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只見線のあるまちにて2009春-2010冬

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「只見線のあるまち」といっても只見線がある(通る)まちなのか、只見線のとあるまちなのか自分の中でもいまだに決めないことにしています。また只見線だけを撮るのではなく、道端で出会ったきになるものを撮影してきました。そうして出来上がったフォトブック「只見線のあるまちにて」はフォトブック甲子園というコンテストで入賞しました。あれから十年経ちますが、あの時を超えるフォトブックができなくて困っています。そこでひと段落つけるためにネットにアップすることにしました。ぜひお楽しみください。

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2009年3月31日、とりあえず写真に多くの時間を費やすことを、いったんはやめようと誓った僕なのですが、よくよく考えてみれば次の日は4月1日エイプリルフールなわけで、写真やーめたを一日ばかりやめること - 些細なうそですが - にしました。結局そのうそは今日まで続いているわけで、はたしてどこまで続くのか自分でもわかりません。ただ一つわかっていることは、今度のエイプリルフール、やっぱり写真やーめたと言っても、もう誰も信じてはくれないでしょう。今年も『只見線のあるまちにて』の季節が始まりました。

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去年、一昨年と、桜の入った写真を撮れなかった僕は、今年こそはと意気込んではいたのですが、あっちこっちへと自転車で動いていると、どこの桜が見頃なんだとかそういうことは気にならなくなって、ただ一息つくために立ち止った場所が桜の下だったりして。そんなときに左腕の時計をチラッと見ると、ちょうど只見線の通り過ぎる時間だったりして、あわててカメラの露出設定を始めます。そんなとき、遠くからフォーンという音が聞こえてきました。電柱に重なっちゃうけど、とりあえずいいか・・・今年もそんな始まりでした。

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例年より早咲きの桜が散り始めようとしたころ、いつもより早く目覚めた僕は近くまで散歩に出かけることにしました。めったに行くことのない方向に自転車を走らせると、肌へ伝わる風がどことなく新鮮さを帯びていて、ペダルをこぐ足の付け根のほうまで沁み込んでいくような気がして・・・そんな気分で史跡への長い階段を一気に駆け上ると市内が一望できて、今来た道を目で追いかけながらアパートの場所を探してみると案外近いことに驚いたり。眼下には猫が二匹のんびりと主人が戸をあけるのを待っているかのようで・・・

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長いこと、桜を見る余裕というのか興味すら持たないまま過ごしてきました。別段これといって「桜の樹の下には・・・」なんて話を信じているわけでもなく、そばを通ると桜独特の雰囲気というのか気持ちといったらいいのか - 視覚や嗅覚で捉えられないもの - を感じるのですが、また今度でいいやといういつもの悪い癖で、気になった頃には散っていた・・・そんなことの繰り返しでした。今日は珍しく自転車を止めてカメラを構えてみました。バスが通り過ぎたあと、ファインダから離したばかりの目で見ると少うしばかり・・・

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いつも通る道に酒蔵がいくつもあることを僕は知っています。ただ、「どこそこにある酒蔵が作っているお酒の銘柄は?」と聞かれたとしても、僕はすべてを答えられる自信はありません。おそらく銘柄で覚えているというよりも、川沿いの桜の綺麗なところにあるとか、大きな俵のあるところとか、そういったなにかとセットで覚えていることが多いのです。そのすべての酒蔵を撮ってみたいと思っていたころ、自転車を走らせている最中に卸業者さんを見つけました。そこでは、お酒の銘柄が入った箱がたくさん積んであるのでした。

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今日は子供の日なのに、なんだか子供以上にはしゃいでしまっている自分がいて、それが季節的なものなのか、それとも臨時列車を撮れることへの喜びなのか自分でもわかりません。列車を撮るという目的で出かけたのが、それ以上に田んぼやら靄のかかった山肌だとかが、あまりにも綺麗すぎて、今まで気付けなかったことも不思議なくらいで・・・そのまま、しばらくのあいだ水面に映った山の形を眺めながら、一人悦に入ってしまいました。遠くのほうからフォーンという音が聞こえてきました、だいぶ列車が近づいているようです。

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5月の連休、よろこんでいるのは子供たちと風に泳ぐ鯉のぼりばかり。これから田植えを迎えようとしている農家の人たちは、田んぼの代掻きに大忙しのようす。盆地を取り囲む山々の雪も、ほとんど融けてしまったよう。田んぼに生えている菜の花を眺めながら自転車をこいでいると、水面に映ったほうが本物のような気がして、もっとよく見ようと思ったりして、水面のほうが気になってチラッチラッ眺めているあいだにも自転車は進んでいて、おっと危ないなんて状態になっても、田んぼだから落ちても大丈夫かと・・・

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僕の行動範囲はすべて自転車でカバーされていて、なにを追いかけるにしても自転車、列車を追いかけようがバスを追いかけようが、すべて自転車なのです。ただ一つ追いかけきれないものがあって、それは季節の移ろいなのですが、こればかりは自転車から卒業したとしても追いかけることはできないでしょう。5月になってしまった菜の花はとうに盛りを過ぎていて、地面には花弁が落ちているのです。遠くに見える山の雪はまだまだ融けることを知らないかのようで・・・そういえば山も自転車で登るのは無理かなと思ってはいるのです。

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この季節、自転車で走っていると、道路の上が泥だらけになっていて、いつもなら車道をビューンと快調に飛ばす - それもストレス発散の一つなのですが - ところを、歩道をゆっくりと走ります。それでも田んぼの入口のようなところだと、泥がてんこ盛りになっていって、自転車を降りることを余儀なくされてしまいます。そんなとき、ふと周囲を見渡してみると普段は気付かなかった景色に出会うことが多いのですが、今日見つけたもの・・・それは山より高い鯉のぼり。うーん・・・と少しばかり考え込んでしまいました。

