すんどめパターソン

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最近の記事

まあ待つぇ! ヘボン式ローマ字が導く日本語の破壊と再構築

ローマ字を原則訓令式とする内閣告示が約70年ぶりに見直され、ヘボン式を軸に検討が進んでいるそうな。 すなわち、「千葉」をTibaではなくChibaと表記する方式がようやく公式になろうというのである。 むろん既に事実上は定着していたが、正式に、そうしようという話らしい。 さてそうなると、すんどめパターソンの前々からの妄想が、いよいよ現実味を増してくる。 その妄想とは、五十音の破壊と再構築である。 そもそも「千葉」をTiba(訓令式)とは書きたくない、ぜひともChiba(ヘボン

    • 不死身の男、死す ~最後の武闘派一代記~

      若い頃にさんざん世話になった居酒屋のママから電話が来て、その夫である大将が亡くなった、と知らされた。 大将はたしか、70代後半であったはず。 いっぽうママは80代で、今も元気いっぱいである。 大将は、おそらく日本最後の、真の武闘派であった。 追悼の意をこめて、この機にひとりの武闘派の思い出を、まとめておきたい。 ※ 亡くなった大将は、空手の有段者であった。 大手の重工業会社に勤める技術者でもあり、全国の現場を飛び回った。 肩幅も顔も大きかったが、何と言ってもその声が大きか

      • 「さようなら、バイバイよ。」の謎

        故・北杜夫大先生の小説に出てくる、キタ・モリオという名の三文作家の口癖、 「さようなら、バイバイよ。」 が子どもの頃から大好きで、腹を抱えてゲラゲラ笑っていた身としては極めて貴重な発見が、このほどあった。 それは、映画『007/ダイヤモンドは永遠に』(1971年、英米。ショーン・コネリー他)が、たまたまテレビで放送されていたのを見たときのことだ。 ジェームズ・ボンドと行動を共にしたためさんざん危険な目に遭ったボンド・ガールの人が、 「あなたにこれ以上つき合わされるのはごめんだ

        • 『シェーンの誤謬』読者さんからご感想 「正にエンタメ!」

          すんどめの書いた小説『シェーンの誤謬』に対し、いち読者の方から熱いご感想を頂戴しました。 以下の「」内はすべて同一の方からのメッセージです。 まずはお読みになっている途中に下さったメッセージから抜粋。 「ワザワザいいキャラですねw 非常に好感が持てます。」 「今やっとニッチモからシェーンの誤謬という単語が出て、2章いきました! めちゃくちゃ面白いです!!」 「大変ヘビーになる訳ですねw 会話劇なのでサクサク読めちゃいます! 3章いきました。」 「大草原の小さな家の説明が何

        まあ待つぇ! ヘボン式ローマ字が導く日本語の破壊と再構築

          新釈「このはしわたるべからず」~一休さんはイソップ的ドジキャラ?

          また、新しい「シェーンの誤謬」に出会ってしまいました! シェーンの誤謬とは、人々の記憶の中で物語が変質していく現象であり、すんどめが提唱している概念です。 つい先日、14歳の男の子と雑談をする機会がありまして、たまたま『一休さん』の話題になりましたので、「このはしわたるべからず」という話を知っているかと尋ねましたところ、 「ああ知ってるよ。こんな話さ」 得意げにそう言って彼が語ってくれたその話というのが……! 一休さんは、ボロボロの橋の前を通りかかりました。 すると橋の入り

          新釈「このはしわたるべからず」~一休さんはイソップ的ドジキャラ?

          「泣いてたまるか効果」~渥美清はどこにでもいる

          60年代のテレビ・ドラマ『渥美清の泣いてたまるか』を観れば、実に面白い効果があなたの中に生じる。 それは、渥美清の他の主演作品のすべてが『泣いてたまるか』の一環に見えてくるという効果である。 ぜひこの不思議な効果を、体験してみるとよい。 『男はつらいよ』(いわゆる「寅さん」)シリーズはもちろん、『喜劇急行列車』から『拝啓天皇陛下様』、『あゝ声なき友』に至るまで、渥美が主演のものならことごとく、 「ああ、これは『泣いてたまるか』のスペシャル版ね」 などというふうに、強く思えてし

          「泣いてたまるか効果」~渥美清はどこにでもいる

          答えにならない答え 本に触れない書評

          最も強く心に残る、インタビューや人生相談の類。 それは往々にして、質問にちっとも答えていないようなケースである。 (以下、引用はすべて記憶によるもので、全く正確ではない。) ※ かつて井上陽水がライブをやったとき、それを放送したテレビ局は、楽屋で彼にインタビューした。 「陽水さんは、なぜ今回のライブをやってみようと思ったのですか?」 すると井上陽水はにわかに不敵な笑みを浮かべ、 それはプロモーターに聞いてくれたほうが早いんじゃないの? 僕はここではお金で呼ばれた身だから

          答えにならない答え 本に触れない書評

          笑いに自信が持てない時代

          今の創作と昔の創作で決定的に違うことは、何か。 それは、笑いに対する自信である。 昔の創作作品群は、明らかに自らの「笑い」に自信を持っている。 それが受けないことも、気づかれないことも、まるで恐れていない。 ※ たとえば1937年の映画『スタア誕生』(ウィリアム・A・ウェルマン監督、米)を観よ。 ヒロインたる田舎娘が女優を夢見て家出。 祖母が、その家出をひそかに手伝う。 しかし祖母と、ヒロインのおばとは仲が悪く、またおばは女優を目指す姪に大反対している。 だから家出をする

