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妥協できる人の方が幸福になりやすい?おじいちゃんの詰め合わせ💦海面水温急低下の謎

私は自分の人生においてほとんど妥協して来ませんでした。そのため、他人から見ると、私はあまりにも夢を見過ぎて欲張りに見えたかもしれません。

冷静になって若い頃の周りを思い出してみますと、適当なところで妥協した人の方が幸福になっている可能性もあります。人の幸福感はその人の価値観によりますので、私から見て幸福に見えてもご本人たちは必ずしもそう思っているとは限りません。ですから、外野からの判断は難しいところでしょうが、昔のある出来事を振り返って見ました。

今回は、人生では妥協した方が幸福なのか、少しだけ考えてみました。

それから、地球温暖化が心配な人は、<今日の気になったニュース>で取り上げた『過去最高を連発していた大西洋の海面水温、急低下。科学者「なんでこんなことになっているのか…」』をご覧下さい。不思議なことに、大西洋では海面水温が急激に低下しているのです。地球の気温は複雑な要素が絡んで決まります。二酸化炭素の急増だけで温暖化が進むならば、今頃は春と秋も真夏になっていないとおかしいかもしれません。


昨日の記事はこちらです。




大学生時代の学部学科の中はカップルだらけだった話

ここだけの話ですが、私は大学時代の先輩たちを非常に軽蔑していました。というのも、学科の中では先輩同士のカップルだらけだったからです。

私は、恋愛相手や結婚相手はそれなりに選ぶべきであると考えていました。この考えは今でも変わりません。ところが、先輩たちは身近なところで妥協して相手と交際をしていました。なお、その後、結婚まで至ったかは不明です。

その影響でしょうか。私の同級生たちは、学科内で付き合うことは一切なかったです。結局大学4年生になるまで同級生たちから浮いた話を聞いたことがなかったぐらいです。陰ではそれなりにコソコソやっていた人もいたかもしれませんが、私の耳にはほとんどそのような情報が入って来ませんでした。

ちなみに、私の場合は、バイト先の学習塾で絶世の美女を見つけて、しばらくの間はその女性と良好の関係でした(笑)。もちろん、相思相愛です。もしその人と一緒になっていれば、今頃は孫が数名いたかもしれません(笑笑笑)。

お恥ずかしい限りですが、当時の私は、その女性を人生の伴侶として決められませんでした。なぜなら、これからももっと良い出会いがあると思ってしまったからです。

要するに、言葉は悪いですが、当時の私はその出会いで満足できなかったことになります。

ちなみに、その後しばらくの間は、絶世の美女に出会うことはなかったです(笑笑笑い)。確か、次の絶世の美女との出会いは、それから10年後の話です。

妥協できない私について

上では恋愛相手と結婚相手について触れました。ここでは仕事に関して書いておきます。

私は仕事における営業が得意でした。その際に多くの資料を作成するのですが、その資料のための労力と時間が膨大で、その資料作成をいつまでも満足できませんでした。

そのため、保護者との面談の期間が始まっても、途中で資料を修正したり書き直したりしていました。

これは私の仕事におけるほんの一例なのですが、つまり、仕事でも妥協できなかったということを言いたかったのです。

自己満足できないと疲れる人生を送ることになる

妥協できないということは、その結果に満足できないということです。そして、自己満足できないということは、精神的疲労感が大きいということを意味しています。

私は大学生以降運動をしない人生を送っているのですが、人生の99%で熟睡できています。これはおそらく妥協できない疲れる人生を送っているからだと思います。その点だけは評価できるところかもしれません。

でも、精神的疲労は、本人の気が付かないところで、身体を蝕んでいる可能性もあります。例えば、私の急性心筋梗塞もその精神的疲労が無縁とは言えないかもしれません。

高いレベルを目指すことは良いことのはずだが・・・

物事で妥協できないということは、それだけ高いレベルを目指していることになるはずです。しかしこれが、対人となりますと話は全く異なって来ます。

そもそも、私自身が、周りの人々に何か大きなことを期待することは間違っているはずです。ところが、若い頃の私は、女性、特に恋人に対する期待度が随分高ったようです。

その結果、多くの女性を傷つけることになったかもしれません。

もし今後高いレベルを目指すならば、「対人では程々に、物事ではそれなりに」がいいのでしょう。

なお、私は、仕事上において、先輩にも後輩にも、そして同期にも何も期待していませんでした。矛盾しているようですが、その点だけは妥協できていたのかもしれません。

最後に 妥協だけがすべてではないはず?

私ぐらいの年齢になりますと、様々なカップルや夫婦の話を耳にします。そのほとんどが妥協して相手を選んだり盲目的になって相手の人や他の異性が目に映らなくなったりして、そのままゴールインしている人たちが多いです。

そして、その後、大後悔すると(笑笑笑)。

でも、それが人生なのでしょう。たとえどんなに理想的な人に出会えたとしても、おそらくそれなりに後悔するのではないでしょうか。

これに関しては想像でしか語れないのですが、もし可能ならば結婚を5回以上経験した人たちに是非ご意見を伺ってみたいものです(笑笑笑)。



<今日の気になったニュース>

最初に、少し前から物議を醸しているトラウデン直美さんの「おじさんの詰め合わせ」について取り上げます。リンク先の記事の重要部分を抜粋しておきます。なお、おじさんたちとは、上の自民党公式サイトにおける自民党総裁選広報用のポスターに載っている政治家たちのことです。

