見出し画像

香菜さんの男子禁制酒場(5)「その名誉男性、女衒につき」

地方にある山間の町。そこにある古民家を改造したお洒落な居酒屋「円」
キリッとした美人だが、口の少々悪い女将、香菜が一人で切り盛りしている
料理とお酒の美味しい居酒屋だ。
そこにはいつも訳ありの女性の一人客がやってくる。
香菜の美味しい料理とお酒が彼女達の心を癒してくれる、グルメなフェミ小説。

(本日のお品書き)
 ○あん肝のフォアグラ風
 ○なんちゃってキャビアとシラスの没落貴族丼

(本日のゲスト)
 ○玉希 55歳  職業 編集プロダクション経営

(本日のテーマ)
 ○名誉男性

(前回のお話はこちら↓)

接客業は笑顔が命と言われている。
お客様は神様なのだから大切に扱わないといけない。
そんな昭和の流儀を宮沢祐介は大切にしている。

祐介は東京から車で四時間かかる山間の町で移動スーパーの運転手として働いている。お客さん達は高齢者が多い。自分を孫のように可愛がってくれる。    
家族に縁遠い幼少期を送った祐介はそれがありがたく、その笑顔に答えな ければと笑顔で返す。
 そもそも祐介は争いが嫌いだし不穏な人間関係の中にいると苦しくなってしまうだからその場の空気を読むのは得意で、その空気に適した言動を取ってしまう。
極度のHSPなのだ。人の感情が自分に感染ってきてしまう。

それを防ぐ手段が「笑顔」なのである。

だからなのか「目が笑っていない」と言われる事もあるし「愛想笑い」とも言われる。まるで太宰治の『人間失格』の冒頭にある写真の男の扱いである。     
薄っぺらい笑顔という事である。
たまにパニック発作がおきてしまうのも、無理をして笑っているからだろう。

その祐介が先輩ドライバーであるタクさんと共に仕事終わりでよく飲む居酒屋が『円』である。
ここに来ると祐介は本来の自分に戻ったような気分になり、いつになく饒舌になる。
それはアルコールが入っているからというのもあるが、タクさんとこの『円』の美人女将、香菜さんが自分より年上なのに大人気ないからだ。
気を使わなくてすむのだ。
 香菜さんの年齢は分からないが、確実に昭和生まれである。      ちなみにバツイチ。そして一人で居酒屋を切り盛りする接客業の鏡である。

しかしこの香菜さん「お客様は神様、接客業は笑顔が命」という昭和の流儀を無視して、感情が表情に出てしまう。接客業なのに好き嫌いが結構激しいのだ。    
この間など、したり顔で蘊蓄を語る男性客を追い出してしまった。

驚きと同時に「羨ましい」と祐介は強烈に興奮してしまう。       自分も香菜さんのように自分の感情を解放し苦手な人間にぶつけられたら…。
多分、香菜さんなりに気をつけているかもしれない。しかし、嫌なものは嫌なのだろう。そこに祐介は、最終的には全て自分で責任を負うという覚悟というか諦観のようなもの香菜さんが抱いている感じがして、格好良いなと 思う。
 最近は香菜さんの表情や言動から、香菜さんが好きな客、苦手な客が分かってきた。
 苦手な客だと香菜さんのきりりとした眉毛の右の端が、ピクリと動くのだ。
 今夜の来たおひとりさま客の顔を見た時、香菜さんは笑顔で迎えつつ右眉がピクッと動くのを祐介は見逃さなかった。

「わー、玉希さん、お久しぶりです。わざわざ来て頂いちゃって」
「はるばる来ちゃったわよー」

 香菜さんに『玉希さん』と呼ばれた女性はニコニコしながらカウンターの中央席に座った。
「Facebookをたまに見てたけど、素敵なお店じゃなーい」
 玉希さんは斜めがけしていた黒いショルダーバッグを隣の席に置いて、席に座った。そのショルダーバッグが、シャネルのマトラッセである事を祐介は見逃さなかった。
 玉希さんは店内を見渡しながら「趣あっていいじゃん」と尚も続ける。
「あ、こちら柏樹玉希さん。東京で編集プロダクションを経営している  やり手女社長。昔、私もお仕事を紹介して頂いたんです」
 
