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第6章 方程式無き、後継者育成(1)偽善者の顔を、どうしても破棄できない。

 ニューカッスル国際空港に現れたモリ・アユムに気がついた人々が、握手を求めて近づいて来てアユムを囲む。すると、その小さな集まりで奇声を上げる人が出ると、「誰か有名人でも居るのか?」とワヤワヤと人が集まってくる。公共の場に於ける、著名人のあるあるネタの一つだ。
昨日のCLでのホームゲーム、イタリア・ジェノバ戦のヒーローを労い、称賛の声を掛けられ、握手を強要される。急いでいるので、並んでの写真は許して下さいと言いながら、少しづつ撤退してゆく。もし、ホームで負けていたなら「兄弟たちや親類縁者が多いから、手を抜いたんだろう!」と罵詈雑言を浴びせられ、ついでに水でも掛けられていたかもしれない。そんな可能性を想像して思わず笑い出す。来月3月上旬には、シーズンが終わる。チームに優勝の可能性は無いのだが、なんとか3位以内に入って、来季もチャンピオンズリーグ出場の権利は得たいと考えていた。
サウジの王族オーナーが、「起爆剤にしたい!」とアユムの古巣復帰を要請したのが、昨年11月だった。シーズン後半から、ひょんなきっかけで中国リーグで選手に復帰していた歩は、年末に中国プロリーグのシーズンを終えると、数多の声を断って、2037年に引退時まで在籍していたプレミアリーグ・ニューカッスルに年明けに選手登録し、プレイを始めた。

中国で試合に臨んでいるうちに、徐々に試合勘を取り戻し、状態にも満足していたので、すんなりとイギリスでの復帰を受け入れた。せっかくコンディションの整った体を、使わない手はないと判断した。
鉄鋼王、造船王とも呼ばれるドイツ企業の会長職でもあり、残りのシーズンも限られているので、基本給は無給でお願いした。企業側に急遽時間が割かれてしまう可能性もゼロではないからだ。ここまでは勝った試合の勝利ボーナスだけを得ていた。
自らがオーナーを務めるスペインのクラブを有しているので、「復帰はないとほざいて引退しておきながら、あんなプレイしやがって、しかもタダとは!相手するチームを愚弄するにも程がある!お前は、詐欺師野郎だ!」と、オーナー達から罵倒される。昨日は対戦相手のオーナーである義姉から怒りのメールが届いた。試合が終わった後でチームの皆さんを夕飯にご招待したのに、まさかヴェロニカから怒られるとは思わなかった・・。

今週はチャンピオンズリーグの試合があったので変則的となったが、通常は試合翌日、日曜にドイツに向かい、月曜日から会長職に就く。再びイギリスに戻るのは木曜の午後だ。金曜の全体練習から参加して、翌日の試合に望むのも最近になってようやく慣れてきた。これが許されるのも監督とは旧知の間柄であり、アラブのオーナーからも復帰時の条件として認めて貰っている。
対価として無給で甘んじ、自分の中での扱いは「趣味の一環、もしくはアルバイト」の様に捉えている。無給としたのは通用しなかった際の保険でもあるのだが、そんな戯言を言ってもプレミアリーグだ。試合に負ければ「てめえ、サッカー舐めてんのか?」と観客席からモノが飛んでくるだろう。ニューカッスルは港湾工業都市で、労働者階級が殆どなのだ。酷い負け方をしようものなら暴動が起きかねない。しかも間の悪い事にイギリス経済は・・絶不調だ・・。

土曜、水曜と連続して試合に出たので、次の試合はベンチに廻る。多分出場する必要もないだろう。以降は最終戦まで下位のクラブチームとの試合が続くので、若干だがチームは手を抜ける。
変則的な1週間となったので、今週はドイツへは向かわずにアイルランド・ダブリン郊外の自らが所有する牧場へ移動する。
午後に本社にドイツの産業大臣がやって来るのだが、会談にはネットで参加する。その代わりの不在中の応対を、社長と、バイエルン・ミュンヘンに所属している執行役員、実弟の圭吾の2人に大臣のお守りを要請している。欧州はサッカーに対して寛容だ。アジアではこうはいかないだろう。弟の圭吾は、国内の移動なので既に朝から出社して、今は新事業となるホバークラフトの開発会議に出席している頃だ。

