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人はどこかの誰かに小さな幸せを届けるために生まれて来た? 

時々地元の県庁に行きますと、とても不愉快になります。公務員はなぜ人様に対してあのような無礼な態度を取れるのでしょうか???自分たちがそれほど偉いとでも思っているのでしょうか。<公務員と言っても、市役所や警察署などでは不快に感じたことはないです。>

そう言えば、隣県の県庁(実家がある県)に行った時も不快な経験をしました。驚くべきことに、県職員同士で大声で大喧嘩をして騒いでいました。勤務中ですよ。民間会社では考えられない光景です。

ある女性の県職員がエレベーターの中で大声で騒いでいたのですが、それを他の男性職員がなだめていました。どうやら同じ部署内の職員と大喧嘩をして部屋の外へ出て来たようでした。

冷静な人ならば私のような部外者がいれば、そのような奇声とも取られるような大声を遠慮するものです。しかし、そんなことはお構いなしに建物全体に響き渡るような大声を出し続けるのです。公務員という人種は、あのようなキチ〇イばかりなのでしょうか???


今回は、人が生まれて来た理由の一つについて考えてみました。いつも通りの思い付くがままの雑記となります。記事の構成など全くありません(笑)。

なお、人が生まれて来た理由は考えるだけ無駄かもしれません。また、その解答は人それぞれでしょう。それでも、自分の生き方に迷っている人の参考になればと思い、このテーマを取り上げました。

また私は、幸福をテーマにした記事を過去に830回以上書いています。下の無料マガジン「幸福の探求」には820個、有料マガジン「幸福の探求(有料編)」には11個の記事が含まれています。

昨日の記事はこちらです。



赤ちゃんは生まれて来ただけで周りの大人たちを幸福にしている

自分が親になったり身内に赤ちゃんが産まれた経験があったりする大人たちはわかるとは思うのですが、血の繋がった赤ちゃんに出会いますと、とても幸せな感情が芽生えます。

これは他人の赤ちゃんの場合の100倍、1,000倍、10,000倍の幸福感です。これは経験者しかわからない感情です。

またこの幸福感は、精一杯生きて来た大人たちへの最大のご褒美ではないかと、今の私は考えています。

ちなみに、私は親になった経験はありません。でも、甥(妹の子ども)が生まれた時は〇を流して喜びました(笑笑笑)。あの自然と流れる大粒の〇は、初めて父親になった人の4人に1人ぐらいが流すそうです。私は父親ではないにも関わらずそのような経験ができたことにとても感謝しております。

大人には人を不幸にする人が多い?

しかし、そんな赤ちゃんたちも、大人になると誰かを不幸にすることがあります。記事冒頭で出て来た大人たちも周りの人々を不幸・不快・不愉快にしています。

創造主?や神様?がいるとしたら?

今の私には創造主や神様の有無がわかりません。しかしもし仮に、彼ら?彼女ら?がいるとしたら、上の大人たちと赤ちゃんたちの話にはとても疑問と矛盾を感じるのです。

なぜなら、赤ちゃんの時はあれだけ周りの人々を幸福にするにも関わらず、大人になると周りを不幸にする人たちが多くなるからです。

本来人は、年齢を重ねるほどその人の人間性が充実し、創造主や神様に近づくものではないでしょうか。

ところが現実社会では、年齢とともに我儘になったり横暴になったり幼児化したりする大人たちがいます。あるいは、何歳になっても私利私欲の固まりで、自分のことしか考えていない高齢者たちもいます。

生きることは修行らしい

大学生の頃に「人生論」に関する本を多数読みました。その中の記述で一番多かったものの一つが、「生きることは修行である」という話です。当時の私はこの一文に頗る納得させられました。

しかし、中高年になってから改めてこの一文を考えますと、この修行をしていない大人たちが大勢存在することに気づかされます。

そして不思議なことに、この大人たちは高齢者に多いのです。

私を不快にする高齢者たち

最近5年間を振り返った時に、現実社会で私を不快にした大人たちにはある共通点がありました。

それは、全員が65歳以上の高齢者だったことです。1名を除き全員「団塊の世代」の高齢者であることに今さっき気が付きました。

彼ら彼女らは典型的な老害なのでしょうか???

<老害とは?>

生成AIによれば、老害の意味は以下のように定義されているようです。私も似たような意味でこの言葉を使用しています。

老害とは、企業や政党などの組織で、中心人物が高齢化しても実権を握り続け、若返りが行われていない状態を指す言葉です。広辞苑には「老人による害」「硬直した考え方の高齢者が影響力を持ち続け、組織の活力が失われること」とされています。

また、若い世代に注意や指導などをすると、すぐに老害と呼ばれてしまうようになったという声もあります。些細なことでイライラしたり、空気が読めずにトンデモ発言をしたり、武勇伝を何度も繰り返したりする中高年層は、たとえ過去に仕事で成功していても、若者たちから「老害」だと認定されてしまう場合があります。

老害という言葉は良い言葉ではありません。年代をひとくくりにして害だ益だと言うこと自体が、世代間の分断をあおることになります。

生成AI

老害は高齢者の一部?

