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妹と私


妹の話⓪妹の話①妹の話②妹の話③きょうだい児より書きまとめました(1万字)




〜はじめに〜


私が抱えてきた生きづらさの裏には、
私自身の気質(特性)と家庭環境からの影響がありました。

妹は神経発達症(発達障害)傾向があり、
母自身の気質や父の気質、それぞれの生い立ちと、
家庭環境である親の言葉かけや態度など、
家庭という社会で身につけてきたものです。


発達障害は、最近では神経発達症と呼ばれています。
その傾向を持つ子の親御様は、子育ての難しさを感じていることでしょう。
また、自分の感情も揺さぶられ、思い悩むこともあると思います。

また、ヤングケアラーも社会問題となっていますね。

“子どもの頃に子どもらしくいられない“
それは後に精神的な影響を受けてしまう。

私自身は「きょうだい児」であったと感じており、
気難しい妹と家族の関係の中、
子どもらくしく過ごせたかは微妙です。

親の態度というのは、
とても大切なものだと心から感じます。

発達障害傾向との関わりの難しさ、
本人、親、周りの人たちの抱え持つ感情、
それぞれの傷つき、寂しさ、生きづらさなどの、
理解を深めていただけたら嬉しいです。

この記事を読んでいただいた皆さまの
何かの気づきや考えるきっかけとなりましたら幸いです。




1.妹、私、家族


ークセー

私の妹は、年齢を重ね、丸くなってきました。
しかし、捉え方には、まだクセが出る時があります。

それでも、人の話に耳を傾けたり、
感情に流されずに、冷静に物事を見ようとしたり、
落ち着いた態度で対処できるようになりました。

心が不安定だった頃は、
「死にたい」の一言だけLINEをしてきました。
実際に死にたい訳ではないし自傷するわけではない。
「死にたい」→「話を聞いてもらいたい」
このように素直に伝えることができないタイプです。

思考も二極化しやすく、破壊的でしたが、
随分と丸み帯び、攻撃的ではなくなり、
今は客観的に、優しい会話のやり取りができています。

しかし、言葉の受け取り方と送り方の取捨選択、
状態の捉え方は得意な方ではありません。

そんな妹の特性を理解して、私はずっと関わってきました。


妹とやり取りから学んだ経験について、
『私が家族間で習得した会話のスキル』の記事で話しています。

私の妹は、感情の起伏が激しく、言動にすぐ反応してキレやすかった。
年齢を重ね、柔軟性が出てきたが、いつも怒りと落ち込みの相談をしてくる。
その度に、話を聞いて落ち着かせていた。
今でも会話は、落ち着いて、丁寧に、整理しながら、フィードバックをする。

妹の場合、否定は反発を生むだけ。冷静に会話ができなくなる。
共感をし受けとめ、気持ちを落ち着かせ、思考を整理していく。
冷静になってくると、安定した思考が出てくる。
小さな引っ掛かりを思い出して、わっと感情が出たりもするけど、
そしたら、またふりだしに戻り一つ一つ落ち着かせていく、の繰り返し。
自己否定も出てくるので、調整して安定の位置で話を終える。


