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大学の図書館でサルトルの小説を借りたら、ロマンティックがとまらない

いったい誰なの? こんな素敵なことをしてくれちゃったのは。

大学の図書館で借りた本に、四つ葉のクローバーがはさんであったのだ。なんとロマンティックな!

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この中の誰なの? そのロマンティックさんは。妄想が止まらない。学生さんかしら。もしかするとわたしのように、ずいぶん大人になってから通信制大学に通い始めた学生さんかもしれない。

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でもサルトルさん、そのタイトルはちょっと

二週間前、大学の図書館で課題図書を借りた。海外の古典文学の授業のためにいくつか挙げられた本の中から、一冊以上を読まないといけなかったのだ。目録を検索して、分類番号から本を探す。いくつか挙げられた本の中で、書架に見つかったのはこのサルトルの一冊だけだった。つまり、残りものである。

それもそのはず。

タイトルがなあ〜。「嘔吐」って……。それはないわ。

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それだけで読む気がすっかりなくなってしまうようなタイトル。(ごめんなさい)もともとは、「メランコリア(憂鬱)」というタイトルだったそうだけど、サルトルさん、なんでそれにしとかんかった!と思いつつ、しかたなく借りて帰ることにした。

ジャン=ポール・サルトル

ジャン=ポール・サルトル(1905ー80)は、20世紀西欧の生んだ思想家・文学界の巨人だった。彼は哲学者でもあれば小説家でもあり、劇作家でもあれば伝記作家でもあり、とくに第二次世界大戦後は、その発言が世界的に注目された知識人として活躍した人物でもあった。サルトル「嘔吐」訳者あとがきより 鈴木道彦

さて、「嘔吐」はそんなサルトルさんが書いた処女作と言ってもいい作品である。

しかしタイトルがなあ〜。同じ古典文学の課題図書のなかで「ハムレット」はすでに読んでいたから、まあこれは借りてはみたけど読まなくてもいいか。と思いながら本をパラパラめくってみると、ページの間からはらりと四つ葉のクローバーが出てきた。

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あら。誰がこんな粋なことを。しかも四つ葉だし、とっても綺麗に押花にしてある。きちんと水分も取ってあり、だから本に緑色もついていない。四つ葉のクローバーをしおりにするという遊び心を持ちつつも、ちゃんと本も大切にする人だと思った。好き。わたしが古いものが好きで、ドレスのリメイクを仕事にしていることもあって、ものを大切にする人全般が好きだけど、特に本を大切に扱う人は信頼ができる。

これには何か意味があるのかもしれないと、ワクワクしてクローバーの挟んであったページの文章を読んでみる。

 ウェイトレスが電気を点ける。まだ二時になったばかりだが、空は真っ暗で、縫い物の手先がよく見えないのだ。穏やかな光。人びとは家にいる。彼らもおそらく電気を点けたことだろう。彼らは本を読んだり、窓から空を見上げたりしている。この人たちにとって……それは別なことだ。彼らは違うやり方で歳をとった。遺産や贈り物に囲まれて暮らしており、家具の一つひとつが思い出である。置き時計、メダル、肖像画、貝殻、ペーパーウェイト、屏風、肩掛け。戸棚には、瓶や、布や、古着や、新聞などが、ぎっしり詰まっている。彼らは何もかも保存している。過去、それは所有者の贅沢だ。 ジャン=ポール・サルトル「嘔吐」人文書院、111頁

ぐいっと引き込まれた。ちょうど梅雨時で空は真っ暗だったからなのかもしれないし、わたしが縫い物をしていたからかもしれない。それに置き時計、屏風、瓶、布、古着、新聞という言葉に、かつて8年間を過ごしたわたしのアトリエのある古いビルを思い出して、懐かしくなった。でもそれももう、過去のことだけれど。

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いったいどこに私は過去をとっておくことができようか? 過去はポケットに入らない。過去を仕舞っておくためには一軒の家を持つ必要がある。私が所有しているのは自分の肉体だけだ。まったく独りぼっちの男、ただその肉体しか持っていない男は、思い出を固定することができない。思い出は彼を通り過ぎてしまう。それを嘆くべきではないだろう。私はただ自由であることのみを欲したのだから。 ジャン=ポール・サルトル「嘔吐」人文書院、111頁

四つ葉のクローバーが教えてくれたこの一節にぐっと引き込まれ、それから“自由であることのみを欲した独りぼっちの男” に興味が湧いて、わたしはこの本を読んでみることにした。

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サルトルの「嘔吐」とは

物語の主人公「アントワーヌ・ロカンタン」は世界各地の旅行を経験した後に、架空の街ブーヴィルの安ホテルに住み着いた30歳の独身青年である。彼は18世紀ヨーロッパやロシアのロルボン公爵(架空の人物)に関する歴史的な研究をしている。この小説は、彼の「日記」という形式で書かれてる。全体を通して、「過去」や「モノ」そして「存在」についての哲学的な小説だ。

主人公ロカンタンはまあ、陰気な男だ。いろんなことをこむつかしくごちゃごちゃ考えている。でも嫌いじゃない。むしろ好き。ロカンタンの考えていることは哲学的すぎてわたしには理解できないこともあるんだけど、理解できないままにこの彼の思想の中に居たい気持ちになってくる。

また風景や、心情や、色に対する描写が文学的に美しくてうっとりする。例えば「黒」に関する描写はこんな感じ。

そこに、私のすぐ足許にあるこの黒は、黒のようには見えなかった。むしろそれは、黒を一度も見たことのない人が黒を想像しようとする、混乱した努力のようだった。 ジャン=ポール・サルトル「嘔吐」人文書院

「混乱した努力のような黒」ですって。うっとり。ちょっと村上春樹っぽくもある。現実にいたらめんどくさそうだけど、本の中に居てくれたらとっても素敵なロカンタン。少しのあいだロカンタンの世界に居られたわたしは文学的にしあわせだった。でも四つ葉のクローバーがなかったら最後まで読んでいなかったかも。挟んでくれたロマンティックなひと、ありがとう。

共犯者たち

さて、週末はまた大学に行くので、この本を返さないといけない。もちろん、四つ葉のクローバーはそのままにしてそっと返そうと思っている。はさまれていた頁も変えずに。

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もちろんどのタイミングで、誰がはさんだかはわからないし、借りた人の中にはわたしが最初にそう考えたように読まずに返した人もいるとは思うけれど、何人かはこの四つ葉のクローバーの存在に気づき、同じようにそっと丁寧にはさんだまま返したはずだ。

いわば、わたしたちはこの本のちいさな秘密を共有した同士、共犯者たちだ。

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そう考えると、ただの日付の数字の羅列が、意味のあるロマンティックなものに思えてくる。

愛しい人の誕生日のように。

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読書ってこんな出会いがあるから面白い。





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