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幸福の探求

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人それぞれ幸福観や幸福感は異なります。こんな幸せもあってもいいのではないかという提案の一つです。
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記事一覧

noteでは自分の方向性がブレない方が伸びるらしい💦しかし、それだけではつまらないところもある🐼

私のnoteでは多種多様な分野を扱っています。そのため、固定の読者が付きにくい傾向があるようです。逆に、固定読者を増やしているnoteクリエイターは、特定の分野にこだわっていることが見て取れます。それはそれで素晴らしいことだとは思います。 ですが、私のように興味関心が多岐に渡っている場合、そのやり方ですとすぐに飽きてしまうかもしれません。ご本人が楽しければそれでもいいでしょうが、できれば私も記事投稿を楽しみたいのでそのような固定分野を扱っておりません。 私は自分の脳を刺激

自分の運を上げることは誰にでも可能である💛原口一博◉レプリコン💦1,111日連続投稿について🐼

私は生まれながらにして運がいいようです。また、幼児期から青年期にかけて様々な事件や事故、トラブルなどに巻き込まれましたが、その度に一命を取り留めてきました。また、中高年になってからも不治の病(難病)や心臓病などにも罹患しましたが、それらも軽症で済みました。さらに、最近になってからは、仕事運や金銭運、健康運、人間関係運などでも非常に恵まれていることに気が付きました。 今回は、自分の運を高めることは誰でも可能である、ことについて取り上げます。 なお、私はお金の話は嫌いです。私

地道にコツコツ生きているといつか必ず報われる日が来る🐼幸福までの道のりは人それぞれだが私の場合は長すぎたかもしれない(笑)💛

私は割と地道にコツコツと生きて来た方です。そして、高校を卒業して約35年以上生きて来て、やっと最近になって幸福を実感しています。やっとです(笑)。長かったです。 とにかく毎日静かな日常を送れて好きなことをやっている時が一番幸せですね。もちろん、少し前から良好な健康状態が続いているからこそ言えることですが。なお、私の体に健康を取り戻してくれた例の野菜は、最近価格が高いので代替品を模索中です。もしもの場合に備えてその野菜の缶詰を用意しましたが、私は生で食べた方が身体には効果があ

noteをやめようと思った最大理由とは何か? 自分の頭で考えることができない人は吠えることしかできない

私は一時期noteをやめたくてやめたくて仕方がありませんでした。本来自己表現自体は楽しいものだったにも関わらず、それを邪魔するような問題が私の身に起きてしまいました。その悪影響で「noteの毎日記事投稿において継続するか否か」で格闘する日々が続きました。 今回は、「noteをやめようと思った最大理由」と「その苦闘の日々を乗り越えることができた幸運な出来事」について取り上げます。 なお、noteを継続できない理由は人それぞれだと思います。ですから、今現在note継続で悩んで

私にとってのnoteとは何か noteのおかげで輝けるようになった私? 1,000年後の徒然草・枕草子を目指して(笑)

私は何か大きな目的や目標があってnoteを始めたわけではありません。何となく直感で始めたことが今まで続いているだけです。そして、途中からは毎日投稿になっています。 noteを継続していますと、そのnoteが私にとっての何であるのかについて考えることがあります。 今回は、「私にとってのnoteとは何か?」というテーマで書きます。 なお、それらはすべて後付けとなります。私の場合、noteを続けていたら何となく目的と目標が見つかったということです。 人によってはnote開始

負の感情(嫉妬)は時には偉大な結果をもたらすことがある🐼人の心はわからない💦

一般に男性による男性への嫉妬はみっともないと思われています。私もずっとそう感じていました。しかし最近になって、男性のそのような感情も自分自身の実力に転換できるならば決して悪くないと考えるようになりました。 今回は、男性の負の感情(主に嫉妬)も、それらを自分の行動のエネルギーや結果に転換できれば自分の幸福に繋がるということについて書きます。 なお、今回の嫉妬には、男性の女性への負の感情(嫉妬)やその逆を含みません。あくまでも男性による男性への嫉妬です。 昨日の記事はこちら

代替品や代替案を探せる人は知能が高い💦 高額の米(コメ)に群がる阿呆な国民たち? 自分の趣味趣向、価値観を変えらえない人は不幸になりやすい お米の賞味期限は2ヶ月らしい(笑)

人間の生き方で大切なことの一つに、「視点をどこに置くか」というものがあります。この視点は一説によりますと一場面で200万通りもあるそうです。これは、それだけ私たちの物事に対する見方が異なるということを意味しています。ですから、今現在不幸や失敗で嘆き苦しんでいる人たちも、その視点を変えるだけで急にバラ色の人生に変わることもありえるわけです。 今回は、「代替品や代替案を探せる人は知能が高い💦」と「自分の趣味趣向、価値観を変えらえない人は不幸になりやすい」について取り上げます。

