屁っこきプロモーション ~沈黙守りしオナラ目線、AIが喝破?~

1週間ほど前から、ネットを開けばオナラ関係の広告が必ず表示されるようになってしまった。
それも毎回である。
なぜ、こうなってしまったのか。
別に見たくもないのでろくに見てはいないが、どうやら、オナラの多い人やオナラが臭い人の悩みに応える、もしくはつけこむ商品の宣伝らしい。
近ごろオナラにまつわる検索をした記憶は、まったくない。
健康関係の検索はそれなりにしているはずだが、とりたてて肛門関係、便秘関係の調べ物をしたことはない。
なんとなればすんどめは、腰を痛めてはいても、腸や尻に特段の異状がない。
好きで読んでいる記事や、フォローしている人の投稿に、最近オナラの話題が盛り込まれていた記憶もない。
にもかかわらず、どういうわけかAIめが、すんどめを「オナラで悩んでいる人」もしくは「よほどオナラに興味がある人」と、大マヌケにも認識したのであろう。
だとすると、AIというものも、まあ、屁のツッパリ程度にしかならぬようだ。

ただ、屁のツッパリ程度とは言っても、それはすんどめがオナラ関係のどんな商品をも買う気がまったくないからお門違いだというだけであって、ではだからといってすんどめはオナラに対し特別の関心がないのかというと、そうでもない。
実はすんどめは、昔からオナラというものに対して極めて重大な関心を抱いてきた。
そこで今日は、すんどめのオナラに対する関心のうち、特に重大な3つの話題について、ブッ放してみたい。

(1)オナラボンベを発明せよ

いったいいつのころからだろうか。
すんどめは、なんとかして「オナラボンベ」という製品を発明し、あまつさえ同製品をしてあまねく地上に普及せしむべしという誇大妄想を抱き、かつ、このアイディアを長年温めてきさえした。
つい最近まで、かかるアイディアを発明成就のその日まで誰にも秘密にし、特許をとろうとまで本気で考えていた。
だが、もうよい。
今日はこの秘密のアイディアを本邦、否、かくは世界へ向けて初公開する。
この構想に賛同してくれる人は、名乗りを上げられたい。
ぜひ、いっしょにやろうではないか。
(ただし、スカトロジーや、またはオナラのニオイを要素とするなんらかの「プレイ」を趣味としてらっしゃる方が、その趣味を満足するため、あるいはその思想を実践せんがために我がオナラボンベ発明事業に首を突っ込んでこられるのは固くお断りする。
趣味ではなく単に研究対象としている方が、その研究の知見を活かして協力して下さるというのなら、ありがたくご参画頂く。)

さてオナラボンベとは、何か。
それは片手で楽に持ち運べる大きさの円筒状の容器であって、一家に1台どころか、なるべくなら世界中の人が一人1台ずつ所持するのが望ましい製品である。
どこへ行くにも持ち歩いて頂きたい。
そして、オナラをしたくなった人は、すかさずマイ・オナラボンベをお尻の穴にあてがう。
なお念のため補足するが、ここで言う「すかさず」とは、決してすかしっ屁のことではない。
ボンベをあてがうその迅速なる手際のことである。
さてしかるのち、なんらかのテクノロジーによって、ひり出したオナラをすべてこの容器に閉じ込める。
こうすることによって、周囲の人は臭い思いをせずに済む。
オナラの主は、このようにオナラを閉じ込めたるそのオナラボンベに対し、ときおりポンピングをかけてガスを圧縮しておく。
やがてボンベ内にじゅうぶんな質量のオナラが圧縮され充満したと見るや、持ち主はこれをカセットコンロにがちゃっと装填し、自らのオナラを燃料に食事の煮炊きをするわけでである。
オナラには水素やメタンが含まれるため、圧縮しておけばそれなりに燃えるはずだ(というすんどめの妄想である。責任は持たぬ)。
従って、オナラボンベは独自の規格ではなく、市販のカセットコンロにきちんとハマるよう、通常のガスボンベと同じ規格であることが望ましい。
どうだ、この合理的なこと。
燃料の節約になるだけでなく、そのまま空中に拡散すれば人々に迷惑を与えるだけだったはずの単なる公害を、あろうことか有効利用できるのである。
オナラを燃やして煮炊きした料理など誰が食うかキタナラシい、とあなたは言うかも知れない。
しかし、なにしろ燃やすわけだから、殺菌・滅菌効果は抜群なのである(というすんどめの妄想である。爆発などの危険に対してくれぐれも用心されたい。責任は持たぬ)。
非常にコスパのよい、真のバイオマス燃料とはまさにオナラのことではなかろうか。