母は依存気質で頼りにならず、父は長期出張で不在がち。
妹は、長女の私を頼りにしています。

小さな頃は、
癇癪があり、激しい性格で、
姉の私のことを嘲笑ったり、
私は傷つけられてきました。

母は、そんな妹を守り、
物分かりのいい私はいつも我慢させられます。

毎回ダブルの傷つきを味わいました。


ー自己表現ー

私は、どちらかというと、
どんな人とも関わることに慣れています。

それは、妹の生態をずっと見てきて、
少し変わった家庭の中で育ってきたからもあるでしょう。

それは、同時に、
自分のクセとも向き合うことにもなるので、
妹が家庭が、私自身を気づかせてきてくれた!
と言えます。


私も、決して伝えることが上手な方ではありません。
どちらかといえば、
自己表現には困難さを持っていました。

伝えることのスキルを学ぶ機会がなかったのだと思います。

私の周りにいた両親、祖父母、大人は、
誰一人として、適切な伝え方を
教えてくれる人はいませんでした。

その中で、父は、
冷静に論理的に話ができる人だが、
共感さには欠けていました。

身近にいる人たちは、感情的な人ばかり、
その環境から、感情的な表現を身につけてしまいました。

私は自分を抑圧しやすい。
物事の理解もできる方だから、
その我慢が溜まり、爆発する傾向でした。

言いたいことが言えても尊重がなかった。
周りにいる人が周りを見えていなかった。

その皺寄せは私に向いたと感じていました。

周りの見えていない人たちとは、
例え近い距離の相手であっても、
程よい距離を取ることで、私は自分を取り戻せた。

遠慮なく感情を出して攻撃して来られることに
私は疲弊していました。

その人自身が自分を振り返り、
自分自身の事として方向づけられると、
少し落ち着いてくる。

この対処をしてもらえると、
自分の安全が守られたような気持ちになりました。


家族は距離が近いため、遠慮がなくなりやすいけど、
家族間で心地よいコミュニケーションを学ぶことが、
とても大切だと感じます。

伝え方にはコツがあることを知りました。
自己表現にはそれが大切と思います。


妹は、私に話すことで、いつも気持ちが整理されると、
そのように話します。

私自身も、自分の中に困り感を持って生きてきたけれど、
妹の方が、生きづらさを抱えていたように感じています。

小さい頃から、妹は憎たらしいけど、
放って置けない存在で、私以上のこじらせちゃん。

だけど、私のことをそばで一番見てきて、
一番理解してくれる存在です。


私は妹を支えているけれど、
妹に支えられてもいるのです✨


ー偏りー

最近は、発達障害について、
いろいろな視点が持たれています。

妹と過ごしてきた中で、
発達障害などという枠をなく、
一人の人間としていつも見てきました。


偏りがあるということは、
確かに困り事は多いのだと思います。

でも、偏りは誰の中にもあるもので、
強弱なだけだと経験からそう感じます。


もちろん、それが、
明らかに社会的に弊害となっているならば、
考えていかなければならないが、

偏りの困り感の程度は多かれ少なかれ、
他の誰もがそのような事に出会うことなのかもしれない。

ならば、むしろそのような経験は、
豊な人生を生きている、その環境にいると、
そう言えるのではないでしょうか?


昔も今も、子どもを育てることの本質は
変わらないように思います。

心を育て
他者とのつながりをもつ

その子自身の良さを見る
その子自身の知恵と力をつける


私はそう感じます。





2.子どもの頃


妹は、今で言えば、
発達障害のグレーな状態だった。
(母も私も含め)


妹の小さい頃の写真は、
オムツがパンパンになった写真がある。
当時は布おむつで、
排泄したら毎回交換しなければならなかった。

妹は、いっぱいおしっこをしていたらしく、
量も頻度も多かったそうだ。
1枚では足りないため、布オムツをたくさんつけられ、
ぐるぐると巻かれていた。
おむつが取れるのも遅かったと母は話していた。


私が年長の時に、三女が生まれた。
母は三女の世話で忙しく、
次女はプレ幼稚園のようなサークルに祖父と通っていた。

外では、喋らず大人しく、家では暴れん坊。
思い通りにならないとギャン泣きで大暴れ。
アルバムには、捻くれてムスッとした顔や、
大泣きして暴れ崩れた顔の妹の写真が残っている。

犬のぬいぐるみをいつも抱いて、
肌身離さずに持っていた。
ぬいぐるみは汚くて、目玉が取れかかっても、
鼻がえぐれてワタが出ても、
「かわいいわんこちゃん」と名付け、
小学生の間までずっと、
ボロボロクタクタなそのぬいぐるみを大事にしていた。


母は妹のことを
内弁慶・天邪鬼・癇癪持ち(かんの虫がいる)
愛情が足りなくてかわいそうな子と言っていた。

子育ての難しさに、
いつも妹の言いなりになっていた。

かんの虫がいるからと、
何やら美味しい栄養ドロップのゼリー
(肝油ドロップ)を与えていた。
薬と言われていたけど、
妹だけがもらえ、羨ましくズルいと思っていた。


幼稚園と小学校の低学年の頃は、
とても酷かった。

外では内弁慶なので、家で大暴れする。
ちょっと嫌なことがあるだけで、
ものすごい力で、
髪の毛を引っ張る
叩く
噛む

三女は小さいので、
やられるのは、いつも私!