言葉を選べない人を大人とは言わない💦挑戦しなくなった人を老人と言う💛壁を喜ぶ私🐼

30年以上生きてきた人は実感をしているはずです。言葉を選べない大人たちが実に多いことを。私も学生時代のアルバイトをしていた頃からそのことを実感していました。適切な言葉を選べずに周りの人たちを傷つけている大人たちは実に多いのです。 今回は、「言葉を選べない人を大人とは言わない💦」をテーマに書きます。また、「挑戦しなくなった人を老人と言う💛」についても取り上げます。 なお、30年以上生きなくても、10代や20代で私と同じことを実感している若者が大勢いることは、重々承知しており

文章を自分の言葉で書かない人は、二流どころか詐欺師だよ💦 盗用・剽窃チェッカー 書くことに自信がない人もどんどん記事を書こう 

記事は自分の言葉で書くべきです。AIを使ったり誰かの文章を盗用したりした文章では、その人自身の言いたいことを読者に伝えることはできません。また、気持ちがこもっていない文章や熱意のない文章は、誰かを心から感動させたり納得させたりすることが不可能です。 今回は、記事を自分の言葉で書くことの大切さについて取り上げます。 なお、こんな当たり前のことを今更書く意味がなさそうですが、AIの発達によりそれらを悪用しているインチキライターが後を絶たないようですので、敢えて取り上げます。

noteで社会貢献できて我輩は満足である 他人の自己満足を否定する人たち noteで記事を書き続けて自己満足しよう

私はnoteにおいて163週間連続で記事を書いています。また、毎日連続投稿はもうすぐ1,100日になります。その過程で、私はある程度社会貢献できたのではないかと予想しています。もちろんこれは、私の単なる自己満足です(笑笑笑)。 他人の自己満足を否定する人たちがいます。しかし、自己中心的ではない自己満足、多少世の中に貢献している自己満足は、神様(?)や創造主(?)、あるいは守護霊(笑)が望んでいることではないでしょうか。 何度も書きますが、私たち人間は持ちつ持たれつの関係で

自分を愛すれば守護霊が力を発揮して思いが実現するらしい

私には守護霊の存在の有無がわかりません。守護霊がいるのかいないのかと尋ねられても、一度もお会いしたことがないので何とも言えません(笑)。しかし、過去の自分の人生を振り返った時に、数々の奇跡的な出来事を思い出しますと、その度に私自身が何かに守られていた気がします。ですから、今の私には守護霊の存在を完全に否定することができません。 今回は、自分を愛することの大切さと守護霊の存在の有無について書きます。 なお、今回の記事を書くことになった経緯は、昼休みに書庫でたまたま手に取って

善良な人はどこでもモテる💛優しい中高年になろう🐼

善良とは反対の邪悪な人も異性を騙せばそれなりにモテるようです。しかし、それは真の人気ではありません。そのような人気は長続きせずに終わるでしょう。 何歳になっても同性異性を問わずモテる人は、善良な人ではないかと私は考えています。今回は、優しくて思いやりのある善良な中高年になろう、というテーマで書きます。 今から7か月ぐらい前に、下の「心が汚い人は顔が不細工になることが研究でわかっているらしい」という記事を書きました。この記事は1年に1回ぐらいのヒット記事で、私の過去記事では

共感記事の反響が一番大きい🐼共感力のある人の方が幸福になりやすい💛高止まりした米価が下がらない?

noteでは書きたいことを書くことが一番望ましいはずです。しかし、いつもいつも書きたいことばかり書いていますと、反響の落差が大きくなります。たまには読者を意識した記事も書いた方が読者に飽きられないかもしれません。 今回は、「たまにはどこかの誰かに共感される記事も書こう」と「共感力と幸福の関係」、というテーマで書きます。 なお、今日もまたいつも通りの雑記となります。思い付くがままに記事を書いて行きます。構成はありません(笑)。 昨日の記事はこちらです。 最近一番共感され

妥協できる人の方が幸福になりやすい?おじいちゃんの詰め合わせ💦海面水温急低下の謎

私は自分の人生においてほとんど妥協して来ませんでした。そのため、他人から見ると、私はあまりにも夢を見過ぎて欲張りに見えたかもしれません。 冷静になって若い頃の周りを思い出してみますと、適当なところで妥協した人の方が幸福になっている可能性もあります。人の幸福感はその人の価値観によりますので、私から見て幸福に見えてもご本人たちは必ずしもそう思っているとは限りません。ですから、外野からの判断は難しいところでしょうが、昔のある出来事を振り返って見ました。 今回は、人生では妥協した