バンコク旧市街巡りシリーズ・ワット・スタット
動画をまたアップした。水曜土曜にアップしようということで動いているけれども、自宅のネット環境が非常に悪く、朝アップを開始しても夕方にギリという感じだ。今のところは13年は住んでいるので、マンション敷地内に埋め込まれている回線の大本が古いらしく、もう早くすることはできないのだと電話会社にいわれており。今後は前日以前にアップしないといけないなと。
今回はバンコクの旧市街を巡る5回シリーズの1弾めだ。黄金の丘とも呼ばれるワット・サケットに行ってきた。ワット・サケットは日本語だと「ケット」だけれども、タイ語だと「ケート」と長母音でも読め、ボクはずっとサケートと思ってたので動画内ではサケットといいつつ、字幕はサケートになっている。
ここは地元民が通う現役の寺院でもあるし、観光スポットでもある。実はこの周辺は「プラトゥー・ピー」と呼ばれている。幽霊の門だとも訳せるが、実は正確には「死者の門」を意味する。
というのは、バンコクでは1800年代に疫病で多数の人が亡くなったことが2回も起こっている。そのときの火葬場に指定された3つの寺院のうちのひとつがこの寺だった。その際に、遺体を運び込む門があり、そこには火葬のキャパシティーをオーバーしたことで大量の遺体が並べられ、それが先の名称になったきっかけだ。
その後、やはりこの地域ではタイ人による心霊体験談などがあとを絶たない。とはいっても、誰かにあとをつけられたとか、人がいたと思っていたら、いつの間にかいなくなっていた、といった、まあ怪談としてはありふれた話なのだが。
時代的に写真機があったのか、そのころの様子がタイ語で検索すれば見ることができる。先述では火葬のキャパオーバーとしたが、ではその門に順番が来るまで置いておいたのかというと、そうではない。
それは鳥葬だ。
実はタイには1970年代くらいまでハゲワシ類がいたのだそうだ。動物の死肉を喰らうのだが、タイも近代化が進んでいく中でそういった野生動物などの死骸がなかなか見つからず、タイ国内では絶滅しているとされる。
しかし、1800年代はまだたくさんいたわけで、そのハゲワシたちに疫病で亡くなった人たちを処理してもらっていたという。その様子をオブジェにしたものがワット・サケートのコースの最後の方にある。このオブジェは疫病のことを忘れないためもあるし、絶滅したハゲワシを取り戻したいという意味合いもあるようだ。動画内ではそういったことには触れていないけれど。
本当に偶然なんだが、カンチャナブリの動画と来ている服が同じだ。タイではこの色合いの服はタクシー運転手と同じなので、なんか嫌だなと思っている。しかも、残り4回は続けて撮影しているので、しばしタクシー運転手が日本語で観光案内をしているみたいだ・・・。