カウンター席の端に座り、チラチラと二人の様子を見ている祐介とタクさんの視線が気になるのか香菜さんは玉希さんを紹介した。

「やめてよ、やり手女社長だなんて」

 笑う玉希さんに祐介はなるほどと腹落ちする。
ハイブランドであろうゴールドのごつい指輪を三つ付け、ショートの耳元には軽く二カラッとはありそうなダイヤのピアス。           
ジーンズにスニーカーにサマーセーター。カジュアルなアイテムだが、全てハイブランドのロゴが入っていた。指先には派手なジェルネイル。いかにもバブル世代のマスコミの女性という感じだった。
祐介は東京の不動産会社で働いていた時、彼女のような女性に家賃二十万
以上の物件をよく案内していた。家族世帯でも平均十万を切る都心で、
単身で二十万から三十万の物件を借りてくれる上客が多かった。
案内しながら、自分には縁のないゴージャスな内装の部屋を見て、この女性達は一体どんなすごい仕事をしているのだろうと不思議でならなかった。

「もうね、やり手でも社長でもなんでもないのよ」
「え?」
「畳もうかと思って、会社」
「えー!そうなんですかあ?」
「不況だから出版社はどんどん潰れちゃうし、広告はウェブに取られちゃうしね」
「まあ、そうですよね。ウェブ展開はされないんですか?」
「安くてやってらんないわよ!」
「そりゃあまあ、バブル世代の紙媒体と比べたらそうでしょうけど。飲み物はどうされますか?ビール?」
「うん、お願い」
 香菜さんは玉希さんの前にグラスと海の町で作られた地ビールの小瓶を置いた。
 玉希さんは手酌でビールをグラスに注いだ。ビールの種類はペールエール。
今夜のお通しに合うものを香菜さんは選んだようだった。
「はい、どうぞ」
 濃い藍色の小皿の上にのっているのは、サーモンピンク色のアン肝だった。
表面がまるでクリームブリュレのように軽く炙られている。 
「あれ?アン肝だよね?この表面は何?」
「まあ、食べてみて下さい」
 
玉希さんは箸で表面を軽くつつく。カリッとした固い感触を箸の先に感じる。それからアン肝を割るように切って一切れを口の中へ。アン肝の濃厚な旨味を爽やかな甘みが包みこむ。               
意外な味の組み合わせに玉希さんは目を見開いた。
「あ、甘い。これってジャム?」
「梨のジュレを薄く伸ばしたものをアン肝に塗って軽く炙ったんですよ」
「へー、流石ね。これならワインにも合いそう。まるで、なんちゃって
フォアグラね」
 玉希さんは一切れ、また一切れとアン肝を口の中に運び、ビールを美味しそうに飲んだ。
「あー。昔は良かったわあ。マデラ酒をかけて焼いたフォアグラがのったステーキ食べて、一本二十万はするワインを飲んで。いい時代だったわあ」
「すいません。なんちゃってフォアグラと地ビールで」
「いいのよ。私も年で、そんな脂っこいものを受け付ける胃腸じゃないからさあ」

「俺、二十年前に東京で働いてたけどそんな食生活おくった事ないけどなあ。なんか、異次元の話を聞くようだけど」
 酔っ払ったタクさんが、いつものように話に割って入っていった。
「あら、東京で何やってたの?」
 玉希さんは初対面の人間と話し慣れているのか、タクさんとフランクに話し始める。
「ミュージシャンやってたんですよ。こう見えてもバンドでドラムをやっていて、メジャーでアルバムを二枚出したんですよ」
 タクさんは両手で箸を持ち、玉希さんにポーズをつけてみせる。
「へえ。レーベルは?」
「大正屋レコードって言うだけど」
「ああ、なんか、あったわね。そんなの」 
玉希さんは鼻でフッと笑い、明らかに小馬鹿にした上に興味のないリアクションを取った。
 タクさんは箸を持った両手を気まずそうに下げた。女のこういう態度には慣れている。金と権力を持っていない人間は自分の視界には存在しない、 残酷なスルー力。東京のショービズの世界で散々経験し、今、タクさんは この山の町で移動スーパーの運転手をしているのだ。


「こちらには取材か何かですか?」
 気まずい空気を変えるように香菜さんが話しかける。
「この町で空き家になった古民家をみつけてコワーキングスペースを作ろうと思って。で、東京の事務所の家賃を浮かせたいから荷物こっちに持ってくるの」
「え?玉希さん、移住するんですか?」
「まさか。こんな何もない町」
「え、じゃあ…」
「この町、去年から、移住して事業を始める人間に助成金出すようになったのよ。だから暇な若い子を管理人においてブログとSNSだけはやらせてね」
「え、じゃあ事業はしないって事ですか?」
「一応形だけね。だってこんな辺鄙な町にコワーキングスペースにしても、どうせ人は来ないでしょ。で、いくつか雑誌の取材受けて『移住系女子』なんて本を出せば、事業している感じなるから助成金はおりるって訳。それで事務所の家賃は浮かせるって感じかな」
「さすがはやり手社長だねー」