 問題となっているのは、21日放送のTBS系「news23」内での発言。同日発表された自民党総裁選のポスターについて「ちょっと女性の姿がありませんけど、いかがですか」と話を振られると、トラウデンは「おじさんの詰め合わせって感じがするんですけど」と苦笑いしながら独自の見解を示し、「まあ長い間、日本の政治の中心にいる自民党なので、良い時代も悪い時代もいろんな時代があるとは思うんですけど、なんて言うんでしょうね…ここに写っている皆さんは、党内の権力抗争に勝ち抜いてきた人たち、っていうことではあるじゃないですか? そういう党内での権力みたいなものじゃなくて、いかに国民と向き合ってオープンにしてくれるのか、っていうのが気になるところだと思うので、割と内向きな感じのポスターだなっていうふうには思ってしまいました」とコメントした。

 この発言の「おじさんの詰め合わせ」という表現がXでトレンド入りするなど物議をかもしており、、批評家の東浩紀氏は自身のXで「女性なら『おじさん』を無条件にバカにしてよいという風潮が変わるのは時代の必然。男性優位が保証されている時代じゃないからね」と指摘。

トラウデン直美「おじさんの詰め合わせ」発言 SNSで賛否

下のようなコメントがありましたが、もし仮に70代や80代の女性が中心だったらそんなに違和感があるでしょうか???女性たちもさすがにおばさんならば・・・。

私の第一印象:おじいちゃんの詰め合わせ

私の第一印象では、トラウデン直美さんの発言のどこに問題があるのかがさっぱりわかりませんでした。

ポスターの顔ぶれを見ますと、全員が今の私よりも10歳も20歳も、あるいは30歳も年上なわけです。私の同級生の3分の1にはすでに孫がいてもおかしくはありません。ですから、50代の私が「おじさん」ではなく「おじいちゃん」と呼ばれても全くおかしくはないことになります。

ところが、「おじさんの詰め合わせ」と言われて過剰に反応している人たちが大勢いることに対して、私は不思議な違和感しかありません。

おじいちゃんの詰め合わせ」でもおかしくはないと私は思うのですが。

今の日本社会では、例のトランスジェンダーの話題で持ち切りになった頃から、言葉や差別語に対して妙に五月蠅くなった気がします。あまりにも言葉に敏感に反応しますと、何も言えなくなってしまいますよ。

なお、今の日本において、言論の自由は名ばかりのようです。例えば、ユーチューブ動画ではグーグルが幅を利かしていて、ある言葉を使用しますとすぐに動画を消されたりアカウント停止になったりしています。

言葉は人を傷つけますが、それは使う人に問題があるだけであって、言葉そのものには罪はありません。ですから、もう少し寛容な日本になっても良いのではないでしょうか。

30代・40代の女性を何と呼びますか?

50代の私は年下の女性を「お嬢さん」や「お姉さん」と呼びます。呼ばれた方がどう思っているかはわかりませんが、多くの場合それ程不快ではないようです。

中には頭にきている女性もいるかもしれませんが、私は彼女たちを「おばさん」とは絶対に呼びません。また、50代や60代の女性に対しても、「おばさん」は使用しません。

私は自分が「おじさん」と呼ばれることに対して、不快感は全くありません。しかし、女性の多くは「おばさん」と呼ばれることを嫌がるのではないでしょうか。ですから、私の勝手な想像で恐縮ですが、「おばさん」を使用することはないです。

泉房穂さん、「日本は“アメリカの51番目の州”と言われるが…」意味不明の世論調査にツッコミ

有識者の中では常識かもしれませんが、戦後日本は真の独立を果たしていません。相変わらずアメリカのポチ状態です。そのため、一般庶民は相変わらずその犠牲になっている可能性があります。

憲法改正に反対する人がいます。しかし、あれは日本の真の独立とも関係があるかもしれません。戦後79年でも日本の立場が弱い理由の一つは、日本国憲法の多くがアメリカの言いなりによって作られたものだからです。それらを少しずつ改正して行って、真の独立を目指すことは決して悪いことではないはずです。

なお、私は消費税には反対ですが、防衛税のような目的税ならば賛成です。一部の官僚や企業、その他の既得権益者たちを優遇するような税には絶対反対です。

フォロワーからは「日本のトップはアメリカの大統領。その通りですね。マスコミの取り上げ方もすごいです」「庶民には特に感じることのないアメリカの影響。上級国民のおエライさんはアメリカの下僕感覚を肌で感じているのだろう」などのコメントが寄せられた。

過去最高を連発していた大西洋の海面水温、急低下。科学者「なんでこんなことになっているのか…」

科学者でさえ急激な海面水温低下を説明できないのです。それを素人が地球温暖化や二酸化炭素が温暖化の原因だと断言することは、どれだけ烏滸がましいことであるかがわかると思います。私の地域は夏の寒冷化が進んでいますので、地球温暖化よりも2030年のミニ氷河期到来説の方を危惧しています。


<今日の日記>日本の政治不信はいつから始まったのか?

上のサイトの研究によれば、どんなに遅くとも1976年には日本人による政治への不信感はあったようです。その頃はもうすでに国民の約50%は政治不信の感情を持っていました。そして、ピーク時は70%を超えています。

自民党総裁選の顔ぶれを見ても、あまり相応しい人がいないように思えます。日本の将来を憂うる人たちの多くは日本の政治と政治家にあまり期待をしていないのかもしれません。

私は自助努力こそが幸福への最大の近道であると確信しています。なお、私は努力という言葉を仕事や私生活では使ったことがないです。私の印象では努力していない人に限って、この言葉を多用します。


上のサイトから下のグラフを引用させていただきました。読売新聞です。

図1:日本における政治不信の推移

イラスト素材:うるうるした目でおねだりするパンダ

私は身内や他人に対しておねだりをしたことがないです。私が第一子で下に弟や妹がいたので、そのことが関係しているかもしれません。私は人に甘えることが苦手なので、そのことが私の妥協できない性格と何か関係があるのでしょうか。

今日の記事はここまでです。
最後までご覧いただきありがとうございます。


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