見出し画像

暴力を独占する近代国家は、いかにして形成されたのか『暴力と社会秩序』の書評

政治史を研究していると、現代の先進国のような形態の国家が西欧で見られるのは比較的最近のことだったことに気が付きます。特に19世紀より前の時代の国家においては、紛争を平和的に解決する司法システムが十分に機能しておらず、内乱やクーデターが起こることも珍しくありませんでした。

政治的な変動に伴って武装勢力が出現し、軍事的な衝突が起こる事態は、今の先進国の政治では考えにくいことですが、古代から近世までの国家では一般的なことだったと言えます。このような安定的な国家の形態が形成された要因を特定することは政治学において重要な研究課題です。

ダグラス・ノースジョン・ジョセフ・ウォリスバリー・ワインガストの共著『暴力と社会秩序(Violence and Social Orders)』(2009)は、制度論のアプローチを駆使した分析でこの問題に取り組んでいます。日本語でも読むことができますが、なかなか重厚な本格的専門書です。ここではその議論の要点のみを取り上げたいと思います。

画像1

著者らはいずれも経済学の領域で著名な研究者ですが、この本で扱っているテーマは国家制度の政治発展です。

彼らの見解によれば、近代経済学の問題の一つは、国家が武力を合法的に独占することを前提にしながら議論を進めていることにあります。この前提があるために、近代経済学では国家が武力を合法的に独占しておらず、内乱で武装勢力が競い合う状態の政治や経済を説明することはできないとされています。この問題を乗り越えるためには、国家の内部で武装した集団が競合する状態を分析しなければならないと著者らは主張します。

著者らが注目しているのは、19世紀の西欧で国家の形態が画期的な変化を遂げていることであり、この時期を境にして先進国と途上国の政治制度の違いは決定的なものになったとされています。

この政治発展を分析するため、著者らは前近代の国家を「自然国家」と呼んでいます。自然国家の特徴は国内において暴力的手段を保持するエリートが互いに派閥を形成し、牽制しあう状態にあったことだと著者らは論じています。それぞれの派閥はいざとなれば凄惨な殺し合いを繰り広げるだけの兵力を保有していました。国内政治においてエリートが政治的に敗北することは、死に直結していました。

ひとたび政治的に勝利すれば、勝者となったエリートは経済的な特権として既得権益を獲得することが可能になります。この既得権益を管理することを通じてエリートは連合体を形成し、暴力を抑制する法的、慣習的な規範の形成が可能になります。ただし、その規範もエリート間のパワーバランスによって発展することもあれば、衰退することもある性質のものであり、安定的なものではありません。

このような不安定な政治秩序から抜け出すことは困難です。国内で武装解除を推進しようとしても、そのことが直ちに他の派閥が軍事的な優位を獲得することになるため、それぞれのエリートは自らの身の安全を図るために武装解除を拒否すると考えられるためです。この問題を解決するためには、三つの条件を満たすことが不可欠であると著者らは主張します。それは(1)エリート間で法の支配が確立されること、(2)公的・指摘領域において永続的な組織が形成されること、(3)軍隊に対する統制を確立することです。

自然国家で形成される法的、慣習的な規範の弱さの原因は、エリート間の関係が属人的なものであることに起因すると著者らは考えました。つまり、エリート間で一定の合意が形成されたとしても、それはその世代限りのものであり、もし世代が交代すれば、新たに関係を調整する必要がありました。これだけでも紛争の原因となるところですが、自然国家では司法システムが統一できていないことが、さらに紛争のリスクを拡大します。法的、慣習的な規範に基づいて紛争を公平に処理する第三者的な機関が存在しなければ、紛争はしばしばエスカレートします。

さらに永続的な組織の形成も重要だと著者らは述べています。属人的なエリート間の関係は、エリートの寿命によって更新する必要がありますが、これでは利害の関係者が何度も大きな交渉のコストを引き受け、関係を処理しなければなりません。しかし、世代を超えて存在する組織体があれば、それが公的な組織、私的な組織であろうとも、エリート間の関係を安定させることに寄与します。それは政治の安定にとって重要な意味を持っていると著者らは論じています。

軍隊に対する統制を確立することも政治の安定にとって必要です。著者らはこれが自然国家にとって最も難しいものであると述べています。先ほど述べたように、すべての派閥が武装を放棄し、国家の軍隊に再編すると、自らの政治的な立場を不利にする危険性があるためです。しかし、先ほど述べた方の支配と永続的組織の形成によって、軍隊に対する統制を容易にすることができます。特に予算を管理する議会やその予算を執行する官僚機構が機能すれば、国家として軍隊を統制しやすくなります。

「いつ戦うかと戦いにいくら費やすかについての判断を、軍事的活動の指揮から切り離すことは重要であった。団体としての軍事組織では、軍事的指導者はどのように戦うかを決める権限を有するが、いつ戦うかといくら費やすかについての権限はない。別の社会組織が、いつ戦いそれにいくら費やすかを決める権限を持つのである。これら二つの判断を下す権限を分離することが、確立した軍隊を政治的コントロール下に置くことにつながる」(邦訳、214頁)

これら3つの条件を満たすことができれば、自然国家から内戦のリスクが抜本的に取り除かれ、より安定した近代的な国家へと移行することが可能になります。もちろん、これは条件が満たされたならば、直ちに移行するという意味ではありません。著者らは政治発展が一進一退のものであり、時には大幅に後退する可能性があると見なしています。しかし、18世紀末から19世紀にかけて、イギリスやフランス、アメリカがいち早くこれらの条件を満たすことに成功すると、続々と新しい政治システムが導入されることになり、それが固定化されていきました。この新しい政治システムを著者らは「アクセス開放型」と呼んでいます。

著者らは19世紀の国家形態の転換を説明するため、移行が進んだプロセスを具体的に記述しているのですが、特に注目されるのは公的領域では政党組織が、私的領域で会社組織が発展したことです。ここではイギリスの例を紹介します。イギリスは19世紀に入った時点ですでに選挙制度が存在していましたが、選挙民が500人を超える44の選挙区で選挙が実施されていたのは23区に過ぎず、選挙による候補者間の競争は形骸化していました。国会議員の大部分が選挙による競争ではなく、特権的な身分によって選ばれていたのです。しかし、1832年の選挙法改正でこの制度が打破されることになり、より公正な選挙が実施されることになりました。これは政治権力にアクセスする機会を拡大する上で重要な一歩でした。

この選挙法改正では投票者が登録することを義務付けていたのですが、これは登録者リストを管理するための新しい政治組織の発達を促し、これが近代的な政党を生み出すことになりました。この政党を単位とした選挙での競争はその後のイギリスの政治制度の中核を構成することになり、政治政治の長期的な安定に寄与したと考えられています。

このように、アクセス開放型の特徴は、政治的・経済的な地位へのアクセスを広く開放し、属人的なものにしないことにあります。エリート間の競争がなくなるわけではありませんが、公平かつ中立な法体系が機能しており、政争が暴力の使用に繋がることは厳格に制限されています。自然国家からアクセス開放型への移行に関する著者らの分析は、現代の国家が歴史上の国家の形態を少し手直ししたようなものではなく、暴力的な政治闘争の問題を抜本的に解決する上で画期的な制度だったことを示しています。


調査研究をサポートして頂ける場合は、ご希望の研究領域をご指定ください。その分野の図書費として使わせて頂きます。