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相手に「自分で考えてほしい」と思うなら、そのための素地を培うのが大切だと思う
1176記事目
こんにちは、旅人先生Xです。
今日は、「自分で考えるための素地」について考えていることを書いていきたいと思います。
ぜひ、目を通していただけると嬉しいです。
目次は、以下の通りです。
「自分で考えて動きましょう」と言われて困ったこと
小学生の頃だったと思うのですが、「自分で考えて動きましょう」と言われて、困ったことがありました。
何を基準に「こうしたら良いかも」と判断したらいいのか分からなかったのだと思います。
あなたもそのような経験はないでしょうか。
何を考えて、どう動いたらいいのか。
生活経験を積むことである程度のベースはできてくると思いますが、初めてのことや分からないことに取り組む際は、どこから手をつけたら良いのか戸惑うことがあると思います。
私は学校で働いているので、「自分で考えて行動しましょう」という言葉をよく聞きます。
個人的には、この言葉を使うときはよく考えて使った方がいいと考えています。
その理由はシンプルで、「自分のした方がいいこと」を相手に丸投げしていないかということです。
本当なら自分が教えるべきことを自分で考えるという耳障りの良い言葉に甘えて放棄していないだろうかと考える必要があると思うのです。
少なくとも、「できても、できなくても相手の責任」と考えては相手のためにも自分のためにもならないと私は考えています。
自分で考えて動いて欲しいと思うなら…
数年でも仕事をしていれば、後輩ができることがあるでしょう。
仕事をしたりしている時に、後輩や同僚、そして自分自身に対して、「自分で考えて動けることを増やしたい」と考えるのはよくあることではないかと思います。
私も学校で働いていて、子どもたちに「自分で考えて動ける力」を伸ばしていってほしいと考えています。
そこで、大切だなと思うのが、「自分で考えて動く」ための素地となる力について教えたり、共に学んだりすることです。
素地となる力を伝えることができれば、昔の私のように「どうしたら良いのだろう」と思って困ることは減ると思います。
何より、「別の事柄への応用」がきくようになってくるのではないでしょうか。
また、これは私が仕事をしていることの話ですが、「自分で考えてやって」と言われて、自分なりに考えてやったらひどく叱られたことがありました。
今考えても、そこまで悪いことでなかったと思うのですが、どうやら相手が思っていた行動と違ったようです。
かなりやる気を無くしたのをよく覚えています。
この経験から、「相手に考えて動いてみて」と話をしたのなら、適切なフィードバックを行うこと、やってほしくないことを伝えることの大切さを感じました。
今回の話題からは若干逸れるかもしれませんが、関連する内容ではないかと思います。
「自分で考えて動く」ための素地ってなんだろう?
最後に、自分で考えて動くための素地となることについて考えて終わりたいと思います。
やることによって、自分で考えて動くための要素は変わると思いますが、共通して言えることもあるのではないかと思います。
そこで、今回は、共通して言えそうな「自分で考えて動く」ための素地について考えてみます。
私が考えたのは、
経験と比較する
目標や目的を把握する
今ある情報を整理する
判断基準を持つ、確認する
自分でできることとできないことを知る
といった力です。
もっと考えたら出てくるのかもしれませんが、記事を書きながら思いついたのはこの5つでした。
これらの力は、自分で考えて動くための素地となりうるのではないかなと感じました。
あなたなら、自分で考えて動くための素地と言われて何を思い浮かべますか?
よろしければ、コメントなどで教えてください!
今回は以上になります。
お読みいただきありがとうございました。
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