ティッセン・クルップ社の事業は多角化を図っているとは言え、アルセロール社も含めた製鉄事業が基幹であるのは変わらない。子会社の造船部民は日本と韓国の造船所を参加に加えて、世界一となった。歩の肝いりで始めた、ロボット管理による畜産生育事業は世界各所に展開し、出荷の勢いは増すばかりで衰える気配がない。2034年にアイルランドの牧場を手に入れ、放牧主体の和牛生育事業を始めて、イギリス国内で和牛ステーキ、焼肉の店舗を主要都市に展開していった。2038年の選手引退後に食肉用の酪農を止め、アイルランドの牧場は「牛と鶏の出産、幼体生育、子牛・ヒヨコ販売」に転じた。健康な牛、豚、羊、鶏と、一部でアヒル・鵞鳥の幼体生産に舵を切ったのも、生育・飼育がロボット管理に向いていると判断したからだ。ロボットは24時間体制でも何ら苦に思わずに、甲斐甲斐しく幼体と母体の飼育に取り組んでくれている。            

日本・北朝鮮・ベネズエラのPB建設とRS建設に代表される、モビルスーツを建機として使い、人型ロボットが建築現場で作業する「人件費の掛からない建設現場」をウリとする建築会社の世界的な成長に合わせて、必要な鉄骨と鋼材を提供している。
5年前に始まった水素運搬船に引き続き、新たにアンモニア運搬船の需要で造船向けの構造鉄骨や装甲用の鉄板を供給している。その造船事業もティッセン社の関連会社で行っている。    
先月、日本のプルシアンブルー社がベネズエラ企業プレアデス社の10拠点の日本工場を買収し、4月からプルシアンブルー社としてモビルスーツやシャトルの製造を始める。同社からの新たな開発要請は、宇宙船やモビルスーツの筐体で使われる外装装甲用の特殊鋼開発だ。元々、火星の限られた設備しかない小工場で、特殊鋼の生産工程の無い環境の為、必ずしも均一な材質の鋼鈑製造が出来ないらしい。その為に外装に標準的に加工されたチタンが使われている。チタンは融点が約1600℃、沸点が3200℃と鉄やアルミよりも耐久性に優れており、海水に対する耐久性も高いという点で暫定的に採択されている。例えば、モビルスーツの内部構造や部品に関して、機能向上を目指して改良する段階に至るには、プルシアンブルー社にとって上位技術の理解が出来てからとなるので時間が掛かる。しかし、外装部分は何時でも性能の良いものに素材を置き換えられる。鉄鋼・特殊鋼・金属加工に関しては、ベネズエラに勝る数少ない産業でもある。       
アユムの父親が日本工場をプルシアンブルー社に譲る決断をしたのも、日本への技術移転目的も然ることながら、ボディ、筐体の構造そのものを、日本とドイツの技術で進化させ、強度を高めたい思惑があるのだろうと、歩は見ていた。地球外からチタンが大量に供給されるようになった。日本の工業会と製造業では「軽くて、強度の高いチタン」へのシフトが、航空機、船舶、乗用車などの分野で始まっている。ティッセン社も、子会社の特殊鋼会社に多額の投資をして、チタン化合物等の特殊鋼開発と製造を新たな事業の柱に加えようと企んでいる。日本とベネズエラのロボット産業は寡占状態にあり、部材に対するコスト削減の要求がない。鋼材会社としてありのままの製造コストを明かせば、適正価格で買い入れてくれる。まさにお得意様と呼ぶのに相応しい状況だ。戦略的寡占事業だけに日本もベネズエラ側も資材取引先企業を絞り込んでおり、部品情報に対する技術漏洩には神経を尖らせている。情報漏洩が優先されるのでリスク回避で部品会社同士で競合させず、特定の企業に製造を集中させている。それ故に部品や素材が採用された企業には体の良いビジネスとなっている。

