まあ待つぇ! ヘボン式ローマ字が導く日本語の破壊と再構築

ローマ字を原則訓令式とする内閣告示が約70年ぶりに見直され、ヘボン式を軸に検討が進んでいるそうな。
すなわち、「千葉」をTibaではなくChibaと表記する方式がようやく公式になろうというのである。
むろん既に事実上は定着していたが、正式に、そうしようという話らしい。

さてそうなると、すんどめパターソンの前々からの妄想が、いよいよ現実味を増してくる。
その妄想とは、五十音の破壊と再構築である。
そもそも「千葉」をTiba(訓令式)とは書きたくない、ぜひともChiba(ヘボン式)と書きたい、というそのモチベーションの背景には、Tiを見ると「ち」ではなく「てぃ」と読みたくなる感覚というものがあるはずだ。
その感覚に従おうとするあまり、軽々しくヘボン式を導入するとどういうことになるか。
それはずばり、「たちつてと」の撲滅である。
いわゆるタ行をこの世から抹殺し、

たてぃとぅてと
ちゃちちゅちぇちょ
つぁつぃつつぇつぉ

の3行に分けよと叫ぶ暴論こそが、ヘボン式導入の行きつく先である。
むろん、そこはそれヘボン式ローマ字であるからして、「たてぃとぅてと」は子音tで、「ちゃちちゅちぇちょ」は子音chで、「つぁつぃつつぇつぉ」は子音tsで表現されるであろうことは言うまでもない。
そして、蛇足中の蛇足ながら、tがつかさどるこの行を「新タ行」、chのそれを「チャ行」、tsのそれを「ツァ行」などと称するであろうこともまた想像に難くはない。
よって、五十音が五十音ではなくなる。
すんどめがちょっと妄想しただけでも、「新あいうえお」空間は、まあざっと次のようなものとなる。

あいうえお → ア行 (aiueo)
かきくけこ → カ行 (子音k)
さすぃすせそ → 新サ行 (子音s)
しゃししゅしぇしょ → シャ行 (子音sh)
たてぃとぅてと → 新タ行 (子音t)
ちゃちちゅちぇちょ → チャ行 (子音ch)
つぁつぃつつぇつぉ → ツァ行 (子音ts)
なにぬねの → ナ行 (子音n)
はひほぅへほ → 新ハ行 (子音h)
ふぁふぃふふぇふぉ → ファ行 (子音f)
まみむめも → マ行 (子音m)
や■ゆいぇよ → 新ヤ行 (子音y。第2音のみ設定しない)
らりるれろ → ラ行 (子音r。しかしrでもlでもないものをいつまでもrで表記してよいのかという熾烈な論争が近い将来必ず興る)
わゐ■ゑを → 新ワ行 (子音w。第3音のみ設定しない)

以上、最後のほうの新ワ行(「新」なのか?!)などはなかばヤケクソになって考えたものであるが、それも入れればおよそ15行。
単純に1行につき5段あるとすると、「五十音」ではなく「七十五音」が、新時代の日本語発音体系の基本である。
これまで拗音などとして、基本の五十音の外に置かれ、応用扱いされてきたものが、ついに「しゃししゅしぇしょ」「ちゃちちゅちぇちょ」などの形で基本空間の中に侵入してこざるを得ないのである。
言うまでもなく、これらに濁点や半濁点がついて、さあ「ざずぃずぜぞ(新ザ行、z)」と「じゃじじゅじぇじょ(ジャ行、j)」を区別せよ、などと、どんどんワケが分からなくなってくる。
ずいぶん面倒な話だなあ、と思うそこのアナタ。
ヘボン式ローマ字を認めるというのは、そういうことですぞ。

しかも話はこれだけでは済まない。
上のような「新あいうえお」空間を認めてしまったら、もはや、日本語そのものを大変革しなければ収まりがつかない。
なぜなら、たとえば「立つ」という言葉は周知のとおり、従来次のように変身することができるある種の変身ヒーローであった。

