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毎日作成地からの踊り場(上の階はその次で)。

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描綺士がつくる、各ログの下書き醸成中の場です。 下書きの段階で見てくださる方ももちろんwelcomeですが、 もしこちらで見ていただくならばその次の階層もぜひご一読いただければ、…
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#散文詩

名のない素晴らしき生(せい)

毎日歩く踏切にて。

帰りがけの晩、
コオロギの秋鳴きがきこえる。
行きがけの朝は、
行き交う車のエンジン音と
走りゆく列車の車輪音で
いっぱい。

夜のコオロギたちは
朝居ないわけでもなく
身を潜めてるだけ。

ニンゲン様の横暴にも負けずに
生き抜く姿、
もちろん決してニンゲンのために
生きてるわけでもないけれど、
精進してます、以上に
リンリンと
光が漂いそうになるまでに
美しく鳴かれると、

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散文詩:どろんこまつり

どこかしこに理想郷があるそうで。
栄華の刻 はみじかいから、
夢郷求めて生き急ぎたくなるひとの性。

そんな 急ぐ時ほど、ごあんぜんに。
いきるひとでないと、なりたたないから。

はな あって、「かれは」になる、
かれは あって、「へどろ」できる、
へどろ あって、「たね」めばえる、
たね あって、「はな」そだつ、

はなが、華だけでなく花としていきていけたら、
はなの刻 はみぢかい 

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夜行灯へ想いはせ。

夜行灯へ想いはせ。

明日早朝からの
急ぎのお仕事仰せつかり、
夜行高速バスに飛び乗った。

幸か不幸か自家用車が現在なく、
バスでの移動で街中へ。

そんな行中、目に飛び込んだのが
色めき立ったネオン地帯。

ほぼ不夜城クラスの
空港ネオンが光の源。

都会派ネオンは
写真イラストでお馴染みもの。
でも実物を実際みると
やっぱりキラリんこしてて心地よい。
てかバス車内からだけど(汗笑)

夜間離陸して
宵の光に身を任

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バッタのばっちゃんと空

バッタのばっちゃんと空

ある目的があり、
歩道を歩くと、
土色の小さなバッタに遭遇。

かわいいな、
つぶさないように、
よけねば、
と思い歩いても
この子動かないんだなあ。

人馴れしてないのかねぇ、
バッタのばっちゃんよう、
もうすぐ冬来るといのち終わるのぞ、
そんなんで大丈夫かや?

病み上けのくせに
虫1匹に同情する私。

対して空を見上げる、
雲ない中、
飛行機1機。

生きてないのに
こちらは勢いよく動くのよ

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日をかけるよろこび

ここ数日、
特に昨晩より
マイホームページの作成に
時間を費やし始めた。

参考本のデータをもとに
WEBデータの取り込み先を
骨組みから作成しているが
金銭契約が絡むドメイン取得などは
翌日および数日後に
契約が確定するとのことで
作業が立往生する事象も発生している。

昔の我が身なら
立往生=作業義務からの脱出=怠惰
となっていたはずなのだが、
ここ数日集中することが多いと
ほかにやりたいこと

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のんびりないちじつ

久々の快晴
外に出なくても
心地の良い空気が
部屋にまでしみ込んでくる

いたわろうとしていた身体に
注ぎ込むかのような窓辺からの風

子供は外であそびなさい
大昔はそんなことも言われていたか
思い出してもいまはもう大人

ちょっと家でくつろぐのも一計か

西窓のレースが風でたなびく

充電できたら
再起動

大人の再起動は
いちじつのこれから

或日の今話(蒼白き月の照る夜)

奢った兎が跳ねて月下美人となった夜、
朝にはその娘はより情の深き憂いを帯びた女性に生まれ変わりましたとさ。

対して、これを描く野獣は
一杯に生きたくて、面白さを頂けた心地の、奢った他の野獣を諌める人間に生まれ変わったとさ。

勝手に宿命を決めつける輩共は条文でやり込められることがけっか決まりましたとさ。

のうのうが能をいやす日

徹夜明けの台風一過の朝
思い切って窓を開けると
落ち葉と、瓦飛びの跡がちらほら

家でのうのうと整頓活動
それもいいけど
やはり明るい時に
明るい活動ができればいいな

台風の風は収まりの跡
人工風はただただ部屋で流れ続ける
それでも物足りないから
昼下がりをより有効にしたい
そんな昼前の
眠たげな午前おわりちかくの刻

カメラの色気配

カメラの色気配

 目の前にいまスマホカメラがある。

割と新しい機種で、レンズが5個付き。

色々撮っているが、まあピントは合わせやすいし

使い心地もよい。

問題は、撮った写真を飾り、しまうアルバムよりも

撮る時間、撮りためた内容の写し方。

折しも今日は台風前日。

こんな日にかっちょいいカメラなんざ持てない。

旅先に行くにも何もかも交通手段が止まりそう。

そんな時に、過去HDD内蔵の心解けカメラがあ

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季節の変わりはな

季節の変わりはな

田園が広がる緑色の自然の中、
久々に独りで歩いた夕暮れ散歩。

日没後の、ねずみ色が藍色がかった黒色に変わっていく
もう手探りになってしまうような枯れすすきの中を、
1方しか出口がない、うねったあぜ道をのらりくらり。

過去の別の次元の散歩道では、

ワンちゃんがいたのに
今はけものみたいな自分が一人。
ワンちゃんの手綱の代わりに
いまは携帯電話があるだけの自分。

そんな携帯でライトを光らせると

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どうこく

ぴりぴりっと響き渡る音色。
おなじ時刻に同じ音色。
きく人かなでる人は違っても

たとえ

みみでなくても

耳が聞こえなくても

共有できるって良いね。

コドウ鳴るとき

どくんどくん。
いきてるって音色きこえるって
幸せだね。
たとえひとりでも。
たとえふくすうにんでも。
いなかでも。
だいとかいでも。
たとえでなかったらなおいっそう。
うれいに、し(詩)がついたらなおうれしいね(はーと)。

獣の鳴き声が生んでくれている継続の夜明け(はーと)

日記の書き上げ、
体調コントロール、
3食をとる、
そんなひとつひとつの積み重ねで、
新しい己の発見につながること、
自然の恵みから教わっている。
動物の鳴き声で目が覚めた、
とある日曜の夜明けまえ。

鈴凛(すずリン)♪

蛙の時は過ぎ、
真夏のカンカン照りの蝉の時も過ぎ、
時はいま、秋の夜更け。

凛々と鈴虫が鳴き、
耳がジョグをしている感覚を覚える。
雲がかった月明かりの中で、
もの思いにふける。

鈴の音色は、どんな意味合いで
ひとにも優しく聞こえるのだろうか、と。
2022.0912.0533の出発。