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どうしても田んぼや畑のタイヤ跡を見ると、無意識に反応してしまう自分がいて、その跡がどうやって作られたのか - つまり、どう走ったのか - 理解できないようなものに惹かれます。でも、ストレートに曲がっただけだとわかる、この跡にはなんらかのオーラのようなものを感じてしまって、黙々と望遠レンズでピントを合わせていると、チラチラと緑色のものが見えます。よーく見てみると、ちょうど曲がり角の頂点にあたる部分に踏みつぶされた植物が見えます。なんだ、お前もか、「たくましく生きろよな!!」と僕はポツリ。

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僕がそこを通るたび、お前はいつも吠えるんだね。駅へ向かう途中、道路の左側に住んでいるお前が起きているのかどうか、僕のほうからはまったく見えません。そして、ワン!!と吠えられるたびにいつも同じ反応を繰り返す自分がいます。駅からの帰り道、お前と目が合うことになるのですが、今日のお前はご飯を食べていました。毎回、けたたましく吠えたてるのに、今日はとても静かなことに唖然。それよりも、その頭隠して尻隠さずな格好に一笑い。いつも、そんな格好で迎えられても張り合いがなくなって困るけど・・・

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「ガタ・ゴト・ガタ・ゴト」と踏切を通過していく車両の音が聞こえてきます。そんな踏切を通過していく車両の音には一定の法則 - なんて大それたものではありませんが - があって、エンジン音だけでなく、「ガタ・ゴト」が何回かで車輪の数、「ガタ」と「ゴト」の間隔で車輪の大きさなどがわかるような気がします。普通の車だと一定のリズムを刻むのですが、トラクタのように前後の車輪の大きさが違ったりしていると、その聞こえてくる「ガタ・ゴト」に振り返らずにはいられないなにかを感じるのです。

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そんな独特の音を感じることができるのは、なにも踏切だけではなくて、今まさに田んぼから上がってきたばかりの田植え機。その細すぎるタイヤが奏でる音、おそらく昔にも聞いたことがあるはずなのですが、どうにも思い出すことができません。目の前には広域無線を備えた火の見やぐらがあります。今の時代、昔とは違って時刻を知らせる音楽もクラシックなメロディで、時代の流れを感じさせます。子供のころ、父の実家で聞いた正午のサイレンに怯えていたことを、これを書きながら思い出してしまいました。

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水鏡なんて言葉は知らなくて、その存在を知ったときにも頭の中では「ダイコンミズマシ・・・」などと高校の日本史が思い出されてしまいます。ときどき思うのですが写真の説明なのか、それとも単なる一人称による空想話なのか自分でもよくわからなくなるときがあります。たとえ空想話であったとしても、のちに読み返してみたときに新しい発見があります。それは写真も同じなのでしょうが・・・なんだか難しいことを考えてしまう今日はだいぶ疲れているのでしょう。早く寝ることにしましょう。

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市内から自転車に乗って30分もペダルをこげば、そこはもう田園地帯です。見渡す限りたんぼ、たんぼ、たんぼ。そのたんぼの中心部分を東西南北に貫くように大きな道路と、それに並行して走る道路のほかに、昔のまま曲がりくねった道路があります。時代の流れか、舗装されたり拡張されたりしてはいるのでしょうが、そんな曲がり角には道祖神が立っていたりして、道行くお婆さんもモンペ姿だったりして、ほのかに昔の香りを残しているのでした。そんな後ろ姿に懐かしくなって、亡き祖母の名前を呼んでも振り返ることはないでしょう。

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遠くのほうからSLが近づいてくる音が聞こえてきます。ここは直線区間なので音はすれども姿は・・・なんてことはないのですが、だいぶのんびりした様子で近づいてきます。あまりののんびりさに、少しばかり前のめりな姿勢になってきてしまいます。そこへ三輪車に乗った親子連れがやってきました。おそらく口におしゃぶりをしているだろう子供と三輪車・・・向こうから来るC11も駆動輪は三輪、子供のようにブーとは言いませんがポーという音は出します。この勝負どちらの勝ちなのか、泣き相撲のように見えてしまいました。

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今朝見かけた子供とSLの勝負、どちらに軍配があがったのか・・・好く好く考えてみたら勝負なんてものが成立するはずもなくて、ポーという汽笛に対してブーという声援を送ると言ったほうが正しかったかもしれません。午後も3時を過ぎようとするころ、夕方のSLを撮影に出かけることにしました。盆地に入って一番の急カーブ、いつものディーゼル車両にも増して、ゆっくりとしたスピードでカーブに入ってきました。なんだか田植えが終わったばかりの稲に遠慮している・・・そんな風にも見えるのでした。

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走りゆくSLをファインダ越しに追いかけてみると、ついこの間までは雪が融けたばかりだと言わんばかりの、その雑草すら生えていなかった線路上に緑が戻ってきていました。なんて、もっともらしく言ってはみても、撮ってる最中には夢中になっているわけで、あとになって・・・それも1年近くたってようやっと気づいたもので。遅ればせながら春の楽しみをこうして冬に味わっているわけで、今こうして雪の降る中で写真を選ぶこと、その楽しみの一つが季節をひとっ飛びして春の気分を満喫している、そんなところなのです。

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目の前を蒸気機関独特の音と臭いが通り過ぎていったあと、客車の淡々とした音が僕の横を通り過ぎようとします。走りゆく客車の窓にレンズ向けると、まるで友人にでも見送られるかのように手を振る男性がいます。その目線の先には、おそらくこのSLを車で追い続けたであろうカメラマンが、首から2つも3つもカメラをぶら下げていて、レンズも僕のとは違って本格的なものを装備しています。SLが走り去った後も、その場に残った自分が、首からぶら下げたストラップのPENTAXの赤い文字に、どこか淋しげなものを感じてしまったのは・・・

