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歴史小説『はみだし小刀術』

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構想段階の今作です。 まだどうなるか分かりません( ˘•ω•˘ ).。oஇ
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歴史小説『はみだし小刀術 一振』第9話 治水と祖父

歴史小説『はみだし小刀術 一振』第9話 治水と祖父

宇喜多直家は10年の歳月をかけ、岡山市東域邑久郡を含む地域を得た。西大寺、備前福岡という独自自治の街を含め商業の中心地も協力し治めた形だった。一方主家浦上氏は遠く吉井川を上った難攻不落の要害天神山城にあった。直家はこの頃、砥石山城から沼亀山城に本拠を移した。沼亀山という小さな山を丸ごと城とした平城だったといわれている。時代は難攻不落の山城から起動性の高い平城へ移り変わろうとしていた。備前の平定を目

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歴史小説『はみだし小刀術 一振』第8話 話し合い

歴史小説『はみだし小刀術 一振』第8話 話し合い

宇喜多直家は西大寺、備前福岡を手中に治める形で現在の岡山市東域邑久郡の辺りを吉井川沿いに海まで広く支配下においた。話を少し戻し、乙子城にあって直家が海賊退治を担った時、直家の方法論の一旦となる資料が残されている。資料には宇喜多直家は海賊を平定する為、海賊となった。と少し驚く事が書かれていた。直家の兵が他の兵に比べて異質だったひとつには初期戦力の乙子城において直家が兵を集めていた時その3割ほどは平定

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歴史小説『はみだし小刀術 一振』第7話 足払い

歴史小説『はみだし小刀術 一振』第7話 足払い

砥石山城攻略後、宇喜多直家から、備中勢と内通したと指摘された沼亀山城主・中山信正(中山備前守)は、娘を実質的な人質として宇喜多直家の正室として嫁がせ、謀反の疑いを晴らそうとしたが、1559年、宇喜多直家は、備中勢と内通したとする沼亀山城主・中山信正(中山備前守)と、謀反の容疑をかけた砥石山城の西隣にあった高取山城の祖父の仇の島村盛実を同時に落城攻略し誅殺、復讐を果たした。どちらも不意打ちであったと

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歴史小説『はみだし小刀流 一振』第6話 傾奇者

歴史小説『はみだし小刀流 一振』第6話 傾奇者

宇喜多直家はその後、戦国の梟雄と呼ばれることになっていく。たった一人から始まった彼の復讐劇に仲間が多く倒れたのだろう。商人気質の合理性で考えればどんな手を使っても、集団戦に持ち込まない方が犠牲者は少ない。例えば海賊の親玉を屠ってしまえば集団は瓦解する。そんなことを直家は考えたのでは無いだろうか?!経験したのではあるまいか?!筆者は彼の足跡を辿ってみるとそんなふうに思ってみたりする。贔屓目なのかもし

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歴史小説『はみだし小刀流 一振』第5話 待ち伏せ

歴史小説『はみだし小刀流 一振』第5話 待ち伏せ

乙子城で海賊退治をしながら宇喜多家再興を知った元家臣などの参集・戦力の増強に努めていた宇喜多直家。功績を挙げた初陣の兵力は小者も入れて30人足らずだったという。主君浦上宗景の命により備中勢(三村家、毛利家)と内通した疑いのあった、時の砥石山城主・浮田山和と対立する事となった。念願の砥石山城を奪還するのに実に4年の月日を費やしたと伝わっている。

居てもたってもいられず小文太は夜通し歩き燃え落ちたと

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歴史小説『はみだし小刀術 一振』第4話 夜襲

歴史小説『はみだし小刀術 一振』第4話 夜襲

宇喜多直家の祖父能家の城が襲われたのは主君浦上氏の跡目問題による家臣の対立だったと考えられている。一方の有力家臣だった宇喜多能家は夜襲を受け砥石山城落城の際、興家と直家を逃がし散った。宇喜多直家6歳の頃のことであったと伝えられている。

『破門されたのか?!』
父と祖父は笑った。
『一応報告をと思いまして帰りました。』
『わざわざ御苦労な事だな。大工には元々関係ない話だ。』
祖父が貯えた口髭を触り

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歴史小説『はみだし小刀術 一振』第3話 実家

歴史小説『はみだし小刀術 一振』第3話 実家

諸説あるが1529年享禄2年頃 、宇喜多直家は砥石城に生まれたとされる。砥石城は祖父宇喜多能家の城で父興家が直家が幼少のおり、しばらくして継いだばかりだった。西大寺と備前福岡というこの地の産業中心町を見渡す要衝の城である。現在の岡山県瀬戸内市邑久町豊原の千野平野に突き出た標高100mほどの砥石山山頂にあった。

備前福岡は福岡県の名の由来となった町である。黒田官兵衛で名高い黒田家の先祖はここから立

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歴史小説『はみだし小刀術 一振』第2話 新田

歴史小説『はみだし小刀術 一振』第2話 新田

戦国武将宇喜多直家がこの備前で勇躍したのは約百年前のことである。乙子城は苦難の末、直家が初陣で功績を上げ最初に宇喜多家の再興を果たした城だった。海を見渡す城であり、海賊退治が直家に任された主な任務のひとつだった。宇喜多直家は16だったと伝えられている。

海岸線は最初穴のようだったと教えられた。
小文太は現在の住処である呑み屋の後家の家に向かった。
小文太は20歳(ハタチ)になったばかりで、現場監

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歴史小説『はみだし小刀術 一振』第1話 古刀

歴史小説『はみだし小刀術 一振』第1話 古刀

小刀術の道場を破門になった。

小文太はトボトボと吉井川沿いの道を歩いた。備前と呼ばれるこの藩の産業は多くあるが中でもは備前焼きと呼ばれる陶器と備前刀と呼ばれる日本刀で、どちらも一大産業である。
この港町は古来よりそれらの集積出荷港として栄えた。乙子の渡しのほとりに佇んで小文太は渡しをぼーと眺めた。

この地方を西大寺と人はいう。

西大寺観音院は古くから信仰を集める寺である。年に一度の会陽が有名

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前段『はみだし小刀術』 一振

前段『はみだし小刀術』 一振

小文太は大工だった。過去形なのはやめてしまったからである。

彼は元々大工頭の家に生まれた。
15で大工として1人前になったとされるが、仕事の腕は伝わっていない。日記にはハタチで棟梁になったと書かれているが、前後の記述にはこの頃父、祖父が健在であるゆえ書かれた部分があるのでおそらくは見栄っ張りな彼の嘘だろう…。

やたらと大口な日記である。
この界隈で俺ほどモテる奴はいないだの…昨日近くの茶屋で逆

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