 タクさんは玉希さんの計画をおだてるが、祐介はとてもそうは思えなかった。 それって法律には抵触してないのだろうが地方の財源を搾取しているようにしか見えない。
「それって助成金詐欺なんじゃないですかね」
 祐介の心のうちのモヤモヤを香菜さんがズバリと言葉に出して言う。
「ちょっと詐欺はないでしょ、詐欺は」
「だって形だけなんですよね?」
「でもブログとSNSが拡散されるかもしれないじゃない。ちゃんと助成金分の宣伝はしてるわよ」
「すごいですねえ。D通より高い宣伝料ですね」
「貰えるものは貰っとかないと。ところで香菜ちゃん『美人女将のお店』っていう単行本を出版しようと思ってるんだけど、出ない?」
「ごめんなさい。私はそういうのはちょっと…」
香菜さんは、小さくため息をついて言った。数年ぶりに急にこの女が訪ねてきたのにはこういう理由があるのだ。
 
 祐介は香菜さんの表情から戸惑いというより、静かな怒りを感じていた。
「あら、なんで?勿体ないわよ!香菜ちゃん美人なのにインスタとかで顔出しもしてないんでしょ?」
「うちは居酒屋なので。料理とお酒が主役です」
「そんな〜。昔のよしみでお願い」
「ごめんなさい。お断りします」
 香菜さんはぴしゃりと玉希さんを見て言った。
「あら、こわーい。香菜ちゃんは真面目だからね。これは失礼しました」
 玉希さんが苦笑いを浮かべながら小さく頭を下げる。
「今の若い子って、香菜ちゃんみたいな真面目な子が多くてやり辛いのよー」
 玉希さんはビールを勢い良く飲んだ。
「広告出してくれるスポンサーとの飲み会に連れていったら、ダブダブの黒いシャツとロングスカートとか履いてきて、愛想も悪ければお酌もしないの。あとから注意したら『私の仕事は編集の見習いでキャバ嬢じゃない』なんてこっちが怒られちゃうのよ。私の時代は、察してノースリーブとか膝上のスカートとか履いて気に入られようとしたものよ。ほんと話が通じなくて」
「え。そういうのって意図的なの?ノースリーブとか膝上スカートとか」
 タクさんが思わず口を挟む。
「当然じゃない」
「それ、だって『気に入られる』ベクトルが違うんじゃないでしょうか。 編集者の技術やセンスで気に入られるならともかく、女性の魅力でクライアントに気に入られても」
祐介がタクさんに加勢する。

「ちょっとちょっと、この能天気な道徳男子達は何?編集者の技術も人脈も何もない若い娘がそのくらいやらなくてどうするのよ。じゃなきゃ、広告料なんて引っ張ってこれないわよ」
 玉希さんの語気が強くなって、二人を睨んできたのでタクさんと祐介は慌てて 目をそらした。
「最近さあ、パパ活アプリっていうの?ああいうのが流行っちゃったおかげで、飲み会に若い子連れていけないのよ。断られちゃうのよねえ。ただでおっさんと飲み食いするの嫌ですなんて言う訳よ。その辺の若い女の子がおやじとただお茶や食事をするのに対価を求める訳よ。恐ろしい時代になったわよ」

「当然じゃないですか」
 香菜さんが唖然とした表情で玉希さんに言った。玉希さんは「え?」と 口の中でつぶやいた。
「女の二十代という貴重な時間を、恋愛対象でもない既婚者の男達の暇つぶしに付き合って、欲望の視線を浴びてセクハラめいた質問を浴びせられる。これは本来、水商売の女性がそれなりの高額な対価をもらって請け負う事です。もし対価が支払われないのだとしたら、搾取以外の何ものでもない。 それを水商売を仕事にしていない若い女性達に気付かせのがパパ活アプリという訳です」
 真顔で理路整然と説明する香菜さんを玉希さんがぽかんと口を開けてみつめている。
「あら、じゃあ香菜ちゃんは女の子がパパ活アプリやるの、賛成って訳? 売春してる子もいるのよ」
「賛成な訳ないじゃないですか。ただ若い女の子をクライアントやスポンサーの席に同席させてご機嫌をとって大きな仕事を受注する。それ若い女の子にとって対価のないパパ活みたいなもんだって言ってるんです。そういうの、若い女性を売っている『女衒』行為だって気付いた方がいいですよ」
「な」
 玉希さんの顔は一瞬にして赤くなった。それはビールの酔いからくるものではない事は一目瞭然であった。
「ちょっとちょっと、あんまりじゃない?香菜ちゃん。はるばる来た客を
『女衒』呼ばわりって」
 玉希さんは顔を引きつらせながら言った。
「あら、お気に触るようでしたら失礼しました」
 