指の間に髪の毛がゴッソリと絡まるほどに、
髪の毛をめいいっぱい掴み引っ張られる。

歯形がくっきりとつくほど、血が出てくるほど、
腕や背中を噛まれる。

グーでガンガンと力いっぱい、頭や体を殴られる。

とても痛い思いをしながら、私は泣かされていた……


妹の機嫌が悪くなったのは、
あなたが何かしたからでしょ!
と、いつも私のせいにされた。

妹に言っても聞かないので、
言葉の通じる私に言ってくる、
妹の機嫌を恐れる母。

「あなたが謝っておきなさい!」

え!私悪くないのに?
被害受けているのは私の方なのに……😭

私の気持ちには一切寄り添わずに、
一刻も妹の機嫌を悪くさせないようにだけをする母。

やってはいけないことを伝える時もあるが、
妹は、全く耳に入らない。
プライドが高く、
負けを嫌い。
ごめんなさいが言えない。

家族でゲームをやっても、
負けると大暴れ。

妹を勝たせるようにゲームをするので、
私は全くつまらない。

いつだって、負けるが勝ちと私は言われ、
いつでも譲り、
いつでも謝ることをさせられた。
(負けるが勝ち、この言葉がとても嫌いだ)

なんなんだ!?
この家族は!?


激しい妹が使っている毛布は、
端が引きちぎられていてボロボロだった。
癇癪で、怒り泣き喚き、
ギリギリと歯を食いしばり、
毛布を力一杯引っ張って、
何度も何度も歯で毛布を引きちぎった……


私は理不尽な対応に、感情も思考ものみこむクセがついた。

父は厳しくて怖かった。
母も優しくなくて怖かった。
妹も凶暴で怖かった。


小学校の高学年から、妹は友達との交流も増え、
家で私へ暴力を奮うことも少なくなった。

外では別人。
内気で大人しく、アカ抜けていない子だった。
妹は斜視で、小学校低学年の頃から、
アイパッチをつけ、分厚いメガネをかけていた。
それをよくからかわれ、とても嫌がっていた。

性格も見た目も可愛くないと捉え、
それが妹のコンプレックスとなっていた。
出来のいい姉、どこに行っても、
姉を引き合いに出され、比較される。

「あなたのお姉さんは〜」
「お姉さんは〇〇で」

中学ではもっと比較された。
優秀な姉を持って誇らしい反面、
劣等感を感じずにはいられなかっただろう。
妹が抱えていた、苦しさだった。

でも、親は違っていた。
妹には妹の良さがある。

好きなことをしなさい!
何か自信となるものを与えたい。

これが、親の考えだった。

だから妹は、
自由に好きなことをしていた。
やりたいと言うものをすぐにやらせてもらえた。

絵を描きたい!
小学校3年の頃から教室に通っていた。

お芝居をしたい!
中学で劇団に入った。

私はそれがとても羨ましかった……

私は、やりたいことをさせて貰えなかった。
バレエをやりたい。ピアノをやりたい。
お金がかかるからダメ。
あなたの下に二人も妹がいるのよ。
お金がかかるのわかるでしょ!

体操をやりたい。芝居をやりたい。
わたしがお願いするものは、
いつだって、させてもらえなかった……

全て否定、却下。
あなたには勉強があるでしょ!
あの子には何もないのよ!
そんな風に言う親だった……

妹だけズルい!
なぜ、妹は自由で、
私には自由がないのか?
私もめげずに、何度も訴えた。
悔しい思いをしながら……

私にだって、私の感情も考えもある!
そこに気ずかず、尊重のない母……

手をギュッと握りつぶし、悔し涙を流した。
そんな私の姿を、妹は嘲笑う。

泣いてやんの〜
カッコ悪〜
ださ〜〜
ケタケタと笑う。

妹は私を馬鹿にすることを楽しんだ。
なんて性格の悪い嫌なやつなんだと、
何度も思った。

でも、性格が歪みすぎていて、
妹は本当にこのままで大丈夫なんだろうか?

幼心にそんな心配も持っていた……





3.思春期


どうせ〜!
どうせ私なんか〜!
私なんか、何やってもムダ!

小学生の時からの妹の口癖……


なんで、こんなに
捻くれてしまうのだろう?

なんで、こんなにも
投げやりになるのだろう?

なんで、嫌なことがあると
暴力的な振る舞いをするのだろう?


出来なさ
劣等感
諦め

どこでそれを感じてしまうのだろう?
妹は、一体何を苦しんでいるのだろう?

なんで、そんな考えになるのだろう?

母はなんで、妹を甘やかしてしまうのだろう?
父はなんで、妹ばかりを可愛がるのだろう?