ベネズエラは宇宙空間向けの工業品生産に邁進している。輸送船100機、シャトル200機、戦闘機350機、モビルスーツ1500体を既に超えており、2040年は生産台数をそれぞれ3倍にすると鼻息が荒い。3倍となると、使われる鋼材量も馬鹿にならない、自動車産業に継ぐ分野となり、何れ宇宙空間向けの需要が主力分野に置き換わってゆくのだろう。宇宙開発が進めば、製鉄などの素材産業は地球上から順次なくなってゆくのかもしれない。その時間軸が未だに見通せないが、地球上であらゆる製造物がロングライフ化してゆけば需要は一定のレベルで止まる可能性が高い。
研究開発部門に多額の投資をして、新素材、新鋼材の開発に注力し、宇宙空間を含めて素材産業はロボットによる生産に置き換わってゆく・・そんな変遷を辿るような気がしている。
フィリピン・スービック経済特区の中南米軍の宇宙基地には、ティッセンクルップ社も他の宇宙関連の部品会社、素材会社と共に素材研究所と特殊鋼工場を建設中で、来月には完成、入居となる。

ーーーー
就寝の時間だったので、年の離れた兄達の試合を録画観戦している小さな弟妹達と実母が揃って居た。チビッコ達は母親を真似て拍手喝采する。
叔父と呼んでも何らおかしくはない歩が、フリーキックを決めて、ダメ押しのピンポイントのコーナーキックで、兄弟、甥っ子達5人の居るチームを破ると、母親の大半が崩れさり、歩が実は悪魔なのかもしれないと思った子も居たかもしれない。
2点とも一志の目前での得点となったので、取り分け落胆している志乃を、得点に絡んだ歩の母の蛍が慰めている、そんな午前中だった。異母兄弟同士なのでリーグもチームも分けているのだが、チャンピオンズリーグばかりは仕方がない。  

まだ子供の小さなあゆみと彩乃は、別行動中だった。ロボットの操縦するヘリに乗って、マニラ国際空港にやってきた。
Alitalia AirLineに就航したばかりのシャトル便が滑走路に降りてきた。護衛の中南米軍機のゼロが、着陸せずにゆっくりと上空を旋回してゆく。このまま、クラーク空軍基地に向かうのだろう。  

シャトルの乗員数が8名と少なく、航空運賃が割高なので通常の航空機よりもサービスは徹底している。直ぐにセイラが駆け出してきた。
「フラウの小さな頃も、こんな感じだったよね」と彩乃が言いながら5才のセイラを抱き上げる。続いて、あゆみは実の父親が誰だか先日知ってしまったキャスバルを抱き上げる。
なぜ、ヴェロニカがあゆみにだけ教えてくれたのか、その真偽は分からない。おそらく、誰かに伝えたかったのだろうが、タブーを抱えるもの同士で手を取り合おうと考えたのかもしれない。
ハサウェイとキャスバルの父親は、あゆみのよく知る男らしい。尤も周囲には、その男の子供しかいないのだが・・ 
「荷物はこれだけ?」セイラをだっこしたまま彩乃がヴェロニカに訊ねる。「夏服はこないだ来た時に、置いたままだから」ヴェロニカが2人の尻を撫でながら言う。「あぁ、そうだったね」とあゆみと彩乃が頷きあう。イタリアだって2月はまだまだ寒い頃なのだ。     

空港内サービスのカートに乗って、ヘリポートへ移動すると技術提携しているイタリアのアレーニア・アエルマッキ社のヘリが見えてくる。一見軍用ヘリのようだが、武器は積んでいない。セイラとキャスバルは初シャトルに続いて初ヘリコプターではしゃぎっぱなしだ。2体のロボットが出迎えてセイラとキャスバルを機内に案内すると、座席に座らせて、シートベルトを締めた。
「もしかして、ジュリア、進化した?」    

「うん、そうなの。
この子達の名前はアンジェリーナ、イタリア名だと、アンジェルノになるのかな?
アンナとジュリアの2役の機能を持たせたの。平常時は人間と同じ体力だけど、護衛、戦闘時はターミネーターに変化するの」 彩乃が最後にウィンクする。   