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ゴールデンウィークを過ぎ2週間ほどが経ち、もうほとんどの田んぼで田植えは終わっている様子。気温もグングンと上がり気味で、自分の体調も冬場はあれほど沈み込んでいたものが、春らしさを感じさせるもの - 温かい空気に含まれているような - に触れるようになってから少しずつ回復してきた、そんな感じがします。こんな日に家で、じっとしていたのではもったいない、そんな気分に急かされるというのか後押しされるというのか、とにかく、いてもたってもいられない状態になって自転車をこぎ出したのです。

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あぜ道で只見線を待っていると、遠くのほうから甲高いエンジン音が聞こえてきます。そのエンジン音はゆっくりと近づいてきているようなのですが、なかなか姿が見えません。ようやっとカメラの露出設定も終わり後ろを振り返ってみると、耕運機のようでした。なんだ遅いはずだよなと思いながら、しばらく眺めてみることにします。そういえば、あんなに後ろを高く持ち上げているのは、なにか特別な耕作刀をつけているのだろうかと、子供時代に耕運機で遊んだことを振り返ってみたりして、ちょっとばかり懐かしく思えてきます。

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6月、今日から学生たちは衣替えなのでしょうか。梅雨を目前にして気分も一新といきたいところですが、これから先しばらくのあいだは朝起きると障子越しに聞こえる雨音に一喜一憂したり・・・もくもくっとした入道雲と「下宿ひまわり」の文字に、少しばかり早い真夏の到来を感じさせられました。下宿、女子、男子の文字に、僕が高校生だったときには男子高・女子高だったものが、今は共学となったことに時代の流れを感じるとともに、少しばかりあの時代の甘酸っぱい香りに、もう一度出会いたいような気分に浸っているのです。

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朝8時、iPhoneからブルースのメロディが流れてきます。そんな朝に強くない僕にとって、目覚めの音楽というのも一つの大事なものであって、でもなんだってブルースなんて渋い曲を・・・と設定した自分でさえ時々不思議に思うところもあって、でもやっぱり慣れてしまったものは変えようがなくて。いつも通りの時間に家を出ると今日はやけに日差しもまぶしくって、ついいつもと違う道を通ってみると、セットアップ中の高校生に出会いました。真剣に走る姿がファインダ越しに痛いほど伝わってきました。

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周囲の山々の雪もすっかり消え去ってしまって、田んぼの水もやんわりと温んでくるころ、いつものようにあぜ道をカメラをぶら下げて歩いていると、泥の中からなにやら緑色の物体が見え隠れします。藻でもないし、縦にシマシマ模様が入っているもの・・・どうやらカエルのようでした。しばらくはジーっと眺めていたのですが、微動だにしないのにしびれを切らしてしまって、カシャカシャとシャッターを切り始めました。それでも出てくる気配がありません。まだ寝たりん・・・とでも言いたげな様子に僕も欠伸をひとつ。

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どこに向うでもなく、ただいつもの通りをいつも通りに自転車を進めると、僕の視界の左隅に入ってきたもの・・・こちらをチラッと見ると一歩・二歩・三歩と、まるで「だるまさんが転んだ」をしているように奴は逃げ行くのです。そんな後を追いかけながらシャッターを切ると振り向きざまに「あんまり撮るなよ!!」とでも言いたげな様子で、そのままスタスタと茂みの中に消えていってしまいました。そんな様子に自由や孤独を感じたかといえば、僕も同じ仲間かもしれません。なんとなく近いものを感じてしまって・・・

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市内を抜けて大きな川を渡ると、道は左へと曲がりながら下り坂になっています。いつもなら、そんな下り坂のスピードを乗せたまま突っ切ってしまうだろう、停まるということのない場所にたくさんの花が植えられています。しばらく、周囲をぐるっと歩きながらアングルを考えてみます。午後も3時近くになっていたでしょうか、笑い声と一緒に黄色い集団がこちらに向かってきます。まだ入学してふた月と経っていないピカピカの1年生の集団でしょうか。黄色いランドセルが歩いている、そんな風景に微笑ましさを感じてしまいました。

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黄色いランドセルたちと別れた後、僕は自転車をさらに先へと進ませました。もうすぐ夏至になろうとしているこの季節、太陽はまだまだ沈むことを知らないかのように高い位置にありました。広域無線から6時を告げるオルゴールの音色が流れてくるころ、目の前を只見線が通り過ぎていきました。まだ太陽は高い位置にあるようで、あと1時間は明るいままなのでしょうが、少うしずつ夕方色に染まっていく空に、そこはかとなく物悲しさを感じてきてしまって、今日はこれで家へ帰ることにしたのでした。

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“ふかん”という漢字が長いこと読めなくて、こうやってパソコン上で入力していても、どの漢字だったけなというぐらいで・・・夏になると長い坂道を登っては、とある城跡へと涼みに行くのですが、そのあずま屋から眺める景色 - 古い城下町 - を横目にベンチの上にゴロリと横になっては、大好きな本を開いてみたり。その本が、また自分の今の状況と非常に似ているところがあって・・・そんな本に没頭しているとTシャツの上を横切ろうとしている蟻なんかには気づかなくて。結局、今日は只見線一枚で終わってしまいました。

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今まさに梅雨に入ろうとしている気配が、周囲にハッキリと現れていて、そんな気配に僕の心の中もだんだんと曇り始めてきてしまって。こんな日に写真を撮るなんて馬鹿げている・・・一人そんなことを口の中でつぶやいてはみても、首からぶら下げたPENTAXは心の中を正直に表していて、本当は撮りたいんだろうとでも言わんばかりに僕のことを挑発しているようで・・・そんな雨音混じりの中、後から来たバイクの音にシャッターを切ったのですが、ほらやっぱり撮りたいんだろうと言わんばかりのPENTAXに言い返す言葉もなく。

