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オーストラリアに行ったら、レ・クレドールのコンシェルジュになった
ロックダウン中のシドニーで、私の職場であるホテルは、影響をもろに食らっています。時間だけはいやというほどあるので、どうやって現在の自分が出来たのかを振り返ってみました。なんせ20年にわたるストーリーなので、分けて書いていきます。
まずは、ホテルに就職した理由からそもそも、大学の専攻は歴史だったのでホテル業界とは全然関係がなかった。
いざ就活を、という際にどういう業界に就くべきか、と考えた。だ
オーストラリアに行ったら、レ・クレドールのコンシェルジュになった:続き
ロックダウン中のシドニーで、私の職場であるホテルは影響をモロに食らっています。時間だけはいやというほどあるので、自分の仕事歴を振り返ってみました。なんせ20年にわたるストーリーなので、分けて書いていきます。
今回のストーリーは、ちょっと主題から逸れますが、自分にとっては大きな転機だったと思うので、当時つけていた日記を引っ張り出してきました。
1995年1月17日その日は早番出勤だったので、5時
オーストラリアに行ったら、レ・クレドールのコンシェルジュになった:続々
ついに勤務先のホテルより3か月間休職となりましたが、給与の一部は引き続き貰えるので、まずは安心。この話は、いよいよオーストラリアに渡って、学校に行っている頃になります。
学校が始まる
さて、初めてのオーストラリア。子供の時に、父親の仕事の関係で3年ほど海外で生活していたので、それほどカルチャーショックに悩むとか、ホームシックになることもなかったような記憶がある。着いてすぐにオペラハウスにコンサー
オーストラリアに行ったら、レ・クレドールのコンシェルジュになった:まだ続く
Covid-19のせいで、3か月休職中の身の上。この話を書く時間はたっぷりあるということだな…
ついに職をゲット
さて、ハイアットリージェンシーでの仕事が始まった。ついに海外で仕事をする、という目標がかなったので感慨深かったけど、ポーターの仕事って、まさにエントリーレベル…ってカタカナで書くとまだましだけど、「下っ端」の仕事だ。なんてったって、メインの仕事内容が、荷物を運ぶことだもんね。言ってみ
オーストラリアに行ったら、レ・クレドールのコンシェルジュになった:そろそろ本篇?
就労ビザももらえたし、仕事がどんどん楽しくなってきた頃だったなあ、と今振り返ると思う。もっと勉強しとけばよかったかなあ、とも思うけど…
オレはコンシェルジュになれるのか?これでしばらくこのホテルで働けることになったので、自分の進路(っていうと学校みたいだなあ)について考え始めた。自分は何になりたいのだろう。ホテルで働くという目標は達成できたが、ホテルの中でもポジションは色々ある。
話はさかのぼ
オーストラリアに行ったら、レ・クレドールのコンシェルジュになった:ほぼ終結
さて、前回のストーリー(下にリンク貼っときました)でちらっと触れた問題点とは、海外で働く人にとっての大きなハードル、ビザである。
ビザが欲し~外国に行って、その国のライフスタイルが好きになり、仕事も幸運に見つかり、ああ、もっと居たいなあ~、という時に立ちはだかるこのビザという壁。これが叶わず、泣く泣く帰国した友達を結構見てきた。
自分も、最初に出してもらった期限つきの就労ビザの期限が切れそうに
オーストラリアに行ったら、レ・クレドールのコンシェルジュになった:とりあえず〆ます
山あり谷ありのシドニー生活も、ひと段落。でも、これで落ち着いてはいられないよ~。
次なるステップ…?さて、永住権もとれた、レ・クレドールのメンバーにもなった。そうすると、新たなチャレンジが出てきた。それは、5スターホテルのコンシェルジュになるということだった。
グレースホテルには在籍10年になり、このホテルに雇ってもらったおかげでここまで来れた、という一面もあるから、それについては感謝してもし
アフターコロナのホテル像
(ちょっとショッキングな写真でスミマセン…適当なのが見つからなかったので!)
先日、アメリカのホテルがどのように営業を再開するかについての記事を読んだ。
うわ、マジで?っていうのが一読した感想。これじゃ病院じゃん。
ま、Hospitality と、Hospitalは文字も似ているけど。
めちゃくちゃ雑かつ簡単にまとめると、
部屋や館内の清掃、消毒にめちゃくちゃ手間暇かける
それに反し、