在住歴20年が話したい本当のタイと見てきたこととうまい話と
タイ以外の話をここに。
タイの日常、生活、観光などをまとめたマガジンです。
2020年1月1日以降に執筆した時事ネタをまとめたマガジンです。何年かして読み返したときの備忘録的に。
タイ在住ライター高田胤臣をまとめたマガジンです。
タイを中心に東南アジア全般における心霊・怪談、B級サブカル、ヤバめなネタなどを集めたマガジンです。
動画をまたアップした。水曜土曜にアップしようということで動いているけれども、自宅のネット環境が非常に悪く、朝アップを開始しても夕方にギリという感じだ。今のところは13年は住んでいるので、マンション敷地内に埋め込まれている回線の大本が古いらしく、もう早くすることはできないのだと電話会社にいわれており。今後は前日以前にアップしないといけないなと。 今回はバンコクの旧市街を巡る5回シリーズの1弾めだ。黄金の丘とも呼ばれるワット・サケットに行ってきた。ワット・サケットは日本語だと
YouTubeのチャンネル『タイ・東南アジア裏の歩き方ch』の動画を先週、今週の2回に分けて、前編・後編をアップしている。宣言すると守れるかどうかわからないので軽く言うと、今後は水曜日と土曜日の週2回アップを当面のルーティンにしていこうかと。 ちなみに、登録者数が同チャンネル名で再開して約1週間くらいで100人を突破した。登録してくれた方にも感謝だし、SNSで紹介してくれた人にも助けられたと思っている。 さて、今回はバンコクから西に130キロくらいにあるカンチャナブリ
タイへ帰国して1ヶ月ちょっとが経った。2020年9月下旬に日本に戻り、その際、妻には年末年始の前かあとかのどっちかに帰るわ、といいながら、2回も日本で年末年始を過ごすという。 人生の中でほぼタイの方が長い状態なので、日本を正直悪く見ていたのだが、過ごしてみれば思ってたほど悪くなく、居心地がよくなってしまい。やはり、日本は食事がうまい。そして、安い。それから、住んでいる人には特になにも感じないものも、外国人目線的に見ると本当に素晴らしいと。このブログを日本で呼んでいる人には
9月23日、靖国神社にある博物館「遊就館」入り口に展示されている、静態保存の日本製蒸気機関車C56型の汽笛が鳴った。この汽笛が鳴ったのは実に40年ぶりだ。 この日、汽笛吹鳴が行われたのは、第2次世界大戦時に旧日本軍によってタイとビルマ(現ミャンマー)間に建設された泰緬鉄道を最初に走った蒸気機関車、C56型の31号機だ。戦後、研究家によって発見されたこの機関車が昭和54年に日本に帰還し、靖国神社に奉納された。そのときに行われた式典以来の吹鳴だ。 当日は快晴で、暑かった
気がついたら、4ヶ月もnoteを放置していた・・・。 ふと、妻とのLINEのやり取りで思ったというか、思い出したというか。タイ文字の学習について、わりと若いタイ人とやり取りしていた方が習得しやすいのではないかなと思った話を。 基本的に、ボク自身のスタンスとしてはタイ文字は難しくない、と思う。日本語でいうところのひらがなしかないようなものなので、ちょっと勉強すれば簡単に読めるようになる。 ただし、あくまでも「読める」ようになる、である。結局のところ、タイ文字そのも
この投稿で連続投稿が500日を達成した。2020年1月1日から始めて、いろいろと書いてきた。2年連続かあるいは600日とか700日というところで区切ってもよかったけれど、だんだん日本滞在が長くなってきて、ネタ切れとボク自身の精神的な疲れが出てきたので、500日でいったん連続投稿の縛りから解き放たれてみてもいいのかなと思い。 今後はアクセスのよかった内容などをいろいろ考えて、今以上にしっかりと取材や考察をした記事をアップしていきたいと思う。そうなると必然的にアップは不定期
日本から見ると東南アジアの国々は大きく一括りにしがちだが、各国に独特の文化がある。たとえばタイの仏教は、仏教伝来以前からある精霊信仰と深く習合していて、近隣諸国の仏教はまったく違う。そんな例がたくさんある。 中でも、タイにはタイ独特の刺青がある。ラオスやミャンマー、カンボジアにもあったようだが騒乱などで廃れていき、タイが突出して発展している。そんなタイの独特な刺青は「サック・ヤン」と呼ばれる。宗教的な刺青であり、タイ人はお守りとして身体に彫る。ボクはこれを日本語で「護符
今一番したいことをあれこれ考えてみたら、バイクで東南アジアを一気に走ることかなと。タイは10年くらい前から大型バイクも手に入るようになった。それ以前はほとんど見かけなかったが、ホンダが大型バイク専門店を出すなど、金さえあれば容易に乗ることができるようになった。ま、金さえあればの夢の話なんだが。 以前は車でもいいかなと思っていた。こういう時世であり、暇なのもあって、本気で走ろうと考えてみた。すると、車だとどうかなという気がしてきた。実際、平日は子どもの学校の送迎にも使って