          笑いに自信が持てない時代

          連載『数学はなぜ嫌われるか』 6章「スーガク屋さんはスージが苦手?」

          あんたがもし「理系」なら、こんなことを言われたことはねえか? あるいはあんた自身、「理系」の奴に向ってこんなことを言ったことはねえか? 「お前、理系のくせになんでこんなことも分かんねえのよ」 そうなんだ。 世の多くの奴らが、「理系」と言やあみんな数字に強くて、複雑な暗算も瞬時にできて、元素記号と化学式をぜんぶ暗記してて、電気回路の不具合なんざちょちょいのちょいで調整できて、宇宙物理学の最新理論から自然災害のメカニズムまで熟知してて、車のエンジンの故障も手で直せて、コンピュータ

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          連載『数学はなぜ嫌われるか』 6章「スーガク屋さんはス…

          涙の再会

          その夜。 すんどめの妹・入れ食いパターソンは、訪ねてくる友達のために、近所の店で若鳥半身揚げを買って待っていた。 ところが、友達もまた来る途中で同じ店に立ち寄り、若鳥半身揚げを買って手土産に。 家へ上がって、入れ食いパターソンの用意した半身揚げを見るなり、 「1羽になっちゃった!」 拙著『シェーンの誤謬』 ここから購入できます https://www.amazon.co.jp/dp/B07FYT4Q65/

          酔夫伝

          酔っぱらいというものは、同じ話を何度もする。 あるとき居酒屋さんで、たまたま隣になったおじさんはすんどめへ、 「おかずのないときゃぶっかけ! あんなもん、3秒でできる、3秒で。 まずは卵をコン。 これで1秒でしょ、ね? 次にその卵をご飯の上にパシャッ。 これで2秒でしょ、ね、そうでしょう? で最後に醤油をタラッ。 ホレ3秒でしょ3秒。 ね? そうでしょ? だからおかずのないときゃぶっかけが一番いいんだって。 あんなもん3秒でできるって。 まずは卵の殻をコン。 ね、これで1秒で

          連載『数学はなぜ嫌われるか』5章「おんなじことを言い換えるのが数学!」

          「『1+1』と『2』って、どうちがうのよ!? おんなじもんだろ!? どうせおんなじなんだろ!? それなのに、なんで『1+1』をわざわざ『2』って書き直さなきゃいけねえのよ! おんなじこと何回も書かせるんじゃねえよバッキャロウ!!!」 ――これは。 ある人物の、心の中だ。 その人物の心の中をすんどめが代弁すりゃあ、どうやらこんな具合になる。 奴が数学を憎み、呪い、蔑み、数学の存在を全否定しやがるのには、こういう“理由”があったみてえだ。 この、ある人物ってのは、何を隠そうすん

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          どこまで許せる「不思議扱い」!?~『空想科学読本』の役割

          「不思議を不思議扱いされることの許容範囲」には、どうやら非常に大きな個人差があるらしい。 あるだけならまだしも、それがときに、ある程度には顕著な断絶を、社会へ生み落とす。 〇 非現実的なこと。 不思議なこと。 空想上と思しきこと。 ファンタスティックなことが話題にのぼったとき、あなたならそれを何と表現するだろうか。 たとえば、 「昨日UFOを見たんだよ。 スーパーの駐車場で車に乗ろうとしていたとき、頭のすぐ上を、東京ぐらいでっかい円盤が通り過ぎて行ったんだ。 なぜか、他の

          どこまで許せる「不思議扱い」!?~『空想科学読本』の役割

          追悼、ジャズDJ児山紀芳~最後の生き字引よ安らかに

          2019年2月3日、ジャズ評論家の児山紀芳(こやまきよし)さんが亡くなったと伝えられました。 これで、現代ジャズの黄金時代を直接に知るジャズ評論家もジャズDJも、ついに日本からひとりもいなくなった、とすんどめは思います。 〇 ちょっと説明が必要だと思いますが、ジャズの歴史の中で、いわば「ジャズがロックだった」時代がありまして、それはやはり1930年代前後だと言っていいはずなんですね。 ロックの盛り上がりは60年代後半がピークだった、というのと同じように、ジャズが若者の熱狂

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          連載『数学はなぜ嫌われるか』 4章「すべての問題は文章問題」

          よく、こんなことを言う人がいるよな。 「計算問題は得意だけど、文章問題は苦手」 けどよ、あんたの言う「計算問題」って、つまりはどんな問題だ? その問題を、ここで出してみてくれ。 さあ、どうだろうか。 あんたは言うかも知れねえ。たとえば、 1+1 これが計算問題に決まってるだろ、ってな。 つまり、問題にゃただ「式」だけ書いてあって、その「式」を「計算」して「答え」を出させるのが計算問題。 式以外にもウダウダ「文章」が書いてあるのが文章問題、あるいは文章題。 そういう区別が広

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          昔の映画にしかない「静寂」と、それに挑んだ北野武

          不思議なことがある。 昔の映画にしかない「静かさ」というものが、往々にしてある。 むろん現代の映画にも静かな作品はあるし、昔の映画にもにぎやかなミュージカル・コメディなどはある。 しかし現代のどんな静かな映画も持ちえない、何とも言えない独特の静かさが、昔の静かな映画にはある。 たとえば50年代フランスのアニメーション映画『やぶにらみの暴君』を一部改変した『王と鳥』や、時代も製作国も忘れたがモノクロでかなり古いことだけは確かな『美女と野獣』、あるいは黒澤の『蜘蛛巣城』などが、そ

          昔の映画にしかない「静寂」と、それに挑んだ北野武