ヴァイキング_ロングシップ

イギリスを支配したバイキング。


前々回、バイキングの西ヨーロッパ侵攻について書いた。

バイキングはその機動力をフル活用し、沿岸はもちろんのこと、ときには河川を深く入り込み、西ヨーロッパの国々の奥地まで攻め入った。

このバイキングの侵攻で、特筆すべきはやはりイギリスであろう。

ゲルマン人の中でスカンジナビア半島で国を作っていたデーン人、ノルマン人、いわゆるバイキングは海を渡って北海を中心として侵攻を進めていった。

イングランドは当時アングロサクソン族が支配する7カ国があったが、北方から来たバイキングであるデーン人による侵攻を受ける。


一時は領地の大部分をデーン人に支配されたアングロサクソン族も、再度領地をデーン人の手から取り返し安泰かに思われた。

しかし、サクソン人の王エドワードが死亡すると、サクソン人貴族たちは後継の王としてハロルドを選んだ。

しかしそこに待ったをかけたのが、同じくバイキングのノルマン人が、フランスの沿岸部に築いたノルマンディ公国であった。

ノルマンディー公国は、第二次世界大戦時、連合軍が奇襲上陸したことで有名なフランスのノルマンディーに位置する公国で、ノルマン人のウィリアム公が統治していた。

ノルマンディー公国は、一応はフランス国王の臣下であったが、その力はフランス王もしのぐほどのものであった。

ウィリアム後は、死んだエドワード王とウィリアム公は、死んだエドワード王と縁つづきにあることをいいことに、生前エドワード王と次の王位は自分が継ぐと約束していたと主張し、ドーバー海峡を渡りイングランドに攻め込んでいった。

サクソン人の王ハロルドは自身の王位を確かなものにするために果敢に戦ったが、結局ノルマン公国ウィリアム公に負け敗死した。

勝ったウィリアム公は、ウィリアム1世としてイングランド王を名乗った。

                     ウィリアム1世

このウィリアム1世によってノルマン朝が開かれ、今のイギリス王室につながっている。

この時、ウィリアム王に従って戦ったノルマン族の貴族たちは、それまで
4000ものアングロサクソン貴族が支配した領地を与えられた。

アングロサクソンの貴族はほとんどが駆逐され、代わりにわずか200のノルマン人貴族がイングランドの領地を支配することになった。

よく映画やドラマに現代のイギリス貴族が写し出されるが、彼らの持つ領土はえげつないほど広大である。それはこの当時の領土がほとんどそのまま相続されていった結果である。

このように広大な領土と力をノルマン人の貴族は持つこととなったが、それは王位を脅かす存在になることを意味していた。

そこでウィリアム1世は、イングランド全耕地の5分の1という最大の領土を自身が所有することで、貴族に対して圧倒的な力を持つこととなった。

イングランド国王は、1つの王国を丸ごと征服したという特殊的な状況によって、その他の国、例えばフランス国王などとは比べ物にならないほどの絶対的権力を持つに至ったのである。

しかしやがてこの強大すぎる権力は、貴族とのあいだで軋轢を生むこととなり、それはやがてめぐりめぐって、現代の日本の憲法や裁判員裁判制度につながることとなるのである。

続く。


※ 文中の写真はYahoo画像より転載させていただきました。
※ 表題の写真はYahoo画像より転載させていただきました。



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