なんで、自分ばかり厳しくされるのだろう?
なんでみんないろいろ考えられないのだろう?


そんなことを考えていた小学生時代だった。


妹は、小学校3年の時に
とても仲良しの友達ができた!

その友達は、今でも付き合いのある親友だ。
私も個人的に仲良くしている。
ほぼ家族といえるような友達だ!

この幼馴染の存在は、
妹の成長に幾度も支えとなっていた。

彼女と気持ちを共有していた時間が、
彼女の気持ちを緩めていったのだろう。

でも、外では控えめだが、
勉強ができない、自分はブス!
可愛くないと卑下をし、
コンプレックスの塊を持っていた。

中学に入ると同時に、
コンプレックスだったメガネを
コンタクトに変えた。

「私は変わりたい!」
「メガネは嫌だ!可愛くなりたい!」

それは妹の挑戦だった!

周りからの声は、
「コンタクトにしたんだ!いいじゃん」
「こっちの方がいいよ〜」
「え〜かわいい」

みんなから褒めてもらえ、認められ、
喜んでいたのを今でもよく覚えている。

中学では、モテ期到来。

以前よりも明るくなり、友達との交流も増えた。
気性の荒さは残っているけど、
自分の感情を出せるようになっていき、
家と外での差がほぼ無くなっていった。

学校での多少のいざこざやトラブルは、
よくある話で、友達に悩みを聞いてもらい、
乗り越えていっていた。

友達や仲間によって、いい関係の築きができていた。
自分に少し自信を持てた様子があった。

でも、学力は、劣等感が拭えない……
おまけにどこでも姉と比較される。

「あんたが優秀なおかげで、比較されっぱなし!」
「こっちは嫌な思いをさせられてるんだからね!」
(イライラをぶつけてくる)

気性の激しさや劣等感や、
捻くれた気質は、反抗的な素行へ移行した。

非行まではいかないけれど、
品行は……よろしくない……

私は、それを見て、
なんて賢くないのだろう?

そのようにしか
考えを導き出せないのか……

もったいないな〜〜
やれば出来そうなのに。

なんでやらないんだろ?
そんな風に感じていた。


中学の頃はとても反抗的だ。
思春期特有のものでもある。

ただ、私は先を見通せた。
自分の価値を下げることもしてこなかった。

妹は、先を考えることや想像することが苦手だ。
努力をすることも、苦しさだけがあり、
その先で得るものが想像できない。

「どうせやっても無駄!」
「面倒くさい!」
「私なんか、できっこない!」

やってもいないのに?
なんで決めつけちゃうのだろう?
なんですぐに諦めちゃうのだろう?
なんで自分に自信を無くしてしまうのだろう?

妹の不器用さ……

妹は、絵画教室に通っていて、
絵は上手な方だった。
本人も絵は好きで、
少しできると感じているけど、
自信にまでに至らない。

ずっと日記や詩やお話も書いている。
いろいろと湧き上がる感情を
文字にしているようだった。
妹だけの秘密の世界だ。

時々、気に入った作品を嬉しそうに、
私に見せてくれる時もあった。

絵だって、詩だって、
とっても上手じゃん!
得意なことあるじゃん!
そう言っても、

「ケッ!こんなのクズだよ!」
「ただの落書き〜」

なぜだか自分を認められない……
恥ずかしさやプライドが邪魔をする……
とっても可愛くない😓

「お姉はいいよね〜なんでもできてさ!」

嫌味臭〜く、言い放つ。

「お姉に、私の気持ちなんてわからないよ!」

ひがみをぶつけられる💧


私は、なんでもできるわけじゃない!
みんなよりもいろいろ考えているし、
努力だってしているんだよ!

わがままが通せて、自由が許されて、
私には、あなたにある環境が、
よっぽど羨ましい!

そう心で思っていた……


妹が受験の時も、なかなか受験に向かず、
妹の好きな美術なんかいいんじゃない?
妹のモチベーションを上げる。
妹も少し目を輝かせ、
その時は未来をイメージした。

大丈夫だよ!
勉強してなかっただけだから、
妹なら、学力もこのくらいなら上がるよ♪

付属で大学あるし、美術も好きだし。
ここなら目指せそうじゃん!
ここ考えてみてみたら?

