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『無気力なトースト』(超短編小説)


   朝目覚めると、たいへんがっかりした。

   もう朝が来たのかと。早すぎやしないだろうか。昨夜からだいたい7時間くらいは寝ていたのに、感覚的には1時間くらいしか経っていない。

   またいつもの今日が始まる。つまり仕事が始まるということだ。「今日」と「仕事」がイコールだなんて、なんて残念な人生だろう。

   朝に部屋のカーテンを開ける行為は、さわやかな今日が始まる記号としてドラマや映画でよく用いられるけれど、カーテンを開けてもまぶしいだけである。

   顔をさっと洗って、うがいをして、六枚切りの食パンをトーストする。このサイクル、もういい加減飽きた。

「ねえねえ、タカくん。起きてぇ」
「なんだよぉ、もうちょっと寝かせてくれよぉ」
「起・き・て!」
「んだよぉ〜」
「お仕事遅刻しちゃうぞ」
「やだぁ、眠いよぉ」
「もうっ!チュッ」
「おいおい、朝から何すんだよぉ。しょうがねえなあ〜」
「だって起きないんだもんっ」
「しょうがねえなあ〜」
    そんな感じで、なんとか坂みたいな女の子に肩を揺さぶられながら、テーブルの上に用意された朝食のほのかな匂いを感じながら、目覚めることができるのならどんなに幸せだろう。

   チーン。

   甘い妄想がトースターの音でかき消された。香ばしい匂いのする食パンを取り出して皿にのせる。100円均一で買ったマーガリンを塗ってほおばる。うまくもまずくもない。

「田中先輩、今度、私が朝食つくってあげましょうか?」

   ある日、後輩の吉田有里子がそう言った。僕が朝を毛嫌いしている話をしたすぐ後だった。

   吉田は、色白で、髪がサラサラで、綺麗な二重の眼をしていて、背がすらっと高い社内外で評判の美人だ。後輩でありながら自分には高嶺の花である。僕のことを、“頼れる先輩”として慕ってくれているのは知っているけれど、一人の男としても見てくれているというのか。ああ、この急展開どうしよう。よしっ、仕事の後、食事にでも誘ってみるとするか。

「・・・冗談ですよ冗談。やだー、本気にしないでくださいよ」
「・・おいおい、本気にするわけないだろっ」
「ほんとですかー、顔が一瞬マジでしたよ〜」
「演技だよ演技」
「ですよね〜」
   本当にただの冗談だったらしい。その時ばかりは自分の妄想癖と早とちり癖を恨んだ。ますます会社に行くのも朝起きるのもイヤになりそうだ。


   人生なんてちょっとしたことで変わる。

   その日は朝からいい天気だった。目が覚めて、カーテンを開けて、顔を洗って、うがいして、食パンをトーストする。ありふれた朝だけど、いつもとは少し景色が違う。すぐ隣りには色白のあのコがいるのだ。

「あっ、苺ジャムもあった方がいいか」

  テーブルの上には、昨日買ったばかりの新鮮なヨーグルトが、朝の光に照らされてキラキラしていた。

「ったく、しょうがねえな〜」

   僕は恋人にささやくかのように、ヨーグルトに苺ジャムをのせた。

(了)

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