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思ったことや感じたことを言葉にすることは、自分を作っていく大切な経験だと思う

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こんにちは、旅人先生Xです。

今日は「思ったことや感じたことを言葉にすること」について書いていきたいと思います。

ぜひ、のんびり目を通していっていただければ幸いです。


目次は、以下の通りです。


①思ったことや感じたことを言葉にするのは難しい?

算数の計算式や社会や理科の穴埋め問題など、知識を問われる問題に関しては、「正解がある程度決まっている」と考えられるため、知っていれば、そこまで苦も無く答えられると思います。

子どもたちの様子を見ていても、知識さえあれば、そうしたことに関する受け答えは、そこまで負荷がかからないように感じます。

一方で、「思ったことや感じたこと」と問われると途端に難しく感じることがあるようです。


子どもたちに理由を尋ねたことがあるのですが、その時には「答えが決まっていないから何書いたらいいかよく分からないんですよ〜」「確かにそうだよね!」みたいなやり取りがありました。

「答えが決まっていると感じるかどうか」が言葉にしにくいかどうかに直結している人もいるんだなと思いました。

私は、あまり気にしたことはなかったのですが、「当てに行く」みたいな思考や感覚が強いと考えたことを言葉にするのが難しいと感じるのも頷けます。

皆さんはどうでしょうか。



②思ったことや感じたことは、正解・不正解でスクリーニングしなくてもいいのでは?

思ったことや感じたこと、考えたことは、正解かどうかの思考でふるいにかけなくてもいいじゃないかと私は思います。

「自分はこう思う。」
「〇〇さんはこう思うみたい。」
「◇◇さんは自分とも〇〇さんとも違うんだ。」

上記のように、そのままを受け止めるイメージで捉えればいいんじゃないかなと。


どれが良い考えだとか、効率がいいとか悪いというのも一つの視点として鍛えていく必要があると思います。

しかし、それと同様にそのままを受け止める練習もまたしていく必要があるのかなと感じました。

特に、①で例に挙げたように「正解のある・なし」に思考が偏りがちな場合は、そのまま受け止めるという機会を増やしてもいいのかなと思います。


学校の授業などで扱うのは、「何かの基準に照らし合わせてより良いのはどれだろう?」とか「この考えのよさはなんだろう?」というものが比較的多いと私は感じています。

だからこそ、「そのまんまを受け止める」ということの経験を積んでいくことは大切になってきていると言えるかもしれません。



③正解ばかりを求める思考の癖は、時に自分を縛るのか?

明確な答えのない問題や問いが増えてきて、それらのことにどう向き合うかということが重要視されるようになってきたというのは周知の事実です。

生成AIを始め、技術が信じられないスピードで進歩する日々。

そうした背景を根拠に「自分の考えや思ったこと、感じたこと」を主張したり、伝えたりしていくことが大切だという話も耳にしたことがある人は多いと思います。


確かにその通りな側面もあります。

ただ、個人的には、そんな背景云々があるにしろ、ないにしろ、子どもたちには「自分の思ったことや感じたこと」を大切にしてほしいと考えています。

理由は、「自分の思ったことや感じたこと」、そして「思ったことや感じたことにどう向き合っていくか」が「自分」を作っていく大切な作業の1つだと思うからです。


そう考えると正解ばかりを求める思考の癖は、自分を縛ってしまうことにもなりかねないかなと感じます。

「正しい解や答えがあるはずだから、自分の思っていることや感じていることは間違っているだろう」
「周りの人と考えが違うから、自分は変なんだ」

正解を求める思考で考えると上記のように自分を縛ってしまう時が出てきてしまう気がします。


「間違っている」とか、「違う」とかだけじゃなくて、「そういうのもあるんだなぁ」となんとなく受け止めたり、「色々あるんだなぁ」と柔らかくキャッチしたりすることができたら、自分の思考や行動にも幅が出そうだと私は思います。

そうやって少しずつ思考や行動の幅を広げたり、時に狭めたりして積み重ねた経験は、「自分」を作っていく上でとても大切な役割を果たしてくれるんじゃないでしょうか。



今回は以上になります。

最後までお読みいただきありがとうございます😊

ではまた、次の記事でお会いしましょう。

みなさま、皆様、良い一日をお過ごしください。

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