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降るのだか降らないのだかハッキリしない空模様に、少しばかりイラつきを感じながら昼食を終えると、なんだか午後は雨の可能性は低そうで、いつも日課にしている昼寝もそこそこに、自転車を走らせることにしました。もう只見線を追いかけて3年目、どこになにがあるのだとか大体のことは覚えたのですが、移動するもの - 農作業の道具など - は、いつ出会えるのだかもわからなくて、今日は駅まで直行と決めていたものが、途中で足止めをされるような形になってしまい不満と満足の両方が入り混じっている、そんな気分でした。

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今日もズンズンズンと自転車をあぜ道の中を走らせます。真ん中だけ草が生い茂った道は、右車線・左車線のように思えてきます。軽トラが走る時には丁度よい間隔なのですが、トラクタなどが走ると時折草に隠れた石ころなどに乗り上げてはガッタンバッタンの大騒ぎ。そんなトラクタとすれ違うと、いつまでも見送りたい気持ちになって、ずっと眺めているのですが、今日は仲良く休憩しているトラクタを眺めてみました。なんだか、トラクタと軽トラと小父さん二人とで、僕にはいつものトラクタとは違って見えました。

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もうすぐ7月になろうとしているころ、梅雨の晴れ間を見つけては自転車を引っ張り出して外へ出かけます。田植え真っ盛りの時期には、道路にわだちのように何本もの泥の線ができていたものが、いつの間にか乾いては風に飛ばされ雨に流され、きれいに消えてなくなっています。そんな元の状態に戻った道路を僕の自転車は軽快に走り抜けていきます。田んぼの緑も、草木の緑も、そして只見線の緑までもが、梅雨の雨に流されて前より逆にその緑を深めているような気がする、そんな感じすら漂ってくる、そんな季節なのです。

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国道とはいっても、400番台のその道路は決して広い道路ではなくて、歩道さえ片側にしかなくて、向こうから自転車が来るたびに避けなければならないぐらい。交差点とはいっても、ほとんどが農道へと連なる細い道ばかり。先月なんかは農耕車が残していった泥あとを追いかけて、ついつい寄り道してしまったところを、今日もその癖でか左へ曲がってしまいました。しばらく行くと、田んぼの中には麦わら帽子を被った小父さんが一人。そのなんともいえない泥さばきの足技に見とれながら、僕は自転車の上で一人黙りこくってしまうのでした。

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只見線只見線只見線・・・と言い続けてきているのですが、ここにきて正直に告白してしまうとすれば、自分は未だに只見線に乗ったことがありません。それどころか只見線沿線に住んでいるわけでもありません。そこまで只見線にこだわるのかも未だにわかりません。ただ一つ二つ思いつくのは只見線は緑色であること、常に同じ車両が走ってくること・・・それぐらいの理由でしょうか。それでは地元路線の会津線に失礼だろうと両方の終着点であるターミナル駅を撮りに行ったのでした。そんな梅雨の合間に広がった青空は・・・

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さっき青空を見上げたときの眩しさが瞼の裏に残っているのと、急に暑くなったことで少しばかりフラフラ感じるところもあって、そのまま駅前のロータリーをぶらつくことにしました。普段、出かけているところと違って、人も車もたくさんなことに戸惑いを覚えてしまいます。後ろから近づいてくるバスのエンジン音、右目の片隅のほうにチラッとだけ映った小豆色、僕は咄嗟にレンズを向けます。うまく映り込んでくれた葵の花に、バスが過ぎ去ったあと、一人そこに立ちつくし、何度もプレビュー画面を見るのでした。

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大きな川の大きな橋を渡ること、それが僕にとって自由になれる入り口でもあって、そこから先は自分の撮りたいように撮れる ― 人目を気にせずというか、人の存在すら疎らなのですが ― そんな自由を味わえる場所なのです。そんな一時の自由を満喫したあとには、家へと戻る時間が必ずやってきます。帰り道、橋の手前の上り坂に、だんだんと気持ちも顔も下向きになってきます。そんなとき横を通り過ぎて行った軽トラの荷台から「ワンダホー!!」僕も釣られて吠え返して・・・

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坂を上りきって大きな橋を渡り終える頃には、すでに息も切れ切れになってきていて、途中欄干のところで休めばよかったと、いつも後悔。橋を渡り終えると今度は下り坂で、さっきとはうってかわって気分も上々、自転車をこぐ足にも軽快さが戻ってきます。市内をぐるっと取り囲むバイパス道路に入ってしばらくするころ、おやっ?と思うような田んぼの形。その曲線のあまりに自然なまでの美しさに見とれてしまって、しばらくの間、そこに立ち尽くす自分がいました。

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ここの駅は町中から少しばかり離れていて、駅の周囲では春にはふきのとう、夏にはホタルなど、なんだか本当に山の中にひっそり佇むような風情のある場所なのです。奥に見える白い建物が近代的なIT関連工場であるということが、なんとも時間軸に魔法をかけられたような、タヌキにでもだまされたような - まだ見かけたことはありませんが - そんな気分に陥ってしまうのです。やっぱり、このまちは空想のまちなのだろうかと自分でも不思議に思ってしまって、こうして写真におさめることで実在するまちなのだと再確認しているのです。

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いつも通る道、季節ごとに変化していくさまに、僕の頭の中のフィルムは書き換えられていくのですが、そんな季節的な変化ではなくて、今日はちょっとばかり珍しいものがあった・・・そんなことがあると首にぶら下げたPENTAXは反応してくれます。ここもいつもなら、ただのよくある向日葵だと見向きもせずに、自転車のスピードも落とさないのでしょうが、今日は脇役が隣に構えていてくれました。黒い昭和初期を彷彿とさせる自転車の無骨な荷台に鍬が・・・あまりのことに「できすぎだろう」そう呟いてしまいました。