「ターミネーター?・・って、銃で撃っても再生しちゃうの?」           

「違う違う、そんな訳無いって。アヤが変なこと言うから・・あのね、脚力と腕力、握力がアンナの状態から3倍近くになるの。それと、アンドロイドっぽくなったかな。特に指の動きが人に近づいた。アンジェ、指を動かしてくれる?」   あゆみがロボットに向かって言うと、まるでプレゼンメニューにあるかのように、両手の指を小指から順に折り曲げて、また順に開いてゆくので、子供達が「すごーい」と褒める。ヴェロニカも驚した顔をしてみせる。
「こりゃ、ますます人に近づいたな」と思った。

ーーー

「五輪終了まで、ベネズエラ製が地中海を行き来しますが、以降はイタリア製が地中海沿いの主要港を繋ぎます。我が国はバルト海沿岸国の北欧、バルト3国、ポーランドです。北海のアイスランド、イギリス、ベルギー、オランダは、バルト海で先行してからのスタートとなります。尚、ホバークラフトの運転手、護衛のモビルスーツとパイロットロボットは水陸両用タイプをGray Equipment社からレンタルします。モビルスーツは武器は装備しませんが、客室内の警備会社のガードマンと、サービス係の客室乗務員には護身用の武具を持たせます・・」

圭吾が、ドイツの産業大臣と産業省の官僚の前でCGで作った動画を表示なながらプレゼンを行っている。ホバークラフトの模型を中央に置いて、それを囲うように長机が設置されている。その模様を歩がモニターで眺めていた。

「中南米軍に頼めないのでしょうか? パイロットとモビルスーツなのですが・・」
産業省次官が挙手して訪ねてくる。圭吾が指でサインを送ってくる。これは会長の回答だと判断したらしい。

「申し訳ありません。地中海のイタリア、ギリシャ、スペイン、それからバルト海の北欧沿岸では中南米軍が防衛協定を結んでおりますが、それ以外の沿岸を中南米軍が、共に移動できません。核熱モジュールを搭載している以上、全ての行程で護衛は必須と考えておりますのでレンタル供給としました。南米のどこかの国が一カ国でもNATOに加盟していれば、また話は変わってくるなのでしょうが・・」

歩がモニターに向かって話す。孵化して数日たったヒヨコが歩のテーブルの上で消しゴムをつついて遊んでいる。そんな長閑な映像だった。ティッセン社はオスの雛も殺傷しない。
ある程度育ててから、格安の食肉としてアフリカ、中南米に出荷してゆく。通常、販売している鶏肉はメスの鳥肉だ。

他国との協議は外務省管轄なので、産業省としてはこれ以上は踏み込めない。アジアと同じ様には行かないのだと認識して貰うしかない。特に欧州はテロの対象になりやすい地域だ。
ドイツ政府が新事業としてのホバークラフト生産に興味を抱いた、そもそもの理由は「雇用」だ。大手素材企業と言えども、殆どがオートメーション化しており従業員数は少ない。
兄弟の欧州事業として、建設業、衣服小売としてドイツ、イタリア、スペイン、ポルトガルにも展開して、雇用数は順調に増やしているつもりなのだが、大企業として「国内の雇用促進に協力を、もっと受け入れて」と言う話だ。

ヒヨコをワザと視界に入れたのも、ドイツだけでなくこの事業だけで世界中の人達に就労の機会を与えていると自負している。政府から要求されても、ビジョンも戦略もない、お願いするだけの大臣であり、政府であるのならば「何時でも本社を海外移転しますので」とお伝えするだけだ。スイス、ポーランドなんて良いかもしれない。

ーーーー

訓練機仕様のサンダーバード 2機が護衛機を伴って、高度5万m上空を周回飛行していた。地上での訓練を終えて、無重力状態での滞在時間を少しづつ増やしながら、個々の体調データを採取中だった。宇宙空間への適正、順応性等のチェックだ。2機に26名づつ分散して先発上陸隊の50名に加えて、基地司令を交代で請け負う、柳井太朗・治郎の副官房長官兄弟も乗船していた。訓練と言っても、やることもないので読書をしたり、音楽を聴いたり、人によって過ごし方はマチマチだった。乗船も3度目からは慣れたもので、研究者達は仕事を持ち込んで始めるようになっていた。柳井兄弟は、客観的な観察をして報告する義務があるので、狭いながらも酸素のある乗員区画を定期的に回り、兄弟同士で分乗しているので、相互に連絡を取って、情報・意見交換をしていた。