すでに、そんな声かけを妹にしていた。
妹は、やる気になって頑張っていた。
前向きな妹の姿をみた時、
とても嬉しい気持ちになった。

自分を卑下してしまう妹。
すぐに未来の希望を捨ててしまう妹。
先の見通しを考えられない妹。
自信のない妹。
気性が激しい妹。

ちょっとのことでへそを曲げてしまう。
否定をせずに、いいところに目を向ける。

大丈夫だよと言っても、
「うっせーーー!」と
イライラをすぐにぶつける。

気持ちが鎮まってる時をみて、
大丈夫だよ、やってみよ〜
とまた声をかける。

妹は、むくれているけど、
少しだけ反省したような顔つきを見せた。
このような気遣いを昔からしていた。

イライラしていると、
物に当たったり、
紙やノートをビリビリに破いたり、
暴言を吐いたり、
突然、整理整頓をし始めたり、

母は母で、ヒステリーになって、
キーキー怒って、
妹の逆鱗に触れてしまって、

見て聞いてしているだけで
私はぐったりした…

妹は、受験を途中まで頑張っていたけど、
急に勉強をパタリとやめた。
何かがあった。

教えてはくれない。
志望校を諦めてしまった。

もうどこでもいいや〜
入れるところなら何でもいい〜

こんな感じになってしまった。
一体何が起きたのだろう……

そこには、投げやりな妹がいた。

勉強しないで
行けるところならどこでもいい。

そういって決めた高校は、
楽しそうに通っているように見えたけど、
心にあるのは、
行きたい学校なわけではない。
つまらない。
そんな気持ちだったのかもしれない……

度々、学校で悪いことをしていたようだ。
それが見つかり、
入学半年で退学になった。

まさか、退学にまでになるとは思っていなかった。
妹にとって、
とてもショッキングな出来事だった。

事の次第をやってしまった後から気づき、
ショックが大き過ぎて、
話も全くできず、
ひどく落ち込んだ。

厳格でとても厳しい父に、
どれだけ叱られるのだろうかと、
考えただけでも恐怖だったが、
父は、妹を見て、
叱ることをグッと堪えるようにしていたようだった。

ただ一言。

静かに穏やかに、

「ゆっくり休みなさい」

そう妹へ言葉をかけた。

父の精一杯の優しさだった。
父の背中は泣いているように見えた。

妹は、家族の有り難さを体で感じていた。
家族に感謝が溢れ、
猛省し心を入れ替えた。


穏やかな妹が現れた。





4.自立へ


人生の挫折を味わった妹。

同時に、家族に守られていることを痛感し、
涙しながら感謝の言葉を漏らす。

ショックから、
しばらく家でゆっくり過ごした。

自分には学力もなく、取り柄もない。
自分には何もない。

これから自分はどのように
生きていったらいいのだろう。

わからない。
どうしたらいいの?

泣きじゃくる
怒りだす
ひねくれる
見下す
強がる
恥じる
感謝する

いろいろな感情が入れ替わった。


私たち家族はただ、
妹の入れ替わる感情を
見守ることしかできない。

自分の内面にあるものが、
表に現れ、妹は自分自身と戦っていた。

その姿には慣れている。
刺激せず、そっとしておく。

ただ、本人が自由に解放している時間。
感情の渦にのまれている妹。

考え方はいつも極端だけど、

本人が考えることを
尊重していたように思う。


妹にはいつでも
自由があった

やりたいようにやっていい!

それがベースにあった!

大検を取ろうか、働こうか、
高校を出ていない自分は何ができるのか……

妹なりに、考えを深めていたと思う。

社会を知らず、考えも浅い。
自分の能力を受け入れている。

そんな妹はいつも、
私に相談をしてくる。

私は一緒になって考える。


自信をつけられたり、
社会を知ることができたり、
高校を出ていなくても、
いろいろなものを見る機会や
経験できる機会をあげたい。

人生を歩める術を見つけてほしい。

妹にそんな思いを抱いていた。


高校を出ていないというレッテルを
つけようとする妹に、
社会を見せることを考えた。

大学に連れて行き、潜り込ませ、
一緒に講義を聞かせてみた。
大学ってこういうところだよ!

ホテルでバイトした私は、
妹を同じバイトに誘った。
バイトから正社員にもなれるんだよ!
ちょっと高級なホテルの正社員なんて素敵じゃん♪

妹は私と一緒にバイトを始めた。
妹はバイトを継続して、契約社員になった。
頑張った!

