる事象であり、一般にはテロリズムと呼ばれます。テロリズムは、政治的な目的を達成するために、物理的暴力を行使することですが、暴力の行使は局地的、一時的なものでしかないために、軍事的な意味はあまりありません。しかし、象徴的な行為として世間の注目を集めることができます。民主主義は統治能力が有効である限り、非暴力的な政治闘争を選択することを関係者に促しますが、統治能力に制約がある限り、暴力的な政治闘争が完全に消滅するわけではないのです。

私自身はこの著作でティリーが議論している内容のすべてに同意できるわけではないのですが、集団的暴力があらゆる政治において重要性を失うことがなく、その政治体制と統治能力によって使われ方がさまざまに変化することを体系的に説明しようとする意欲的な研究として意義があると思います。ティリーはこれ以外にも政治学の研究で多くの成果を出しているので、それらと比較しながら読み解くと理解がさらに深まると思います。

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