こうなると、人間の欲望に果てはない。
自分のオナラだけでは飽き足らず、牧場へ出かけ、牧場主と話をつけ、牛たちが日がな一日ブッコラブッコラ鳴らすオナラをも、ボンベに詰めて帰りたい人が続出するであろう。
他にも、さまざまな動物がターゲットにされるはずだ。
よもやオナラを目当てにした密猟などは言語道断であり、絶対に許されぬ。

ただし、あんまりやり過ぎると、大気中の気体の成分比に変化が生じるやもしれぬ。
今までは、地球上のたくさんの生き物たちが一定量のオナラをすることによって、大気中の気体の成分比もまた一定に保たれてきた。
むろん、大気の成分比を決めているものはオナラだけでなく、実にさまざまのファクターズがあるわけだが、その多くのファクターズのひとつがオナラであることは言うまでもない。
オナラをナメてはいけないのである。
従って、本来大気中に拡散されるはずだったオナラが、オナラボンベの極端な普及により、あまりにも大量に燃やされ二酸化炭素や水となり果ててしまうと、大気の組成に微妙な影を落とさずにはいまい。
このことが、何やら新たな環境問題を引き起こしかねまい、とは思う。
思うがしかし、それはオナラボンベの普及があまりにも上手くいった場合の話だから、今から心配するには及ぶまい(責任は持たぬよ、どこまでも)。

もうひとつの問題は、放屁の瞬間にそのオナラのすべてを、ただの1ccも漏らさずボンベへと格納するその技術である。
むろんズボンやスカートや、いわんやパンツ・フンドシなどをいちいち脱ぐことなく、そのままのかっこうで見事オナラをボンベ内へ収めきりたい。
それにはいったいどうすればよいか……
いくら考えても分からぬまま、いたずらに歳月だけが流れてしまった。

(2)オナラを許し合う社会

さてすんどめには、ぜひとも実現したい社会の姿がある。
それは、オナラを許し合う社会である。
オナラはもうそろそろ、こいてもいいことにしないか。
なるほどたしかに、オナラは臭い。
実に不快である。
断じて許しがたい。
しかし、そこをあえて、オナラをするほうではなくされたほうがガマンをしないか。
次の衆議院議員総選挙では、どこの党でもよいから「オナラ許容社会」をマニフェストに掲げてほしい。
「オナラに寛容な社会」。
「オナラ・フレンドリー」。
略して「屁レンドリー」。
あるいは「プーッレンドリー」。
我が党は、オナラをガマンする苦しみのない世の中を実現します!
そんな政策を放ってくれないだろうか。
そうしてくれればすんどめは、比例代表ではためらうことなくその党に投票するであろう。
そしていつの日か、臥薪嘗胆……、何十回の選挙を経てのちかは分からぬが、その党が政権の座につく日もやって来るに違いない。

すんどめ思うに、世の多くの人は、オナラをガマンするためにとてつもなく大きなエネルギーを使っている。
非常に強い力で、お尻の穴をしめつけている。
職場で。
学校で。
額に脂汗をかきながら、それでも必死に、平気な顔でニコニコ笑っている。
そのストレスたるや、日常的に拷問にさらされているようなものである。
公衆の面前でたとえ一発でも屁をこいてしまったら、いや、よしんばこいたとしても、その音を一度でも、たとえ1人の人にでも聞かれてしまったら、もうすべては終わりだ。
わが社会的生命は終焉を告げる。
……そう思っている人が、非常に多くはないだろうか。
すんどめは医学的なことはよく分からんが、オナラをガマンし過ぎることは、便秘の原因にもなるのではないのか。
しょせんオナラは、鼻水や汗やくしゃみと同じく生理現象である。
だから誰かがオナラをしても、それがどんなに臭くても、
「オッケーオッケー。
出ものハレもの、どーんと来いフォーッ!」
と言って許してやってくれないか。
その代わりあなたがオナラをするとき、あなたはだれに気兼ねをすることもなくバスッ!と快適にその用を足せるのである。
なんと健康的ではないか。

