歌を読んで作品世界を想像するのが好きです。 歌と仏像とカレーが好きです。

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  • 仏像など

    私の好きな仏像やお寺、お経などについて思ったことを書いています。別の場所に既出の文章です。

  • 百人一首

    百人一首に入っている歌を一首ずつ読んでみています。別の場所に既出の文章です。

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    カレーについて考えています。 「Second Curry Life」(同人誌)に既出の文章です

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    別の場所に既出の文章です

  • 好きな歌

    読んでいて、いいなと思った歌について書いています。別の場所に既出の文章です。

最近の記事

秋篠寺の伎芸天

もう10年近く前の話になりますが、 初めて「秋篠寺」へ行った時のことを思い出したくなり、当時のメモを探してきました。 私は最愛の祖母を亡くしたことから、 仕事の合間を縫ってお寺巡りを始めました。 「信仰心」というものではなく、 ただ心に平穏が欲しかったからだと思います。 お寺は、誰も話しかけて来たりしませんし、 人も少ないですし、 長くぼんやりしていても大丈夫な公園のような場所なので好きです。 奈良に仏像がたくさんあることはなんとなく知っていましたが、 観光ガイドブックを

    • 心あてに折らばや折らむ初霜の置きまどはせる白菊の花

      凡河内躬恒 白菊の花をよめる 心あてに折らばや折らむ初霜の置きまどはせる白菊の花 (こころあてに おらばやおらん はつしもの おきまどわせる しらぎくのはな) 訳 やってみようか、できるだろうか。 分からない。 その辺り、折ってみようか適当に。 今朝は寒いから真っ白の霜が降りているようだ。薄暗くてよく見えないが、あれは霜なのか白菊なのか。 心あて…心に頼みとすること。当て推量。 折らばや折らむ…「折る」の未然形に接続助詞「ば」がついている時は、「もし〜ならば」と訳す

      • 山里は冬ぞ寂しさまさりける人目も草もかれぬと思へば

        源宗于朝臣 冬の歌とて詠める 山里は冬ぞ寂しさまさりける人目も草もかれぬと思へば (やまざとは ふゆぞさびしさ まさりける ひとめもくさも かれぬとおもえば) 都と違って山里では冬はいよいよ寂しさがつのることだよ。訪ねてきていた人の足も遠のき、周囲も冬枯れで寂しい景色が広がっていると思うと。 山里…山の中にある人里。 ぞ〜ける…「係結び」です。強意の係助詞「ぞ」の力が強いので、文末の形が変わります。「けり」は詠嘆。歌はここで一旦意味が切れているので、3句切れの歌です

        • このたびはぬさもとりあへず手向山もみぢの錦神のまにまに

          菅家(菅原道真) 朱雀院の奈良におはしましたりける時に手向山にてよみける このたびはぬさもとりあへず手向山もみぢの錦神のまにまに (このたびは ぬさもとりあえず たむけやま もみじのにしき かみのまにまに) 訳 宇多上皇が、奈良へいらっしゃった時に、手向山で読みました歌。 今回の旅は、幣も持ち合わせておりませんが、旅の安全をここに祈念しまして、幣の代わりにこの錦に色づいた紅葉を捧げます。どうぞとくとご覧になってくださいませ。お気に召していただけますように。旅の行く末

        秋篠寺の伎芸天

        • 心あてに折らばや折らむ初霜の置きまどはせる白菊の花

        • 山里は冬ぞ寂しさまさりける人目も草もかれぬと思へば

        • このたびはぬさもとりあへず手向山もみぢの錦神のまにまに

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          小倉山峰のもみぢ葉心あらばいまひとたびのみゆき待たなむ

          貞信公(藤原忠平) 亭子の院の大井川に御幸ありて、行幸もありぬべき所なりと仰せ給ふに、ことのよし奏せむと申して  小倉山峰のもみぢ葉心あらばいまひとたびのみゆき待たなむ (おぐらやま みねのもみじば こころあらば いまひとたびの みゆきまたなん) 訳 亭子院が大井川にいらっしゃって、天皇もぜひここへ来てこの景色を見てほしいと仰ったので、お出ましのご提案を天皇に申し上げようと思いまして詠みました歌 小倉山の峰に色づく紅葉よ 院のご感動を受け止めているならば、いま一度の帝

