被災体験・地震で見えた安物電話の底力

すんどめは何を隠そう、北海道に住まいしている。
従って今回の北海道胆振東部地震の被災者となってしまったわけだが、それに関してどうしても記録し、なろうことなら世の多くの人に知らしめたい、小さくも重要な事実が、1つある。
それは、すんどめの固定電話が地震発生当初から、なんと正常に作動したという事実である。

6日の未明、大きな揺れが来てすぐに停電となった。
ほぼ同時に、携帯電話は通じなくなった。
いわゆる「圏外」という表示が出ていたかどうか定かではないが、実質圏外であった。
またインターネットも、ワイファイでの接続はほぼ不可能。
ワイファイの基地局なり何なりが、停電により活動を停止したのだろうという想像が、被災者側から見れば成り立った。
キャリアの携帯電話も、インターネットを経由した電話も使えないとなると、むろん固定電話の備わった家や会社にいた人なら誰でも、それに飛びついたであろう。
しかし、電気が通っていないのだから、固定電話だって動くはずがない。
これが、地震発生直後の一般的な風景なのであった。

このことを、もう少し詳しく見てみよう。
たとえば親機・子機を備えたコードレスフォンのような設備を持つ家庭の場合を思い浮かべて頂きたい。
こうした家庭の場合、子機はバッテリーで動くため、そのバッテリーが上がらない限り、子機そのものの機能は健在である。
ちょうど、今回の被災者の大半が携帯電話の充電を常に気にすることを余儀なくされたのと同じ状況がそこにはあったはずだ。
即ち、充電が切れれば使えないという困惑を抱えつつも、言い換えれば充電が切れるまでは使えるという希望が子機そのものには保証されていた。
しかし、親機はどうであろうか。
コンセントから得た電力を親機に供給する、何らかの機器が必要な親機の場合、その機器にはバッテリーがないため、親機はそもそも充電ができない、という商品が昨今は割と一般的だと聞く。
もしそうしたタイプであれば、親機は地震発生直後の停電により、ただちに使えなくなったに決まっている。
ところが子機たるもの、その親機からの無線の信号をキャッチしてそれに応じた仕事をするため、前述のように子機そのものの機能は健在であっても、結果的には親機と死をともにせざるを得なかった。
これが、今回の固定電話不通の、1つの典型ケースであったと思われる。

次に、ひかり電話などのいわゆるIP電話のようなものを使っている家庭のケースを考えてみたい。
こうした電話の場合、もしその使用の基盤をなしているインターネット回線そのものが不通となったら、どうであろうか。
それは、通信を担う業者の、地域における施設が停電によって活動を停止するなどの原因により、恐らく実在したケースである。
この場合、その家庭はやはりインターネット通信が不可能になるわけだから、当然にIP電話の使用も不可能となる。
その一方で、そうした電話というものはえてして家庭の中に据え置かれているルーターとかモデムとか呼ばれる機器を経由し、インターネットにつながっている。
そのルーターは、むろんコンセントで電力を得て使われている。
ゆえに今回の停電では、当然にそうしたルーター、モデムの類も機能を停止したはずである。
そうすると、たとえインターネット通信そのものは健在であったとしても、どのみち家庭の停電によって、やはり電話が使えなかったこととなる。

では、親機・子機の区別もなく、IP電話の類でもない固定電話の場合は、どうだったのだろうか。
3つ目の例として、このケースについて考えてみたい。
コードレスフォンでなく、IP電話でもない固定電話の場合、それでも昨今はファクシミリ機能がついていたり、押された数字を表示するディスプレイがついていたり、アドレス帳や送信・受信履歴といったデータを蓄積できたりと、まさにコンピューター機器の一種、あるいはコンピューター周辺機器の一種と言って差し支えないような商品が大半であろう。
となると、これは当然にコンセントから電気が供給されなければ、動くはずもない。

以上、3つほどのケース・スタディを経て、要するにコンセントのコードがついている現代の「電話機」なるものが、停電によって使えなくなったというごく当たり前に思える事実を確認した。
これが当たり前に思える点と、同時になぜそれが当たり前なのかという理由とを、以上のようによく確認しておいてもらいたい。
これが後から、重要な意味を持つ。

さて、以上のようなメカニズムにより、被災者にとって実際はどのような弊害が生じたであろうか。
発生直後から通電後に至るまで、すんどめがさまざまな知人・縁者に電話をかけたところ、相手方の電話機の電源が入っていないか、または他の何らかの理由によって相手方の電話機が使用に耐える状況にない、というようなメッセージの流れることが多かった。
このことを、すんどめから離れて一般的なケースに置き換えて想像すると、たとえば道外の人が、北海道に住む親せきや友人を心配して電話をかけた際に、その親せきや友人の電話機が携帯であった場合には混雑または基地局の停電によって通じなく、固定電話であった場合にもやはり前述のような停電をおおもとの原因とする何らかの不具合によって結局通じなかった、というようなケースが今回、莫大に存在したであろうと推定される。