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堤防のコンクリートに腰をおろしていると、カラカラする音が近づいてきました。手には虫取り網なのか、それとも魚取り網なのか、そのどちらかを持っているようで、それを引きずりながら歩いていた、そんなことがカラカラ音を発していたことに気付いた僕は、どこかおかしくなってしまい一人笑ってしまいました。彼らはほとんど滑るように土手を降りて行き、川原に降りると何か獲物を探すでもなく、そのまま茂みのほうへと入っていきました。僕は一人ボーっと只見線が来るのを待つのでした。

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堤防で只見線のラッシュアワーを - 一日数往復の列車が1時間に3本も通過するなんて - 撮り終えると、まだ日の高いうちにと僕は自転車を先へ進ませます。夏至を過ぎてまだ数週間と経たない空は、6時を知らせるメロディが聞こえてきても、このまま明るいままなんじゃないかと思うほどで。6時半を過ぎるころ、ようやく沈みかけようとする太陽が山際の雲に隠れたり出てはを繰り返し始めて。そんな空を見上げていると、遠くのほうから黄色い小さな点が二つ。フォーン、その音は一日の終わりを告げるかのようでした。

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さっきの只見線を見送ると、ようやっと一日を終えた満足感のようなものが心の中にできるのですが、それでもまだ物足りないようなところもあって、その辺をブラブラしていると、どこか物淋しげなススキの穂がありました。その周囲にはクモの巣が張られていて、無数の虫が引っ掛かっているのを見ると、これが淋しさの原因なのかなどと一人納得してみたり。そのススキの穂を通して見る夕焼けには、このまま太陽が沈んだきりになってしまったら・・・そんなことまで考えてしまうほど悲しい一日の終わりになってしまいました。

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あくる日、そんなことなどとうに忘れてしまっていて、またいつものように市内を抜け橋を越えて只見線に会いに行きました。その日は、なにか理由があったのか早めに家路を急いだ僕は、7時が近づくころには市内のバイパス道路を走るのでした。そんなとき、微かに聞こえてきたドーンという音に西の空を眺めてみると、小さな花火があがっていました。二発目はどうだろうかとしばらく待ってみたのですが、どうにも一発だけで終わりのようで、僕の頭の中ではさっきの音がエコーのように鳴り続けるのでした。

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首からぶら下げた僕のPENTAXは、自転車をこぐたびに右に左にブラブラブラブラ。これでも、だいぶストラップを短くしてるんだけれども・・・首からぶら下げたまま自転車に乗るのがいけないのか、それとも別の方法でもあるのか、だいぶ悩んだまま時が過ぎています。今日も、いつものようにブラブラブラブラさせながら、田んぼのあぜ道をひとり走ります。少しばかり、そのカメラの存在にイラつき始めたころ目の前に現れたもの・・・さっきまでの自分がちっぽけに思えてしまいました。

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午前中ずっと自転車で走り続けていたせいか、店から出てきた僕はペタと地べたに座り込んでしまいました。ただ、座っているだけでは不審がられるかもしれない、そんな不安もあってか、いかにも自転車で写真の旅をしているかのように振る舞うために、タイヤの空気を確かめてみたり、カメラのレンズを拭いてみたり。これから進むだろう方向を眺めてみると、なにやら白尽くめの服装の二人。どうやら彼らは遍路旅。僕はと言えば目的地も当てもない、ないないずくしの気ままな放浪旅・・・

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夏の暑さをものともせず、今日も小一時間以上かけて、とある無人駅へと自転車を走らせます。本当に田んぼの中にぽつんとある駅舎、そんな雰囲気に、自分がどこか遠くの山里まで来てしまったんじゃないかという錯覚にさえ陥ってしまいます。家を出るときにはカチンカチンに凍っていたペットボトルが、だいぶ溶けていて周囲のタオルを濡らします。口にほおばって飲み干そうとしても、溶けきらなくて何度も振ってはみるのですが、やっぱりダメで。結局はあきらめて三脚を広げカメラの準備に取り掛かるのでした。

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今日から8月。小学校の時は8月になったというのは、夏休み前半戦が終わってこれからが本番といったところ。好く考えてみれば田舎の夏休みは都会と違って、お盆が明けて一週間もすれば2学期が始まってしまいます。そう考えてみると、7月が終わった時点で3分の1は過ぎてしまったということになります。まだ大丈夫まだ大丈夫という癖が未だに抜けきっていないのは、こうやって写真を整理しているときに気付かされます。でも、やっぱり子供だったら子供らしく、おもいっきり遊ぶことも勉強の一つだと思うのです。

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世間はお盆だというのに、僕は自転車に乗って今日も遠くまで写真を撮りにでかけました。そんな帰り道、川べりのコンクリートに身体を下ろすと、どっと疲れが出てくるのと同時に、汗だくになったジーンズの水分が地面に吸収されていく生温い感じが伝わってきます。スポーツドリンクの入った水筒を取り出すと、中身はもうほとんどありません。まあいいかと口をつけようとすると、目の前には親子連れがなにやら採っているようす。とっさにカメラに持ち替えると、手にべたついた感じが・・・躊躇いながらシャッターを切りました。

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やっぱり自分の時間感覚というのは、世間一般の人とは違っているようで、本当にお盆なのになにやってるんだろうと、一人ブツクサ言いながら近くの駅まで出かけてみます。この季節といえば夏の甲子園がテレビを賑わすのでしょうが、甲子園出場という目標のためだけに、休みなく白球を追いかける球児たち。「すごいよな自分にはできっこないよな」と思っていたのですが、僕が只見線を追いかけ始めて3年目の夏を迎えます。高校生であれば卒業の年になりますが、さて僕は今後なにを目指していくのか本気で考える時が来ました。