それから、妹はパン屋でも働いた。
手に職をつけるような仕事へ興味を持ち、
歯医者で歯科助手の正社員もした。

学がなくても、
いつか大検して取ることもできる。
自分は仕事もできる。
職場ではたくさんの仲間との交流があって、
たくさんのいい出会いがあった。

妹の周りにも、たくさんの友達や仲間、
関わってくれる人たちがいて、
たくさんの理解してくれる人に囲まれていた。

自分を立たせていく方法を
自分なりに自分と向き合って考えていた。


妹は、自分を肯定することが苦手だった。
思考も二極化。
感情も激しい。

そんな妹に、
知恵や視野を広げることを手助けした。

やれることが増えると、
自分を肯定するものが作られる。


父は不在が多く、堅物。
母は世間知らずでヒステリー。

小さな頃から、
私は妹の不器用さを見てきているからなのか、
親目線のように、

妹を助けてあげたくて、
仕方がなかった……


友達はいるけれど、
友達の学生生活を感じることに、
複雑な気持ちがあるようだった頃、

私は妹を誘い、
学生がやるような同じことを
私と一緒に楽しんだ。

遊ぶ仲間の輪に参加させたり、
バイトをしたり。

洋服を買いに行ったり、
ライブに出かけたり、
ご飯を食べに行ったり。

学生が友達とやるように、
一緒によく遊びに出かけた。

妹も、私の気持ちをわかっていた。

お互いがお互いをよく理解していて、
わかってくれる存在だ。

姉妹仲良いね〜

いつも言われる言葉だ。


この後、父の蒸発があり、
家の中は大変なことになる。

妹も母も三女も私も
精神が不安定になる。

家の中はグチャグチャだった。

それでも、踏ん張って来れたのは、
妹たちがいてくれたからだ。

誰かが崩れつまずくたびに、
力を合わせて頑張ろう!

家族一丸となって、
協力してなんとかしていこう!

号泣しながら、私たち姉妹は、
円陣を何度も組んだ。


それから、母が統合失調症になった。
また新たな試練が降りかかった。

いろいろな過度なストレスを受けてきたからか、
わからないけれど、

30代後半の頃に、
自分たちの元々の弱いところが出てきた。

私は不安傾向。
妹は強迫観念傾向。

妹の強迫観念は
放射線や食材、汚染物質的なものへの敏感さ。

たまに行きすぎを感じたりもあったけど、
それでも、その妹の考えは、
妹の考えのものとして受け入れてあげる。

否定的な言葉はださない。
ほどほどにねとだけ伝える。

月日が過ぎると、考えも変わっていたりする。
ブームのようにその一時集中的であったりする。
だから、変に刺激をしないようにした。
妹の考えを尊重した(酷くならなければそれでいい)

ストレスがかかりすぎていた時は、
電車が乗れない時期もあったようだ。

それもほんのりと感じつつも、
気にかけながら、そっと見守る。
伝えたいことは最後に一言、
酷そうだったら病院も考えなねと伝えるだけ。

そうやって、
妹の特性とずっと私は向き合ってきている。


発達障害は確かに育てていくには、
とても大変さがあると思う。

でも、子育てというものは、
しやすいものではないものだと思う。

人を育てるというくらいなのだから、
大変であるのは当然なのだ。


そして、普通でいることを考えてしまうから、
困っているのではないのだろうか?


私が眺めてきた光景と自分の経験からは、
そう感じます。


出来事を受け止められるか?


それさえできれば、

その先の人生をいくらでも歩んでいけるように思う……





〜おわりに〜


私は、自分が生きてきた中で、
たくさんのことを学んできました。

発達障害に悩まれている方には、
気分を害される表現があったかも知れません。
もしそのように感じましたら大変申し訳ございません。


佐川奈津子さんのきょうだい児としての実体験をもとにかかれた絵本。
「おにいちゃんが病気になったその日から」

あとがきで紹介されている言葉の一つ一つが、
幼い小さな私に言葉をかけてくれているようで、
あの頃の自分の心に触れ、涙が溢れました。


お母さんだけでなく、子どもも大人も、
心が安定していることは、健康な心ということ。

心を健康にすることが、
誰にとっても良いものだと考えます。


人と人が関わるには、

“言葉“

が大切。


寄り添うためには、

“聞き上手になる“


それは、子育てだけでなく、
夫婦関係、人間関係でも、
多様性を理解するという上でも、
同じことなのではないでしょうか。


誰もが聞き上手なれたら、

この世の中は、

優しい世界になるのではないかと思う……








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