しかし。
世の中には不思議なこともあるものだ。
すんどめの固定電話は、停電当初からどういうわけかまったく円滑に使用できたのである!
まず受話器をあげると、ツーという健康な音。
ボタンを押せば、ピッ、ピッと小気味のよい音。
そして先ほども述べた通り、あくまで相手方の異常のせいでかからない旨のメッセージが、きわめて「正常に」流れる。
すんどめは、自分の携帯電話を使って実験をした。
くり返すが携帯電話のほうは、かけようとしても「大変混みあっております」と言われるかまたは実質的に「圏外」であってそもそも全く機能しない状態であった。
その携帯電話と、固定電話との間でかけたりかけられたりをしてみたのである。
するとどうだ、ちゃんと互いにかかるではないか。
道外の方にはなかなか想像しがたいだろうが、あの時点の北海道内において、これは驚異的なことであった。
このエピソード、だれに言っても驚かれる。
何故!? 何故!?
と聞かれる。
ある人は、こう言った。
「えっ、黒電話なの?」

そう。
謎を解く鍵は、まさに黒電話というワードなのである。
昔の黒電話は、電源なしでも通じた。
「なしでも」というより、そもそもコンセントで電気を得るためのケーブルなどついてはいなかった。
にもかかわらず何故使えたのかといえば、それはずばり、
「音声を伝え合う以外の余計な機能がなかったから」
と、断言して絶対によろしいはずである。
そもそも電話とは、受話器に向ってユーザーがしゃべった声の音圧により内蔵されたコイルが振動して、そこに仕掛けられてある磁石のためにコイルの中の磁界が変化し、コイルに電流が流れるという、いわゆる「電磁誘導」を利用して音の信号を電気の信号に変え、その電気信号が電話線を経由して相手方の電話機に伝わり、今度は相手方の電話機の内部で、受け取った電気信号をやはりコイルに流して、やはり仕掛けられてある磁石によって「フレミングの左手の法則」を巧みに用い、力を生じて、コイルを振動させて電気の信号を再び音の信号に変え、相手ユーザーの耳に聴かせるという驚くべき天才的な発明なのである、とすんどめは理解している。
すると、電気の信号はあくまで音声を入れれば生じるようになっており、別に電源はいらないわけだ。
なんと、電池もコンセントもなしで、話者の話し声そのものをエネルギー源として発電してしまう、魔法のようにシンプルで無駄のない発明。
それが電話であったはずだ。
そう考えると、もし黒電話なら今回の災害下でも、電話線そのものが地震により損傷でもしない限り、りっぱに機能したはずなのである。
従って、昔ながらの黒電話を未だに使っている家や施設どうしなら、あの絶望的な停電の闇の中、見事にやりとりが成立したはずだ。
すんどめは正直、道内にそうした実例がないものかどうか、真剣に探したい気分である。
「黒電話なの?」
とすんどめが色んな人から聞かれたのは、実はそういう意味なのであった。

むろん、すんどめが使っている固定電話は、黒電話ではない。
ではどういう電話か。
実は10年以上前、それまで使っていたファクシミリ兼用機の故障に伴い、新たに固定電話機を量販店に求めたとき、
「これからの時代、ファックスなんていらないよな。
仕事でファックスが必要な人ならともかく、個人が使ってきたファックスの役割は、みんなEメールで代替できちゃうよな」
と思い、また、
「アドレス帳だの送信・受信履歴だの、そんな個人情報を下手に残しておく場所を増やしてもしょうがないよな。
固定電話は人から貸してくれと頼まれたりする性質のものだから、結果的に色んな人の手に触れる。
そんな場所に、個人情報なんて蓄積できないな」
とも考え、さらに子機が不要な事情も手伝い、お金がなかったこともあって、子機もファクシミリも余計な機能も一切ついていない、その店でいちばん安い小さな電話機を購入。
300円だった記憶がある。
さすがに300円は、すんどめの記憶による誇張だろうが、そんな印象すら持つほど、とにかく安かった。
むろん、通話しかできない。
IP電話でないからルーターもついていなければ、ファクシミリ兼用機でないから排紙のための設備もない。
まるで黒電話である。
ほんものの黒電話とちがうのはただ1点、押した数字がディスプレイされるということだけであった。

これが、正解であった。
思うに、この製品はほとんど黒電話なのである。
たしかに通話しかできないのだから、黒電話と変わらない。
コンセント用のケーブルはあるものの、それはディスプレイだけのためであり、相手方に伝えるべき電気信号はユーザーの音声によって生じるのであるから、たしかにそこの部分に電源はいらない。
(してみると、今回のことで判明したが、内蔵されている磁石はなんと電磁石ではなく永久磁石だということになろう。)
停電直後、この優秀な固定電話を使おうと覗き込んだところ、ディスプレイの表示は完全に消えて暗くなっていた。
停電なのだから、当然だ。
にもかかわらず通話はできた。
これはとりもなおさず、電話機のつくりが単純すぎて、音声通話機能に他の余計な機能(ディスプレイしかないのであるが)が何ら関係しておらず、他の唯一の余計な機能であるディスプレイ機能が死んでも、メインの音声通話機能には何らの障害も与えなかったということに他ならない。
よく言えばシンプルの勝利。
悪く言えば安物の勝利。
では不公平にならぬよう、それらの間をとってこう呼ぼう。
不便の勝利、と。

もっとも、あの混乱のさなか、電話したい相手の電話機はことごとく死んでいたため、結局は本当にただ不便だっただけなのだが。

拙著『シェーンの誤謬』 ここから購入できます
https://www.amazon.co.jp/dp/B07FYT4Q65/

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?