香菜さんは笑顔を浮かべて玉希さんに頭を下げる。これほど気持ちのこもっていない、口先だけのお詫びを遼介は初めて聞いた。
 
二人を張り詰めた緊迫感が包み込み、それは居酒屋『円』の店内中に充満する。
タクさんも祐介もまるで剣道の試合会場に紛れ込んだ気分で、口を挟めるなんて
雰囲気ではなく、前を見つめ静かに飲みながら眼球を必死に動かし脇目で 二人の様子を見守っている。
「言わせてもらうけど、私が若かった時代はもっと酷かったわよ。だって セクハラなんて言葉がないわけだから。率先してミニスカート履いて、ノースリーブを着て、猥褻な言葉や触ってくるジジイ共を笑ってかわして、ホテルに連れ込まれそうになったのを振り払って逃げてきたのよ。そりゃあ、 悔しくて泣いた日はいっぱいあった。 でも、それを乗り越えて今の編プロの社長としての私があるの。この業界で三十年以上の仕事を続けられているのよ。それを今の若い子はなんでも『セクハラ』だ『パワハラ』だ『搾取』だって言うのよ。それを乗り越えなきゃこの業界で仕事なんてできっこないし生き残れない。それなのに香菜ちゃんには『女衒』とまで言われてるなんて心外だわ」

「だって、それはたまたまでしょうね」
「たまたま?」
「たまたま玉希さんの感覚が鈍かったから生き残れたんじゃないですか?」
「鈍い?」
「私も編集者として働いていた時、近い事されて耐えられずに降りた仕事 あるし、それでやめた人もいっぱいいますよ」
「『鈍い』じゃなくて『我慢強い』と言って貰いたいわね」
「自分が我慢していた事を、若い子にも強いるんですか?やめさせる事が 上の世代の務めなんじゃないでしょうかねえ」
「あらあら。『務め』なんて言葉が出ちゃって。ほんと香菜ちゃんって真面目よねえ」
「だってきっと今の若い子は我慢しても、玉希さんが今つけてるピアスや 指輪は買えないもの。我慢の対価も今の時代、桁違いに少ないですからね」
「そう言われるとねえ。やっぱり時代のせい?泉谷しげる歌いたい気分だわ」
「何ですか?泉谷しげるって?」
 二人の会話が分からない遼介がタクさんの耳元に小さく呟く。
「ああ、知らねえよなあ。『すべては時代のせいにして』って歌があって だなあ…」
 祐介とタクさんは玉希さんに聞かれないように小さな声で話す。祐介は すかさずスマホでその歌をイヤホンでこっそり聴いてみる。祐介もタクさんも生まれる前の曲だが、なぜか今の自分にグサグサと刺さってくる歌詞だった。
「時代じゃなく、自分のせいじゃないですか?その歌の通り」
 香菜さんは真顔で玉希さんに言った。 

「もう、何なのよ!さっきから!ひどいじゃない!この店は客をいじめる訳?
  これこそ、女将ハラスメントよ!オカハラよ!」

 玉希さんは耐えきれず立ち上がって大声で叫んだ。
「私だってね、これでも世の中が平和であればいいって願ってるわよ!世界平和を祈ってお遍路に行ったり、これからの若い世代の為に地球環境がよりよくなる為にゴミを出さないようにしたりね、社会貢献してるわよ!」
 香菜さんは失笑しながらこう返した。
「世界平和とか環境とかでっかい事を言う前に、身近な人間を売るのを方をやめた方がよっぽど社会貢献なんじゃないでしょうか」
「人を売る?」
「だって玉希さんがやってる事って、若い女の子を飲み会に呼んで仕事を取る女衒業だけじゃない。頼んでもないのに人を美人女将にくくって本にしようとしたり、地方の助成金もらう為に若い子をおいてコワーキングスペース事業やってるふりをしようとしたり。全部、人を売ったりダシにして利益を得ようとしている訳じゃないですか。それがいかにゲスいことか、自覚した方がいいですよ」
玉希さんは打ちのめされたようで脱力したのか、パタッと椅子に座り込んでしまった。
「…確かにそうかも」
「え?」
「この年まで自分に『これだ』っていう専門の分野がなくて自信がなかったのは事実よ」
 俯く玉希さんの手元を祐介は横目で見る。ボトックスを打っているのか 顔の皺はないが、手の甲には血管が浮き立ち深い皺があった。老年の人間の手であった。
その手の甲に玉希さんが生きてきた長い年月と苦労を祐介は感じた。

