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みな自分だけの「移動祝祭日」をもっている。ヘミングウェイの「移動祝祭日」

緊急事態宣言があけて、やっと大学の授業が対面で行われることになった週末。叡山電車茶山駅で降りたとたん、どこからともなく金木犀の香りがした。京都と金木犀の組み合わせ、祝祭感がすごい。わたしにとって京都は「移動祝祭日」なのだ。

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ヘミングウェイの「移動祝祭日」

青春時代を過ごしたパリを「移動祝祭日」だといったのは小説家のアーネスト・ヘミングウェイだ。

「もしきみが幸福にも青年時代にパリに住んだとすればきみが残りの人生をどこで過ごそうともパリはきみについてまわる。なぜならパリは移動祝祭日だからだ」 

ーある友へ アーネスト・ヘミングウェイ、1950年『移動祝祭日』

小説家になるために文章修行をしながら青年時代をパリで過ごしたヘミングウェイが、晩年になってその当時を思い出して書いた自伝エッセイが「移動祝祭日」である。青春時代を過ごした街はどうしたってついてまわる。わたしにとっては京都になるのかな。

アーネスト・ヘミングウェイ(1899−1961):アメリカの小説家・詩人。失われた世代(ロストジェネレーション)の作家。代表作に『誰がために鐘はなる』『武器よさらば」『老人と海』など


フィッツジェラルドとの旅

ところでわたしはこの本を最初「小説」だと思いこんでいた。大学の授業で「好きな小説を100篇リストアップする」という課題が出て、ヘミングウェイをリストに入れたらちょっとかっこいいかな、というよこしまな気持ちで急いで読んでみたのだ。ところが読み進めるにつれて、どうも様子が違う。小説なのにちょいちょい実在の人物が出てくる気がする。ジョイスってあの「ユリシーズ」のジョイス? え、ちょっと待ってこれはもしかしてエッセイなのでは? と不安に思いながらさらに読み進めると、とうとうフィツジェラルドが出てきた。「おいおいフィッツジェラルド出てきちゃったよ」

スコット・フィッツジェラルド(1896−1940):アメリカの小説家。ロストジェネレーションの作家で、1920年代の「ジャズ・エイジ」を描いた小説『グレート・ギャツビー』で名を馳せる。

フィッツジェラルドが出てきてしまったからにはもう小説じゃないことは決定なのだが、そんなことはどうでもよくなるくらいに、フィッツジェラルドとのくだりが面白くて最高なのだ。笑っちゃう。とにかくフィッツジェラルドは(あくまでもヘミングウェイの視点から見て)ものすごく変わり者だ。いっしょに旅行しようと言ってふたりで盛り上がったのに、待ち合わせの場所には来ない。ようやく追いついて来たと思ったら、オンボロの屋根のない車でやってくる。オープンカーではない。ただ屋根が壊れているのだ。そのため雨にあたって風邪をひく。(フィッツジェラルドが)さらにいっしょにディナーを取っているのに、奥さんに電話をかけに行ってしまい、ヘミングウェイは待ちぼうけをくらってしまう。

初めにガラスの水さし一杯のフラーリといっしょに、とてもうまいカタツムリが出た。私たちがそれを半分くらい平らげたところで、スコット(※フィッツジェラルド)の電話がつながった。彼は一時間ほど戻って来なかったので、私はとうとう、彼の分のカタツムリまで食べ、バターやニンニクやパセリのソースを、ちぎったパン切れですくいとり、水さしのフラーリを飲んだ。彼が帰ってくると、わたしは、彼のためにもっとカタツムリを注文しようと思ったが、彼はもういらないとのことだった。 

『移動祝祭日』アーネスト・ヘミングウェイ著

わがままか!

で、このあと彼はほとんど食べずに酔いつぶれる。フィッツジェラルドはものすごくお酒に弱いくせに、いつもお酒に飲まれてしまうのだ。あまりの困ったちゃんぶりになんでこんなやつとといっしょにおんねん! と心の中でツッコミながら読んでしまう。けどなんかいつも二人でつるんでるのよねえ。なんだかんだ仲良しなのだ。ちょっとそういうの、いいなあと思ったりする。

このフィッツジェラルドとの旅のシーンは、読んでいて本当に楽しかった。でもひとつだけ注意点がある。もしもあなたがダイエット中だったり、禁酒中だったりしたら、この本は絶対に勧められないということ。だって食べ物の描写があまりにも魅力的だから。

小さな大根と、子牛の肝フォワ・ド・ボォーにマッシュポテト、それにオランダぢしゃのサラダ。アップルパイ。 

『移動祝祭日』アーネスト・ヘミングウェイ著、岩波書店

日常的にお酒を飲まなくなって、もうすっかり飲まなくても平気になったわたしですら、久々に冷えた白ぶどう酒を飲めたらどんなに素敵だろうと思ったほどだ。

私たちは、リヨンのホテルから、すばらしい昼弁当をもってきていた。それは、ショウロで味つけした、とてもうまいロースト・チキンと、おいしいパンと、マコンの白ぶどう酒だった。  