「ジェノアが負けたんだってさ。知ってる?」

「ああ、歩がマン・オブ・ザ・マッチだったんだろ?引退したヤツが出戻りでもヒーローって、サッカーって、そんなもんなのかね?」

「彼がスゴイだけさ。圭吾くんも一時は追いついたかと思ったけど、まだあの領域までは至っていないね。陸くんか、もしくはハサウェイに託すしかないかね、後継者は」

「いや、桃李も凄いよ。ここへ来て急成長だ。陸を超えるかもしれない」
 
「歩くんはさ、怪我して7年間遠のいていた。この7年間が彼のサッカーを変えたんだよ。サポーターの視点、戦術分析能力が自ずと鍛えられた。サッカーだけをやってきた兄弟達に、サッカー以外の事業を担わせて個々の能力と視野を広げたのも歩くんだ。
自分の7年間が無駄じゃなかったと分かったからなんだろう。雄大もいっぱしの事を言うようになった。歩くんや上の世代の、人としての完成度が間違いなく息子達にいい影響を及ぼしている。日本の政界でのモリ閣下のような存在に、彼らの中ではなりつつあるんだよ。
この数年の休暇期間で彼がどんな変化をしたのか、どんな思考になったのか、そっちに興味があるんだ」

太朗にとっても、異母弟達の中で歩は別格だった。
「そっか。そういや最近話して無かったな・・月に行く前に、アイツのシーズンが終わったら反省会と称して慰労会でもやるか?」

「それがいいと思う。あ、母さんと連絡をしたんだよ、この前に。兄貴に大事な伝言があったんだった。こっちは祝賀会、フラウだ」

「まさか、受かっちまったか?」

「だってさ、推薦入学、おめでとさん。火垂くんの御嬢さん達に引き続き、高校は1年間で終わった」

「先輩が姪に居ると、強いな・・」

「女性の方が学力的には優秀なのかな、モリ家の血筋は。男はどっちかっていうと・・」

「サッカー馬鹿、脳筋野郎の集まりだ」2人して笑った。

ーーー

明日の夕方までにカラカスに戻ればいいだけなので、この日はハバナに泊まり、朝一でキューバ首相官邸に訪問、会談する。パメラも一応お泊りセットを持参しているので問題は無い。2人で少し相談して、自家系列のRedStar Hotelではなく、中南米軍の将校宿舎の家族用部屋を借りる事にした。十代で貧乏を味わった2人には、何となく「贅沢は敵」モードに転じていた。
軍のオリーブのワークパンツ、Tシャツのお揃いの姿で街に出る。この格好で首相官邸の訪問が許されるのも、カストロとゲバラのお陰だ・・。

ハバナも随分近代的な街に変わったとキョロキョロする。街が照明で明るいのだ。街灯が少なく、闇に包まれた市街地は完全に過去のものとなった。
8年前ベネズエラにやって来て、直ぐにハバナに来訪して自衛隊の駐留部隊契約とキューバ医療サービス契約締結に臨んだ。チャベス政権とカストロ政権の共産同盟で、懇意な関係にあったキューバから、中南米諸国連合は産声を上げた・・。当時は、スーザンを連れてきた。まだスーザンが過去に苦しんでいた時で、ケアが必要な時期で、国外、治安の良いキューバで街を連れ回して気分転換させる、というミッションをパメラ達が考えた。あの頃は、政治そのものを理解して居なかったのだろう。
「紳士と異国の首都でデートって、あの子にいいと思うんです」と、8年前は真顔でスーザンを押し付けてきたパメラが、今回は隣に居る。帰国して直ぐに大統領の方が疲労で倒れて、逆に厄介を掛けてしまうのだが・・

「良さげなバルに入って食事しよう。スーザンと来たときは何処で食べたの?」

「あの時はホテルで食べて、それから街に出てモヒートを飲みに行った。ヘミングウェイの行きつけだった店・・今じゃ、すっかり観光地になっちゃったから、混んでて入れないだろうけどね」

「時間を閉店間際までズラしたら?」

「試してみようか・・」

「よし!今日はラム酒漬けにしようっと、ハバナ・クラブで」

「過度の糖分はパメラには・・まったく関係ないね」ウエストに視線を当てるが、適度にトレーニングをしているので問題は無い。これで3児の母と言うのだから、大したものだ。