だが、こうした社会を築くことは、とりもなおさず社会全体のコンセンサスを形成することに他ならない。
理解してくれない世の多数派の常識人たちを、ひとりひとり説得し、「非常識」の側へ転向させる地道で困難な活動を意味する。
その努力たるや、すさまじいものであるはずだ。
莫大なエネルギーと、気も遠くなるような長い年月を要すること疑いもない。
さまざまな方面から厳しい圧力と、激しい迫害とがあろう。
これは、よほどに気合を入れ、ケツの穴をしめてかからないと……
アレ?

むろん説得が難しいのは、オナラが臭いからである。
それが主な理由である。
オナラをされても決して怒らず、パワハラまがいの叱責などしないで、優しい心でこれを許容せよ、などと言われても、臭いものはやはりガマンならん。
それはたしかに、そうなのである。
無理もないのである。
さ、そこでだ。
そこで登場するのが、前述のオナラボンベなのである。
オナラボンベにオナラを収めきることで、周囲の人は臭い思いをせずに済む。
オナラを許容したくとも許容しがたいという社会的問題を解決し、なおかつ原油高の折、燃料の節約をも実現して経済的問題をも解決する一挙両得の妙策こそは、まぎれもなくオナラボンベではあるまいか。
すばらしい……。

それにしても、すんどめは何故、かくもオナラを通して社会を見る目を持ったのであろうか。
誤解のなきようお断りしておくが、すんどめは断じて、スカトロジーを専攻していたり、オナラのニオイを重視するプレイを趣味にしていたり、といったことはない。
オナラとのつき合い方は、恐らく世のほとんどの人と同じである。
すなわち、他人がオナラをすればすんどめも不快だし、また、自分が人前でついオナラを鳴らしてしまうことのないよう冷や汗かきながら気をつけて暮らす、ごくふつうの小者である。
それなのに、オナラを通して社会を見ようとする目にかけては、はばかりながらこのすんどめ人後に落ちぬ。
なにか若い頃や子どもの頃に、オナラに関する強烈な体験でもしたのだろうか。

(3)放屁映画は面白い

強いて挙げれば、すんどめは小学生の頃から、妙なことに気づいていた。
それは、屁をこくシーンのある映画は、何故か、どういうわけか、ことごとく傑作であるということである。
以下すんどめが知る範囲での、放屁シーンのある映画を列挙する。
『アマデウス』
『男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け』シリーズ第17作
『蒲田行進曲』
『ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎哀歌』シリーズ第2作?
『ファンシィダンス』
『デンデラ』
他にもあった気がするが、いずれにせよ、好き嫌いはともかくすべて傑作であることは認めざるを得まい。
とりわけ、シリーズの中のある1作が、放屁シーンを持つとそのシリーズの中でも出色の出来となる、という点には注意が必要である。
一度、「オナラ映画祭」でも催して上の作品群を一挙上映したほうがよいのでは、と思うくらいである。
このような数々の傑作の大半に、子どもの頃に接してしまっては、もしやオナラには何か映画を面白くする力があるのでは……と思ってしまっても不思議はあるまい。
この状況で、社会の最暗部たるオナラに注目するなというほうが無理というものである。
放屁映画は何故面白いのか。
すんどめにとって、この謎は永遠に解けないものであり、挑み続けるべきライフ・ワークでもある。

……ハッ!
まさか、AIめは、すんどめがこれらの映画に関する情報をちょこちょこ検索している履歴から、オナラに対するすんどめの強い関心を見破ったのだろうか……?!
だとするとAIの野郎、これらの映画をよく観ていることになる。
やるな。
AI君とすんどめ、良い友達になれそうだ。
ねえAIちゃん、そのうち一杯やろう。
イモの煮っころがしでも肴にさ。


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