「ピアノ」

 休日。部屋の中でピアノを弾いていた。指先から聞こえてくる音色。一つまた一つと動かすたびに周囲が華やかになっていく。

 この世界は美しい。ピアノを弾いているとそう思えてくる。

 ピアノを弾く度に初めて頃を思い出す。幼い頃に住んでいた家の近所にピアノ教室があった。

 そこには僕よりも少し年上の女の子も通っていた。僕よりもピアノが上手で優しくて丁寧でとても親切にしてくれていた。

 艶やかな黒い髪と笑うと浮き出るエクボがチャーミングポイントだった。

 いつしか尊敬する相手からまた別の対象に移り変わっていくのにもそう時間はかからなかった。

 しかし、親の出張が決まり、僕は街を去ることになった。初めての失恋。初めての別れ。

 涙が止まらなかった。別れの僕は言った。いつかまた会えた時、その時は結婚して欲しいと。

 子供によくある。出来もしない口約束だ。

 あれから数十年、僕は今でもピアノを弾き続けている。

「あなたー 朝ご飯よ」
 しばらくすると後ろから妻が特徴的なエクボを作って、笑いかけてきた。

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