「8年前は胸もペチャンコだったけど・・アマンダの料理とショウコさんバランス食のお陰でベスト体型に戻った。サクラダさんの定期検診が受けられなくなったのは残念だけどね。でも、今でも努力してるの分かる?」

「そりゃあね、見ればわかるさ・・」

「養女達も、妻達も、みんな頑張ってるよね・・体が資本ですもんね、政治は」

8年前は、パメラもあばら骨が見える程、ガリガリに痩せていた。トップモデルになったと思ったら、石油価格の下落でベネズエラ産石油の輸出はストップする。
不純物の多いベネズエラの石油は精製コストが当時は掛かったので、輸出すればするだけ赤字が嵩んでいく状態だった。「オリノコタールの悲劇」だ。
石油の売り上げだけに依存していた国の経済が破綻して、パメラ達モデルの仕事はパッタリと無くなった。ファッションどころの話ではなくなった。モデル仲間でどんな仕事でも融通しあって、スーパーのレジ打ちから内職までやって、月の収入が7ドルから10ドルの間だったという。公務員の月給が5ドルという酷い状態だった。人々は庭の至る所を掘り返して畑にして、郊外に遠征して食料を調達し、山に入って虫に刺されながら、自生しているバナナやパパイヤを取って栄養を確保する日々だった。
パメラを頭とするチームは、孤児院出身者で構成され、年嵩の低い孤児達の面倒も見ていた。
モデルが中心メンバーだったのが仇となる。飢えた狼男からすれば、彼女たちは格好のターゲットだったのだろう。ある日、スーザンが車に積み込まれて拉致され、被害にあった。パメラは自分達の脇の甘さと無力さを痛感した。スーザンは表向きは気丈だったと言うが、夜はうなされ、泣きじゃくる日々だったという。精神的なトラウマを抱えていた。
「半年後、私達は先生から貰った仕事で、モデルに戻った。みんなガリガリに痩せてたから、子供服しか着れなかったけどね・・」
パメラは時折回想する。20歳になっていない孤児達を率いて、年長者4人は自分達は我慢して、まだ幼い子達に食糧を優先させた。孤児たちの親は政治犯として獄中で不慮の死を遂げたり、交通事故死に見せ掛けて時の政府の指示で抹殺されたと言う・・。
モリが部屋が使わずにいる大統領府の部屋を提供すると申し入れると、親の居ない子供達が40人近く集まって来た。大統領府は何時の間にか孤児院になっていた。

パメラ、アマンダ、スザンヌ、そしてスーザンがリーダー役となって、大統領府の炊事洗濯を統率し始めてゆく。そのつもりは無かったのだが、まさか大統領府に人っ子一人居ないとは、想像して居なかったらしい。大統領府に居た役人や使用人達はモリが入居して3日後には、モリが持ち込んだ食料品や家電製品を持って職場放棄、出ていってしまい、モリの持ち物だけでなく屋敷の調度品まで持ちだし、モリ一人が残された。

彼女たちは少しでも安いところから食材を調達してきて、価格の相場を知らないモリに生きる為の情報を与えた。とにかく、カラカスの中の街の情報と、ベネズエラについて彼らから教えてもらい、市民生活再建策を練っていった。
ベネズエラの人々が生活する上で必要とするモノや消費量、1家族が最低限生活可能な金額、家賃の相場から職業別賃金に至るまで、39人の10代未満の子達から、学んでいった。ある日スペイン語で生活している自分に気が付いて驚いた。思考までスペイン語になっていたので、どうやら転換期に気が付かなかったらしい。

「ねぇ、いつから、こんな風に話していた?」

「1ヶ月?いや、3週間前かな?」と実にマヌケな会話をしていたのを思い出していた。ハバナは近代化が進んだとは言え、まだ寂れた区画も多く、8年前のベネズエラをどうしても思い起こしてしまう・・
誰も居なくなった大統領府に彼らがやって来て、気力が湧いたのは事実だ。半年を過ぎて日本から先発隊で娘達がやってきたが、孤児院と化している大統領府を見て、合点された。アユミ以外は実の父親を亡くしているので、違和感もなく孤児たちに迎合出来たのかもしれない。
活気に満ち溢れたベネズエラの暮らしが出来たのも彼等と出会えたからだ。そして8年経った今、彼らはベネズエラの未来となった・・。

