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学ぶ気持ちを持つと、身の回りには先生がたくさんいることに気付く

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こんにちは、旅人先生Xです。

今日は「色々な先生」について考えたことを書いていきます。

ぜひ、のんびり目を通していってみてください。


目次は、以下の通りです。


先生というと教員や講師が思い浮かぶけど…

「先生」と聞くと、多くの人は学校や塾、習い事の先生や講師を思い浮かべるのではないでしょうか。

他にも先生とよばれる方々は多くいると思いますが、学校や塾、習い事の先生を思い浮かべる人も合わせて思い浮かべる人は多いと思います。

そんな先生のイメージに対して少し思うところがあります。

それは、「先生」って学ばせてもらう相手にも使う言葉でもあるということです。


先述したようなイメージで出てくるのは職業に対しての「先生」であり、学ぶ対象に対しての「先生」とは被るところもあれば、ちょっとズレもある気がするのです。

職業としての「先生」のイメージが強いなと私は感じています。

そこで、次に「学ぶ対象としての先生」について考えていることを書いていきたいと思います。



自分が学ぶところがあるなら、その対象が先生ではないか

学ぶ対象としての先生。

この先生は、資格や職業、年齢を問いません。

自分が相手から学ぶことがあれば、その相手は自分の「先生」と言っても良いと私は思います。


私は、小学校で働いていますが、子どもたちから学ぶことは今もたくさんあります。

私に学びを与えてくれる子どもたちは、私にとって、受け持つ子でもあり、先生でもあるというわけです。

カフェの店員さんや道ゆく人たちの気遣いから学ぶこともあります。

その人たちの中には名前もよく知らない人たちがいますが、私にとっては先生だと言えます。


皆さんもきっと身の回りの人から学ぶということは多いのではないでしょうか。

自分に学びを与えてくれる人たちをみな先生と捉えてみると私はなんだかすごく面白くなってきます。

「学ぶ対象をその都度、先生とする」と考えるだけで見方や考え方はグッと広がると思います。

そのため、先生というイメージを職業としての「先生」の認識から広げてみるといいのではないかと私は考えています。



学ぶ気持ちを持つと、身の回りには先生がたくさんいることに気付く

ちょっと極端かもしれませんが、「身の回りの人たちが皆、自分に学びを与えてくれる存在である」と考えてみると身の回りの人たちは皆、先生と考えることができます。

「この人からは学ぶことはない。」と相手を低くみたり、あなどったりするようなことをしていては色々な意味でもったいないと思います。

周りの人を【自分とは違う経験をしている人】と考えてみれば、相手から学ぶことがあるのは明らかなのではないでしょうか。


人から学び、自分を成長させる。

とてもシンプルなことですが、これを実現させるための手段として、「身の回りに学ぶ対象としての先生がたくさんいる」ということがきっと役立つと思います。

また、そう考えることで、相手を尊重する気持ちや態度も培えるのではないでしょうか。

他人を嘲笑したり、揶揄したりすることが、さも当然のような風潮がある場所や環境もあると思います。

ですが、私は、互いに尊重し合っていくためにも、「身の回りに学ぶ対象としての先生がたくさんいる」ということを意識して過ごしていくことが良いのではないかと考えています。

自他の尊重のためにも、「先生」という意味について認識を広げてみるのは効果的なのかもしれません。



今回は以上になります。

最後までお読みいただきありがとうございます😊

ではまた、次の記事でお会いしましょう。

みなさま、皆様、良い一日をお過ごしください。

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