そうあってほしいですし、私の実感では全体の5%もいないと思います。

一部の男性高齢者にトラブルメーカーが多く、その人たちが会社や組織、社会を牛耳っている感じです。

彼ら彼女らの人間性が素晴らしいもので誰からも尊敬されるような人物であれば問題ないのでしょうが、多くの場合そのような人物とはかけ離れた人間であるようです。

老害と呼ばれるような高齢者には絶対ならない

誰でも必ず高齢者になります。私もいずれその仲間入りを果たします。

しかし私はここで、絶対に「老害」にはならないと断言しておきます。

断言できる一番の理由は、私が基本的に博愛主義者だからです。そして、個人を限りなく尊重しているからです。

私は、他人の生き方には興味がありません。また、それらを変えようともしません。さらに、誰かを支配しようとしたり自分の思うがままに動かそうとしたりしません。

ですから、私に関わる人たちは、全員無害なのです。

もちろん、私は実生活での誹謗中傷を行ったり誰かの悪口をネットやトイレに書いたりしません。当然ながら、個人を実名で攻撃することもないです。

私は、他人には興味がない人間です。そして、自分自身と人類の成長・上達・発展・進歩が一番の関心事です。

私が現実社会の人間関係でトラブルを起こさない理由は、こういうところにあるのだと思います。

noteの世界でも老害が多い?

これは間違いないです。

なぜなら、私を不快にする人たちの多くは、高齢者だからです。しかも、その少なくとも8割は男性に集中しています。

また、私がブロックした人たちは、高齢者が大部分を占めています。

なお、一部は私より若い人のようですが、その人たちは全体的に知的水準が低い人たちでした。

認知症だけは要注意

私の脳(頭)は、私自身の最大の資産・財産です。これらの情報は決して盗まれることはありませんし、めったなことでは真似をされることもないです。

問題は、脳に関係する病気に罹患した時に生じます。そして、私は、認知症という病気だけを一番心配しています。

以前罹患した心筋梗塞や今後罹患するかもしれない脳梗塞や癌は仕方がないと思います。多分罹患しないはずですが、罹患したらしたで開き直って最大限の努力をし、最期まで自分の人生を楽しむ所存です。

しかし、認知症だけはどうしようもないかもしれません。

幸い、認知症に関する様々な予防と対策の情報を日々収集できています。また、今のところその予兆はないです。

ですが、今後も気を引き締めて、何が何でも認知症だけは罹患しないように精進します。

最後に① 老害が減少する時代が来れば日本も復活するかもしれない

多くの有識者たちはすでに気が付いているようですが、日本は無能な老害たちが支配しています。その人たちは私利私欲で行動しますので、多くの一般庶民たちがその犠牲になります。

しかし、そのような強欲な老害たちがそろそろ引退する時期になります。あと10~20年もすれば、その世代の支配者たちがほとんどいなくなります。

そのような時代になれば、私の少し上の世代や私の世代が世の中を動かすようになりますので、今よりは愛に満ちた時代が来るかもしれません。

また、そのような日本を心から祈っております。

最後に② 人はどこかの誰かに小さな幸せを届けるために生まれて来た?

人は、母親の胎内に生を受けてから8歳ぐらいまでに、両親に対して一生分の幸福を届けるそうです。これには共感できる大人たちも多いかもしれません。

そして、人は自分自身が幸せになるために生まれて来ます。

ということは、人は、最初に身内や親戚を幸福にしてから、自分の幸福を探求することになります。

これはとても尊いことで、まずはギブなのです。そして、それからテイクとなり、さらにその後余裕が出てきたら、またギブということになります。

そんな生き方ができている人は、一番の果報者かもしれません。

最後に③ noteで記事を書くことは私の親孝行である?

自慢ではありませんが(笑)、私は両親に親孝行らしきことをしたことがないです。

それをしない理由は、その必要がないからです。私が精一杯生きるだけで、そして、親より長生きするだけで、最大限の親孝行になると考えているからです。

そして、私のnoteの記事の何割かを母親が読んでいます。父親は不明です。

ですから、私のnoteで記事を書き続けることは、私が生きている証であり、両親への親孝行になっている可能性があります。

だから、私はnoteをやめないのです。

たまに、noteの毎日投稿の意味と価値を問われることがあるのですが、それは人それぞれでしょう。でも、それでいいのではないでしょうか。

私がnoteの毎日投稿を続ける理由は複数あるのですが、その詳細は過去記事で書いた通りです。

<今日の日記>

去年のお盆休みは20人程度フォロワーが減りました。しかし、今年のその人数は逆に増えています。やはり、一般的な傾向はないようです。

また、休みに入ってスキ💛の数が戻りつつあります。皆さん多忙過ぎて他人の記事にスキ💛を押しているどころではなかったのでしょう。休みが終わればまた減るかもしれませんが、地道にコツコツ記事投稿を続けるしかないです。

イラスト素材:アナログvsデジタルパンダ(事務)

AIの進化が止まりません。しかし、AIで稼げるという情報には気を付けましょう。そもそも儲かる話を低料金で販売することは相当怪しいです。自分がそれで稼いでいるのならば、なぜその情報を売って競争相手を増やそうとするのでしょうか???明らかに矛盾していますよね?もちろん、競争相手に関係なく結果を出せるものは確かに存在します。

販売者の情報商材が5,000円から500,000円の料金でしたら、その人は限りなく詐欺師に近いかもしれません。

ちなみに、私も〇け話は持っていますが、それを誰にも話したことはないです。それにもしその情報を販売するならば、最低でも20,000,000,000円はいただきたいです(笑)。つまり、200億円です(笑)。本物の情報とはこんなものです。誰にも教えたくないものなのです。


今日の記事はここまでです。
最後までご覧いただきありがとうございます。


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