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いつもなら、田んぼの中からようやく家路へと向かい始めるこの時間帯、今日はなにやら「かんしょ踊り」とやらがあるとのこと。めったに夜の街へと出かけようとはしない僕なのですが、友人の誘いを無下に断ることもできず、少しばかり重い足取りで場所取りをするのでした。先頭の幼稚園児が引く山車に続いて、色とりどりの格好をした踊り人。こんなときにマニュアルレンズなんか着けてこなくたってと後悔しながらも、明るいレンズで早いシャッターに満足。でもピントが・・・

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縁日というものに久しぶりに連れられて行くことになった僕は、顔では体裁の好い作り笑いをしながら、心の底では「そんな子供だましに」と、今夜食べるものなんかを考えているもう一人の自分がいて。この暑い最中、なんで子供たちはそこまで無心に走り廻れるのか理解できなくて、少しばかり疲れてきたせいもあってか、「もう帰ろうかと思って」そう言いかけたときに目の前にはスマートボールが。長い間探していたものを見つけた喜びに、疲れもどこかに吹き飛んでしまいました。

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今頃の時期になると、君が田んぼにやってくることを知っています。さすがに3年目ともなると、君や君の仲間たちを見つけても、それほど驚いたり喜んだりはしなくなったのですが、なんだか今日の君はどこか見慣れない感じがして - 日の光がそうさせたのか、逆に僕の心が違っていたのか - どことなく強く惹かれるものがあって、自転車を降りては一休みしながら長いこと眺めてしまいました。ゆっくりとした只見線の時間の流れ中で、1時間あたり3本も通過する絶好の時間帯なのに、僕まで案山子になってしまったかのようでした。

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そんな案山子になった僕の耳に、広域無線の6時を告げるメロディが流れてきました。あれはなんという曲だったか、ついさっきまで覚えていたのに、いざ書くことにしたら忘れてしまう、なんだか自分にはよくあることで、もう慣れっこになってしまいました。そのメロディに促されるように男の子が一人自転車で家路へと急ぎます。ここは田んぼの中の一本道、横を通り過ぎるのは軽トラくらいで、自転車は左側通行・・・なんて細かいことはどうでも好くなって、そんな伸び伸びした子供時代に自分も戻りたい、そう感じてしまいました。

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昨日で8月が終わってしまった - 夏休みでも終わったかのような - ことへの一抹の淋しさと、本当は終わることない夏休み状態への不安感とが同居している部分があって - 理由はどうでもいいのですが - とりあえず、いつものように只見線を撮りに出かけてみることにしました。あと1時間ほど空に浮かんでいるだろう太陽と、どちらが先に只見線に近づけるだろうかと、なかば競争状態になったようなところもあって - それはそれで自分もおかしくなってくるのですが - 結局、僕の中で勝敗はつけられないのでした。

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このあいだ太陽との勝負に勝ったのか負けたのかわからないままの僕は、今日は少し高い所に登って太陽を待ってみることにしました。城跡の急な坂道を自転車を押し押し登っていくと、まるで自分の周囲にだけ別な空間があるような静けさで、その日にあったことなど全てなかったかのような、そんな状態になってしまうのでした。ただ、あまりにも不気味なぐらいに自分だけの世界ができあがって、少しばかり不安になって松林の隙間から眼下を見下ろしてみると、通りを往く赤い小さなテールライトに安堵を覚え、また先へ進むのでした。

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僕が自転車を走らせる時間帯、それは午後になることが多くて - 休日とかそういうことの問題ではなくて - その時間帯になると、下校途中の小学生なんかとすれ違ったりして、こんな平日の昼間からカメラ片手に自転車に乗っていて怪しまれないか?というところも正直あって、できるだけ撮るときだけにバッグがら出すようにしたり、気を使ってみたりして。でも、やっぱりチャンスは突然やってくることが多くて、いつもあとになってブツクサと一人後悔してみたり。でも、今日は偶然手にしていたカメラ、グッドタイミングでした。

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さっき出会った小学生たちがやっていたように、僕も路側帯(というのでしょうか?)の上を歩いた記憶があります。所どころ隙間があって、その上を飛び跳ねること、それは小学生が勇気を試す方法の一つなのですが、入学したてには先輩の雄姿に圧倒されたものが、逆に高学年にもなると見向きもしなくなります。その一歩は小さなものなのですが、最初は難しいでしょうし、油断すれば怪我することもあります。じゃあ今の自分にとっての最初の一歩とはなんだろう・・・そんなことを考えながら只見線を見送るのでした。

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夕方近く、ほんの散歩程度のつもりが自転車をこぐ足は、自然と市内を抜け大きな橋を越え、いつもは行かない方向 - そこは只見線と離れているところ - へ自転車のハンドルを切りました。そこは以前、一度友人に釣りに連れて行ってもらった場所で、なんとも言えない電柱の曲がり具合に、また来ようと思っていたのです。久しぶりに再会した電柱に首を左右に動かしては「一直線になるところはないだろうか?」などど子供じみた真似をしてしまいました。地元の人たちは、そんなことなど気にならないかのように通り過ぎて行きました。

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郵便バイク、自転車、軽トラの行列が通り過ぎて行ったあと、僕は周囲を確認するかのようにグルっと眺めては、田んぼのほうへと近づいて行きました。マジマジと稲穂を眺めることに、どことなく極まりの悪さを感じていたのです。夕方の光に照らされた稲穂は、もうすぐ収穫の時期であろうことを知らせるかのような黄金色。そんな空間をぬうようにピョーンピョーン跳ねる小さな点、なにかと思えばイナゴのようでした。子供のときだったら追いかけたのに・・・昔を思い出しては今の自分が以前より少し大人になったことに気づくのです。