タイ人と結婚した。2006年5月のことだ。ただ、海外在住で現地にて婚姻手続きを始めると日本で婚姻が成立した日がよくわからない(もしかしたら戸籍などを見れば受理日が記載されているのかもしれないが、手元にないのでわからない)。というのは、タイの場合は在タイ日本大使館に婚姻届けを最後に出し、大使館が代わりに日本のしかるべき役所へ郵送してくれるので、受理日は大使館ではわからないからだ。そのため、ボクら夫婦はタイで成立した5月2日を結婚した日としている。 2006年というと今から
ボク自身が持つ2002年の7ヶ月間が日本滞在最長記録だったが、今回の日本滞在はすでに半年になり、2000年以降の最長記録が更新されようとしている。タイも対策優等生とも言われているにも関わらず、ここのところ毎日、市中感染者数や死亡者の数の記録更新をしているところだ。日本の方が圧倒的に多くて、人口比で考えてもタイはまだ少ない方ではあるけれど、感覚的にはタイも危機的状況だと思う。 この前、日本の緊急事態宣言を5月末まで延長するというニュースを見ていて、タイと日本の対策や考え方
改めて思い返すと2010年前後を境に、バンコクの和食シーンが大きく変わったなと思う。それ以前は本当においしい店なんてそうなかった。あっても、企業が接待で使うような高級店がトンローなどにあるくらい。それ以外の大しておいしくない店も、バンコク生活の一般的な物価感覚からするとかなり高額だった。 「原始焼き」はいつごろバンコクにできたのかよく憶えていないが、すでに和食ブームが来てからのはず。最初の店はスクムビット通りソイ26の北朝鮮レストランと同じ敷地内だったはず。 そういえ
数年前に韓国の軍艦が自衛隊の航空機にレーザー照射して国際問題になったとき、ネットのニュースなどでは日韓の関係が非常に悪くなったという記事が多かったので、日韓は危機的状況なのかと思っていた。しかし、日本滞在時に用事があって新大久保に行ったら、韓国のバラエティー番組と思しき取材班や無名の韓国アイドルが宣伝活動を普通にしていた。全然報道と違うじゃないかと思ったものだ。 日本にいないので、日本の情報は基本的にネットからしか得られない。タイにいるときには日本から来る人と話す機会は
ここ10年くらいのタイしか知らない人には信じられないかもしれないが、それ以前のバンコクは和食店がそれほど多くなくて、在住者はわりと和食に飢えていた。今だと日本の有名店や、日本で実績のある経営者や料理人が和食店をやっていて、だいぶおいしい和食にありつけるようになった。 一時期は香港やシンガポールの駐在員がバンコクの和食バラエティーの豊富さとおいしさを羨ましがっていたほどだった。それ以前は和食店が少なく、どんなにまずくても客が入った。それだけ優良店は貴重だった。だから、20
世界中どこを見てもいじめはある。タイの学校でももちろんそうだ。けれどもうちの子どもの学校では聞いたことがない。たまに娘がクラスメイトと出かけることがあって、集合場所を見に行ったら、クラスの子たちがほぼ全員集まっていたので、仲はよさそうだった。妻の子ども時代でもいじめというのはなかったようだし、タイでは今のところ社会問題化するほどではないような気がする。 日本のいじめは陰湿だから問題になるのかなと思う。バンコクの日本人社会を見ても、ちょうど1年前くらいからTwitterで
タイに初めて来た人が行く観光スポットの定番はエメラルド寺院+ワットポー+ワットアルン、それからアユタヤ、そして「ダムヌンサドゥアク水上市場」でしょう。ボクはことごとくこの辺りを外しまくり、住み始めてから初めて行ったくらいだ。タイの物価とかを知り、かなりタイ語が上達してから行ったからというのもあるのと思うが、ダムヌンに関しては悪質さを感じるほど受け入れ側が酷かったので、行きたいという人がいれば連れて行ってあげるものの、家族で遠出する場合でもここには絶対に行かない。 確かに
スリウォン通りは、かつてバンコクの原宿などと呼ばれたサイアムスクエアの南の方にある通りで、バンコクではスクムビット・エリアよりもずっと下町で古い感じのする場所だ。今でこそ日本人の生活者か観光客の中心地はスクムビットだけれども、20年くらい前はこのエリアにも日系企業は多かった。 そんなスリウォン通りにソイ・タンタワンがある。移住歴を2002年としているが、実際にボクが初めてタイで生活をしたのはそれより前で、2000年6月から2001年8月にかけてのことだ。そのときに住んだ