「はい、これ食べて帰って下さい。今回は言い過ぎました」
香菜さんは玉希さんの前に小さな丼茶碗を置いた。
玉希さんが蓋を開けると黒い小さな粒々と蒸しあげたばかりのシラスが陰陽のマークのように配置され、真ん中に糸のように刻んだシソが盛られている。
 玉希さんはレンゲを使って一口、すくって口の中に入れる。
「この小さな粒々って」
「キャビアではございません。トンブリでございます」
「ああ、なんちゃってキャビアね」
「名付けて『没落貴族丼』です」
「言うわねえ、本当に」
 玉希さんは脱力しながら一口、また一口とご飯を口の中へ運ぶ。プチプチと口の中で弾けるとんぶりは、叩いた梅干しと和えてあり酸味が効いて玉希さんの酔いを覚ましていく。
「没落貴族だの、詐欺師だの、女衒だのってさあ。名誉毀損ものよ」
「すいません」
「下の世代から勝ち逃げ世代だのって責められるのは慣れてるけどね。ほんと皆、バブル世代が嫌いよね。憎んでるわよ。でもさ、そんなにバブル世代に生まれたのが悪い事なの?景気のいい時代に生まれたのは私のせいじゃないわよ」
 まるでヤケで食べているように、玉希さんは丼ご飯を次々に口の中に運ぶ。
「香菜ちゃんだって、そこの道徳男子達だって、あの時代に生まれてたら私みたいな考え方になるわよ。自分達だけが清貧みたいな顔しちゃって何?」
「まだそんな事、言っちゃってるんですか」
 香菜さんが右の眉毛をピクリと上げて言った。
「時代に合わせて考え方をアップデートしていかないと、フランス革命時代の貴族みたいになっちゃいますよ」
「バブル世代は狩られるわけね、怖いわね」
 玉希さんは食べ終わるなり、立ち上がってシャネルのマトラッセの中から同じくシャネルの金色の長財布を取り出した。
「あ、お代は結構ですよ」
 香菜さんは微笑んで言う。もちろんその右の眉毛の端はヒクついている。
「この町の助成金を貰うわけにはいきませんから」
「…そう。ごちそうさま」
玉希さんは財布をバッグの中にしまった。
「でも、安心して。この町にコワーキングスペースを作るのは諦めるから」
「良かった!」
 香菜さんは心の底からホッとしたような顔をした。
「あなた達みたいな平民に暴動をおこされたらかなわないからね」
 玉希さんは意地悪そうな笑みを浮かべて出入り口まで歩いていく。
「じゃ、香菜ちゃん、道徳男子達、今夜はありがとう。忘れられない夜になったわ」
 扉に手をかけて玉希さんは振り返って言った。 
「でも最後にいいかしら?」
「何ですか?」
「私はバブル世代に生まれて、ほんっとーにラッキーだったわあ!」
 唖然とした表情を浮かべる店内の三人を尻目に、玉希さんは毅然と前を向いて出て行った。

 しばし、三人はぽかんとしてお互いの表情を見合う。
「…塩撒いたら?塩」
 タクさんが香菜さんに言う。
「いや、そんな気力ないな、もう、疲れた…」
 香菜さんは丸椅子にストンと座り、地ビールの小瓶の栓を開けてグラスについで一気飲みする。
「どこまでも平行線っていうか。エネルギー吸い取られたって言うか」
「確かに!あの人っていうか、あの世代のエネルギーって何なんですかね?」

 祐介は香菜さんに激しく同意する。                 いつも主役だと思っている、自分が大切にされるのは当たり前だと思って
いる。あの世代の自己肯定感の高さは一体何なのだろう。祐介は心底羨ましかった。

「それは時代に愛されてたからじゃない?」
 香菜さんは残りのビールをグラスにつぎながら答えた。
「だから時代のせいに出来るのよ」 
 
なるほどと祐介は腹落ちする。相手が何であれ『愛』を知っている人間は、それはそれで厄介だ。失う怖さを味わうから。
だったら最初から知らない方が幸せなんだろう             自分のように。
 店内に漂う白けた空気を変えようと、祐介は香菜さんに言った。
「塩、俺が撒きます」
 祐介は香菜さんから半ば奪うように塩が入った壺を手に取る。
店の外に出て勢いよくその塩を撒きながら、その行為がこの店の為なのか、自分の為なのか、祐介はよく分からなかった。


(↓他にこんなものを書いてます)


うまい棒とファミチキ買います