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いつ列車が通るかもわからない遮断機もない踏切を渡って、神社前を通り過ぎるころには自転車はゆっくりとスピードをあげていく、そんな曲がりくねった坂道を下っていくと大きな道路につきあたりました。碁盤の目のように走っている道路はすべて農道で、その中を一本の県道が走っている。右を見て左を見ても走ってくる自動車はまばら。道路わきに停めてあったコンバインの記号に物珍しさを感じながら、うっとり眺めていると後ろからクラクションの音が・・・軽トラの小父さんが訝しげに僕を眺めているのでした。

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今さっき、柿の木の下に停めてあったであろうリヤカーを引き引き、向こうのほうから老人がやってきます。車体と野菜とで重さがどのくらいになるのかはわかりませんが、その背中から感じ取れる重さは荷物の重さだけなのか、それとも僕が持っていない人生の重さなのか・・・そんなことなどシャッターを切っているときに感じることはできません。最近ようやっと気付いたこと・・・それは写真は撮ることだけが楽しいのでなく、時間が経って見ることでなにか感じるものがある、そんなことなのでしょうが自分は今まで気付けませんでした。

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あっ・・・モゴモゴと口の中で言葉にならない単語を何度か繰り返してみます。どうしても他の言葉ではうまく表現できなくて、「ホー」とか「へー」とかいう感嘆詞でもなくて、ただ表現の難しさと言葉が連動してしまって、しばらくのあいだ立ち尽くしてしまいました。ようやく我に返って写真を撮り始めたのですが、どうにも言葉で表現できないというところにひっかかるものがあって、その場を立ち去る時にも何度も後ろを振り返ってしまいました。いまだに僕の中ではうまく説明がつかなくて、ただ写真を眺めてはその日を思い出すのでした。

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さっき見つけた壊れた家屋 - とりあえずそう呼びます - のことがまだ頭の中には残っています。人が住まなくなってからどのくらい経つだろうか、どこかに引っ越していったのだろうか、そんなことが頭の中を交差します。しばらくはそんな状態が続いていたのですが、横を通り過ぎていく車の音に注意をひかれて、次第にそのことを忘れてしまいました。丁度そのころでしょうか、交通標識が目に入ってきました。今度は僕の頭の中のコンピュータは「登校時は農耕車のみ」と田舎の交通規則をはじき出すことができたのでした。

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昨日なにがあったのか、よくは覚えてはいないのですが、どうやら昨日の夜は眠りにつくのが遅かった・・・というよりも、眠れなかったというほうが正しいかもしれません。まんじりともしないまま迎えた朝、夜が明けるのに待ちくたびれては障子をそっと開けてはみても、日の光が入ってきません。そんなことを何度か繰り返したのち、窓を開けてみると、どうやら外は靄が出ている様子。なんだか無駄なことをしてきたことに腹を立てながらカメラの準備をします。こんなことを続けている自分も無駄なんじゃあ・・・どこからか聞こえてきます。

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そんな無駄だという気分をひきずりながら、なかば機械的に只見線のほうへと自転車を走らせる自分がいて、どこか心の中で言葉にはできないものがあるんじゃないかという考えが、まだ動き始めたばかりの頭に浮かんでは消えて行きました。いつもの場所に着いて只見線を一つ見送ったころには、そんなことなどすでに忘れてしまっていました。次の場所へと自転車を走らせていると、田んぼの中には人影。こんな朝早くになにをしているのだろうと思いながらも、シャッターを切りました。僕の心の中で、またさっきの考えが浮かんでは・・・

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今日は朝早くから家を飛び出しました。いつもなら午前8時ともいえばまだ起きたばかり - 頭の中は空っぽです - で、朝食の準備でもと冷蔵庫をゴソゴソとやっているところなのでしょうが、今朝は午前6時には起きていました。いや起きねばならなかったのです。というのも年に数度しか見れないトロッコ列車が走る日なのです。時間に間に合うだろうか、どこで撮ろうかと頭の中は予定表でいっぱいになります。でも、初めての場所に立った僕には予想のつかない構図になってしまいました。結局、あとの普通列車を狙ってみることにしました。

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そんな午前中の失敗を引きずったまま、線路わきをトボトボ自転車を押しながら歩いて帰ります。途中、醸造所のあるところで休憩がてら昼食をとります。いつもの習慣で昼食を食べたあとには、少しばかり横になりたい気分になってきます。ゴロンと横になると、秋の空にモヤモヤっとした煙が流れてきます。その煙に誘われつつ追いかけていくと、火元(煙元?)がわかりました。それにしても、なんだってこんなときに重いレンズを首からぶらさげてるんだろうと少しばかりイラつきながら、ピントリングを合わせるのでした。

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そういえば長いこと、この場所へは足を運んでいないようでした。おそらく前回ここを訪れたのは3月ごろだったでしょうか。たぶん、そのときもなんらかの気持ちの変化があったような気がします。今回ここを訪れたのも最近の閉塞感というのかスランプというのか、そんなものがどこかにあるような気がします。写真にぐたぐたと言い訳のような説明では、誰が見たっておかしいだろうと、今頃になってようやっと気付くのです。なんだか去年のような自由気ままな写真、そんなものが久しぶりに撮ってみたくなりました。

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昨日は雨のなか自転車をいじってました。昨夜から降った雪のせいか今朝はだいぶ冷え込んでいます。そんなせいもあってか、ゆっくりと自転車をこぎ出してみると、交換したばかりの新品のサドルは少しばかり堅さを感じます。この寒さのなか、遠くまで出かけようという気分にはなれません。自転車を走らせながら、とりあえずの場所を頭の中で候補にあげてみます。雪山が見えるところ・・・現地に着いてみると他の人はいません。今日はゆっくりと撮影できそう、と思いきや目の前に家族連れが・・・写真に花を添えてくれました。