たた(ない)・たち(ます)・たつ・たつ(とき)・たて(ば)・たて

即ち、言葉の本体たる語幹「た」を無視すれば、

た・ち・つ・つ・て・て

であって、まさに文字通り「たちつてと」の中で(しかもこの順に!)変身したのであった。
これをとなえて「タ行五段活用」。
「五段」だの「上一段」だのはここではどうでもよい。
要するに、変身する言葉というものは、それぞれあいうえおの中のある決まった行の中でのみ見事に変身をとげるという、いったい誰が発見したのか知らぬがまことに魔訶不思議な性質を、大昔からひそかに持っていたわけだ。
驚くべきことに我々は日常、「立つ」や「待つ」などの変身を通じて、全く無意識のうちに、「た」と「ち」と「つ」と「て」と「と」とを同じ1かたまりの仲間として分類するのが極めて必然的であるような言葉の使い方をしているではないか。
だからこそ「たちつてと」であり、それこそが「タ行」であったのだ。
しかし!
今後はそうはいかない。
前述のごとくヘボン式ローマ字を認める以上、もはや「(現在の)タ行」は滅ぶ。
「たちつてと」なんて、もうどこにもないのだ。
それに代わって、「たてぃとぅてと」と「ちゃちちゅちぇちょ」と「つぁつぃつつぇつぉ」とを厳密に峻別すべき世が訪れる。
するとどうなるだろう。
「立つ」は、何しろ変身する前の形が「つ」で終わっているわけだから、これは、どう考えてもタ行ではなくツァ行で変身しなければおかしい。
従って、

たつぁ(ない)・たつぃ(ます)・たつ・たつ(とき)・たつぇ(ば)・たつぇ

と変身せざるを得ないではないか。

例1: 疲れて足腰も立つぁない
例2: 明日の朝早くに立つぃます
例3: 立つぇ万国の同志よ立つぃあがれ

これを唱えて「ツァ行五段活用」。
そんな言葉の使い方なんてできるわけがない、「立たない」はあくまでも「立たない」であって、「立つぁない」なんて言えるわけがない、と言うそこのご仁よ。
どうでも「立たない」で通そうというのなら、よろしい。
その場合は「新タ行五段活用」を採用せざるを得ないのであるから、「立つ」という言葉自体が滅亡し、なんと「立とぅ」という新たな単語が誕生して、

たた(ない)・たてぃ(ます)・たとぅ・たとぅ(とき)・たて(ば)・たて

となる。

例4: 立とぅんだジョー!
例5: 風立てぃぬ 今は秋
例6: 俺も立とぅ瀬があろうってもんだぜ

そんなバカを言うな、「風立ちぬ」はあくまでも「立ちぬ」であって、「立てぃぬ」なんて言えるわきゃねーだろバカ、とおっしゃる、そんなあなた。
素晴らしい。
あなたの英知に乾杯だ。
そんなあなたの双肩には、「チャ行五段活用」を世に提唱し、普及に尽力すべき重大な責務が託された。
もはや詳細は省くが、その場合の変身前の姿が「立ちゅ」であることは言うを待たない。
そして、賢明なる読者諸氏のことだからもうお気づきだろう。
そう。
「立つ」はあくまでもほんの一例でしかない。
このような言葉の崩壊と再構築とが、無数に起こらざるを得ないのである。

例7: 私が推すぃ活をすぃているタレントは先月、エアコンを買ゐます、いや高くて買ゑませんで夫ともめて体調を崩すぃ、活動休止。ずいぶんファンを待つぁせたが、タレントとファンとはもつぃつもつぁれつ。早晩ファンが夫追放に立つぃ上がるであろう。

このような、舌を噛みそな奮闘努力を、確実に我々は強いられる。
一億人を軽く超える日本語話者らが、かかる画期的な発語に慣れるまで、全員で、一致団結して何年でも何十年でも血のにじむような努力をしなければならないのだぞ。
できるか。
できるというのか?!
仮にできたとして、それがいったい何の足すぃに……アレ?

参考:朝日新聞、北海道新聞

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