店に入ってからは、頭の片隅で先程まで面会していたアメリカの比較的裕福な人々と話した内容を、回想していた。

今回ばかりはボートピープルという名称利用への躊躇いを感じずにはいられなかった。
60年前のインドシナ半島の難民と、アメリカから船で脱出できる人々には絶対的な違いがあると思いながら、到着した方々を見ていた。
国中が困窮していた頃のベネズエラを良く知っているパメラ副大臣も、違和感を感じたのだろう。憮然とした表情を浮かべ続けている。モリたちは人々に質問をすることもなく、収容施設を去った。

「アメリカの市中がやや騒乱状態なので、暫定的に居住先を変えた」「寒いこの時期はリゾート地に行くのだが、渡航禁止されたものだから」と、メキシコ国境を越えようとする人々と絶対的な違いがあった。船でやって来た人々に共通して言えるのは、切迫度に対する基準が浅かった。基本的に富裕者層なのだ。中には、キューバのリゾートホテルの予約まで事前に確保してやってきた人達も居たという。キューバとしては観光収入の補完となるので、観光客として受け入れてゆくという。彼らがやってきた船舶を映像で見ると、それなりのクルーザーだった。そもそも、こんな腹の出たボートピープルは居ない・・ 
中南米諸国には不要な人達のような気がした。どこか尊大な態度を滲ませ、国を出た理由を訪ねても、係員達が首を傾げるような返答が返ってくる。「ゴミ回収の回数が減った」「買い物に行っても肉、牛乳、卵などが品薄で満足できない」どうやら前提からズレているようだというのが、よく分かった。明らかにお金には困っていない人達なのだと、言葉の端々で滲ませてしまう。

「無駄足だったでしょうか?」人が周囲にいると、パメラは態度と発言を切り替える。我がベネズエラチームは公私の分別が取れるメンバーで構成されている。

「いや、そんなことはない。彼らへインタビューした映像を、マスコミに提供して放映して貰うか、それとも箝口令をしばし継続するか協議しよう。世論の反応を受けて、アメリカがどう動くかよく考えないと・・。
自由の国アメリカが、旅行したい人までブロックしている、その程度の分別もせずに、十把一からげで渡航禁止としている。追い込まれていると見ていいのか、中南米諸国を過度に怖れているのか、主要閣僚達のその辺の情報が知りたい」

「追い込まれているし、中南米を警戒しているのではないでしょうか。劣勢になる事になれていないんですよ。9.11の後のアメリカは勢いでイラクを叩きに行った。世論を煽るしかなかったのかもしれません。政権が2世で殊の外機能していませんでした。大統領にとっては起死回生策になったのでしょう。中国がコロナウイルスを持ち込んだ時もそうです。センセイに被害を合わせた大統領が、指導力を発揮できずに、混乱したまま辞任に追い込まれました。彼女のお陰で、センセイが南米にやって来たっていう嬉しい誤算を私達は得ましたけど・・アメリカという国には、総じて危機管理能力が欠落しているのかもしれません」

「危機管理能力・・僕らにだって、果たして備わっているのかどうか、分からないよ・・」

「私達にはセンセイが居るもの。 大丈夫だよっ!」
パメラが何を想像したのか、口をへの字にしてみせる。そんな仕草まで絵になる子だと思っていた・・。

目の前のパメラは、宿泊になるのを見込んでいたのだろう。準備周到だった。
いや、パメラだけではなく「泊まりになるよ、きっと」と、4人組は悟っているのかもしれない。
辻褄が合わないのだ、飛行機嫌いが戦闘機に乗ることを知っていながら、ジャンケンに参加することに。この1対1の状況を欲しているのかもしれない・・。

しかし、米中が厳しい状態に置かれて、プロジェクト進行中のさなかに、女性にうつつを抜かしていて、良いのだろうか。これこそ、危機管理能力が問われる場面なのではないだろうか・・

(つづく)

ドアンと子供たち
これも戦争孤児
RX78 プロトタイプ
木馬


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