『移動祝祭日』アーネスト・ヘミングウェイ著

「すばらしい」「とてもうまい」「おいしい」「マコンの白ぶどう酒」なんの変哲もないごくシンプルな言葉なのに、なんでこんなにおいしそうなんだろう。たまらない。こんな文章が書けたら。

わたしたちの移動祝祭日

さて、話は京都に戻る。

わたしにとって「残りの人生についてまわる街」と言ったらやはり、(最初の)学生時代を過ごした京都だと思う。北白川、銀閣寺、出町柳、そして鴨川。卒業して何年もたったあとでこうしてまた母校の大学にまた通い始めたのは、ただ単に京都に戻る理由が欲しかったのかもしれない。

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叡山電車の茶山駅で降りたとたん、どこからともなく金木犀の香りがした。京都はたぶん、神戸よりもすこしだけ、秋の訪れが早い。大学へ向かう道の途中、金木犀の香りを辿って歩いてみると、疎水沿いに金木犀の植えられた遊歩道を見つけた。小川にかかる橋には「高原(たかはら)橋」と書いてある。わたしがかつて(最初の)学生時代を過ごした高原たかはら校舎のすぐ近くだ。

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こんなところに金木犀の木がたくさんあったんだ。知らなかった。香りだけ覚えていた。ふとむかしの気持ちが蘇ってきて切なくなる。

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金木犀の香りって「あの頃好きだったひと」をふと思い出してしまうようで、YouTubeできのこ帝国の「金木犀の夜」を聴いたら、コメント欄に「あの頃好きだったひと」の思い出がたくさん書いてあって、ウンウンと思った。わたしあの頃がんばって恋してたなって、みんな思うんだね。

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失われた世代だなんて言わないで

さて、ヘミングウェイやフィッツジェラルドは「失われた世代」つまりロストジェネレーションの作家だと言われている。

「失われた世代」か。今の若い人たちも、そう呼ばれていくんだろうか。受験期をがっつりコロナ渦で過ごし、大学に入っても今週までほとんど登校できていなかった大学一年生の息子も「俺らコロナ世代って言われるんやろうな」って言っていた。

でも、息子が大学生だから、さらに自分が学生だからいうわけじゃないけど、今の若い人たちを、「失われた世代」って言うな。って、思ってる。わたしは若くないけど、そう思う。

ヘミングウェイは「移動祝祭日」のなかでこう言っている。

あらゆる世代は、何かによって失われた。今までずっとそうだったし、これからもずっとそうだろう。  

アーネスト・ヘミングウェイ『移動祝祭日』

アーネスト・ヘミングウェイは、アメリカの「失われた世代(ロストジェネレーション)」の作家の一人だ。1920年代〜1930年代に生まれた世代で、第一次世界大戦が勃発した頃に20代の青年期を過ごした世代をいう。彼らはその後、戦後の復興期である「ジャズ・エイジ」を謳歌しながらも、大きな喪失感を抱えていたと言われている。

ヘミングウェイが「あらゆる世代は何かによって失われた」と言われているように、実はわたしたち世代も「ロストジェネレーション(ロスジェネ)世代」と言われている。(1970年〜1982年生まれで、バブル崩壊後の10年間に就職活動をした世代)

そして今の若者たちはコロナによる「失われた世代」だと言われるのかもしれない。そんなこと言わないでほしい。だって、あの子らけっこうたくましいよ。勉強してるし、 SDGsは当たり前だし、デジタルも便利なものも上手く使いこなしながら、新しい時代のコミュニケーションや働き方をつくりだせる世代だと思う。

きっと若者たちは、わたしたちの世代が思いつかないような、新しくて自分たちらしい方法で、ひとと繋がり、そしてたくましく生きていくんだろうな。

「移動祝祭日」とはつまり、人生のある一時期、何かになりたくて一生懸命になっているときに過ごした居場所だとも言えるかもしれない。

それは街とかじゃなくて、ネットやSNSでの場かもしれないし、ゲームかもしれないし(ゲームで知り合ったっていう新郎新婦さん、実は少なくないのだ)、憧れの場所かもしれない。きっと大人じゃ思いつかないような、なんだろう、そういう「居場所」みたいな大切な場所をつくっていくんだろう。

それは若いひとだけじゃなくて、大人もそうだと思う。何かに一生懸命になってるときは「青春時代」にちがいないもの。今のわたしの「大学」生活だって、振り返れば「移動祝祭日だったな」と思うかもしれない。いまはレポートに苦戦していて、あんまり余裕がないんだけど。


みんなが自分だけの移動祝祭日をもっている。

なければここからつくればいいよね。



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だれにたのまれたわけでもないのに、日本各地の布をめぐる研究の旅をしています。 いただいたサポートは、旅先のごはんやおやつ代にしてエッセイに書きます!