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秋分の日からもう2カ月がたち、だいぶ昼間の時間が短くなったと思ってはみても、冬至まであと1カ月もあります。まだまだ、日が暮れるのが早くなるのかと考えると、だいぶん憂鬱な気分になってはくるのですが、そんな心配をするより先に寒さに参ってしまいます。一面に敷き詰められた銀杏の葉にキラリと光るものを見つけ、ふと足を止めてファインダ越しにのぞいてみます。プレビュー画面を確認しながら、今度来る時は必ず三脚を・・・そんなことが頭の中に浮かぶのですが、いつも忘れてしまうのでした。

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先日見つけた銀杏の葉を撮りなおしたくなって、また今夜も散歩へと出かけました。現地へと着いてみると、暗闇のほうからヒソヒソと男女の声が聞こえてきます。そんなことも耳に入らないかのように、地面の銀杏の葉を立ったりしゃがんだりしながら眺めてみます。残念ながら今日はうまく水玉ができていないようです。次の場所に移動して写真を撮っていると、また後ろのほうから男女の声が聞こえてきました。今度は通り過ぎていった様子で、自分はひとり静けさの中に取り残された・・・そんな錯覚を覚えたような気がします。

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夏の間、その轟轟と流れる水の勢いに、少しばかり近づくことをためらっていた水路も、今の季節ともなると水は流れていません。おそらく、稲の収穫も終わり田んぼの水が必要なくなったこの季節、上流の水門で堰き止めてあるのかもしれません。おかげでなにやら川底におかしなオブジェを見つけました。そういえば、こんなものをどこかで見たことがある、そんな風に思って頭の中のフィルムと照らし合わせてみるのですが、お盆のなす - 仏さまの乗り物 - そんなものを連想してしまう今の自分が少しばかり悲しくなってしまうのです。

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柿の身をすべて取らないのはなんたらかんたらとか・・・まあハッキリとは覚えていないのですが、なにか意味のあることだったような気がします。そのおかげか、カラスが柿の実をもいでいって食べる、そんなこともあるようです。そういえば、去年もこの時期になると写真の枚数が減ってしまった・・・そんなことに少しばかり自己嫌悪に陥ってしまいます。秋から冬へと変わっていくこの時期は自分にとって、あまり好きな季節ではないのかもしれません。どことなく物悲しさを感じてしまう、そんな季節なのです。

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雪が降り自転車に乗れなくなった僕は、川を越えてまで只見線を追いかけることもなくなりました。近くの駅 - と言っても歩けばゆうに1時間近くかかりますが - までぶらついてみることにしました。今まで錆ついていた感じのする引き込み線の上に、一台の真っ赤な車両が停まっていました。真正面からマジマジと眺めてみると、そのロータリーの曲線に思わずうっとりとしてしまいます。小さい頃、雪を飛ばすその様子から「あむ・あむ・あむ・ぷー」と名付けた、そのロータリー車が今でも好きなのです。

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その「あむ・あむ・あむ・ぷー」を撮り終えた僕は、線路を跨ぐようにできた - それは改札口や切符売り場も兼ねていて - 自由通路を通って東口へ抜けようとしたのですが、休憩所に綺麗な女性がいます。一言、写真をと声をかけてみれば良かったのかもしれませんが、まだ僕にはそれだけの自信もなく、素知らぬ顔して前を通り過ぎました。気分を紛らわすかのように外を眺めてみると、ガラス越しに除雪作業をする保線員さんの姿が見えます。シャッターを切る僕の姿をさっきの女性は見ていたのか・・・足早にそこを去る自分がいました。

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本格的な雪のシーズンがきてしまいました。きてしまったという言い方をすると、どこか雪に対してへの嫌悪感を感じるかもしれませんが、そんな重苦しいものではなくて、ただただ、またそういう季節が来たのだと・・・やっぱり、どういう言い方をしてもうまく説明はできないようです。でも、そんな雪の季節が嫌なわけではなくて、むしろ喜んでいるのは犬と同じことで、やみくもに雪の中を自転車で強行突破してみたり、そのあとにストーブの前に干す手袋からする嫌な臭いも、自分にとっては冬を連想させる季語のようなものなのです。

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目覚めるとカーテン越しに雪の降った朝の独特な静けさ - シーンという感じではなく、どこかキーンといった耳鳴りに近いものです - を感じます。障子を開けるとガラス越しに雪の白さが目の中にキリキリと差し込んできます。ああ、今年も自転車の使えなくなった季節になるのだなと思いながら、朝の準備を始めるのにどこどなく、いつになく憂鬱さが増してきます。午後、出会った老婆は自転車という乗り物すら寄せ付けないような、その凛とした姿に逞しさを感じさせられてしまうのでした。

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ドタバタとした12月を過ごす中で、なにも感じることのない自分が出来上がってしまっていたことに、ようやっと今になって気付き始めたような気がします。これだけの雪の白さを見てしまうと、その雪の下に泥混じりの雪があるとは思えません。表面でしか見ることができなかった自分の愚かさに、今頃になって悲しく思えてくるのです。雪が綺麗でいられるのは本当に短い時間です。汚れて、また上から降り積もってを繰り返します。自分もそのような人生を送れたらと思ってはいるのですが・・・本当のところは自分でもわかりません。

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小さい頃、お世話になった伯父さんが昨年ガンで亡くなりました。よく囲炉裏端で遊んだ茅葺の家も、今となっては雪の下。たわわに実った柿の実は何も事情を知りません。雪が融け家が崩れたとしても思い出は残るでしょう。
こうして『只見線のあるまちにて』は無事2009年から2010年へと進むことができました。去年の『只見線のあるまちにて』と異なるとしたら、自分の中の純粋さを融かしてしまうなにかがあったのかもしれませんが、それはまたこの次ということにしましょう・・・

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Photo and Text :
Kiyoshi Haga

Camera :
PENTAX ist*DS, K100DS, K-m,
K10D and K-7

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Copyright (C) 2010 Kiyoshi Haga, All rights reserved


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