          小倉山峰のもみぢ葉心あらばいまひとたびのみゆき待たなむ

          カレーとコーヒー

          この文章は2016年の夏に書いたものです。  今、京都では、かなりハイペースでホテルとマンションが建っている。今朝、私の住んでいるところから眺めただけでも、2軒、マンションが完成間近である。この間も、知らないうちに新築マンションが建っていた。誰も住んでいなかった家を取り壊し、その跡地に建ったようである。古いままの家も「町家」として、価値が再生産され、お客様をお迎えしている。  目に見えて分かる。京都は変貌しているのである。そのうち街並みは一変するだろう。電灯のない場所もあれ

          カレーとコーヒー

          名にしおはば逢坂山のさねかづら人に知られでくるよしもがな

          三条右大臣(藤原定方) 女につかはしける 名にしおはば逢坂山のさねかづら人に知られでくるよしもがな (なにしおわばおうさかやまのさねかづらひとにしられでくるよしもがな) 訳 ある女に送った歌 誰にも見られずあなたの元へ行きあなたをこの胸に手繰り寄せる手立てを考え続けている。その名を持っているならば、逢坂山の実葛よ、分かっておくれ。実葛に託す私の想いを受け取っておくれ。必ず必ず会いに行くよ。 名に負ふ…名前を持っている し…強意の副助詞 逢坂山…歌枕。山城国(現在の京

          名にしおはば逢坂山のさねかづら人に知られでくるよしもがな

          吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風をあらしといふらむ

          文屋康秀 これさだのみこの家の哥合のうた 吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風をあらしといふらむ (これさだのみこのいえのうたあわせのうた ふくからに あきのくさきの しおるれば むべやまかぜを あらしというらん) 訳 秋だったんだよねえ。吹いたと思ったらすぐに、草木が枯れちゃったねえ。だもんで、うん、山と風を組みあわせて嵐と言うんだよねえ。山からの風で景色が一変しちゃったねえ。美しい庭の永遠を願っていたよ。 からに…とすぐに。…ために。…ばかりに。 むべ…なるほ

          吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風をあらしといふらむ

          月見ればちぢにものこそ悲しけれわが身一つの秋にはあらねど

          大江千里 月みればちぢにものこそ悲しけれわが身一つの秋にはあらねど (つきみればちぢにものこそかなしけれわがみひとつのあきにはあらねど) 訳 月を見ていると様々に思い乱れて物悲しい気分になり塞ぎ込む。 秋は私ひとりだけにあるわけでなく、悲しい気分になっている人も多いだろうが、この気分は分かち合うこともできない。 毎夜毎夜月を見て泣くぐらいしかできない。 みれば…見ると ちぢに…千々に。様々に。 ものこそかなしけれ…物悲しい。「こそ…已然形」で、強調表現。つまり、ものす

          月見ればちぢにものこそ悲しけれわが身一つの秋にはあらねど

          今来むといひしばかりに長月の有明の月を待ち出でつるかな

          素性法師 今来むといひしばかりに長月の有明の月を待ち出でつるかな (いまこんといいしばかりにながつきのありあけのつきをまちいでつるかな) 訳 これから行くねって言うから待ってたけど、全然来なかったね。もう9月なんだけど。9月も終わりよ。明け方にしらーっとして空に残ってる月ぐらいしか私を見てないわよ。しらーっとして。あなた騙されたのよって最近毎朝言われるのよ。月に。 来む…I'm coming 現代の日本語なら、「行くよ」 長月…9月 有明の月…16、17日ぐらいから月

          今来むといひしばかりに長月の有明の月を待ち出でつるかな

          かつては女生徒

           よる、カレー屋を見つけたときの気持ちは、面白い。かくれんぼのとき、押入れの真暗い中に、じっと、しゃがんで隠れているでこちゃんを、突然、がらっと襖をあけ、日の光がどっと来て、でこちゃんに、「見つけた!」と大声で言い、まぶしさ、それから、予期できない高揚感、あの感じ、いや、ちがう、あの感じでもない、なんだか、もっとたまらない。胸がどきどきして、スマホを取り出して看板を撮ったりして、ちょっと、てれくさく、入り口扉を開け、一歩を踏み出す。  夜は悪戯。  いけない、いけない。今

          かつては女生徒

          自由軒のライスカレー

          カレーの出てくる小説をひとつ紹介しようと思い、浮かんだのが織田作之助の『夫婦善哉』であった。  この小説は昭和15年、ということは、1940年、ということは今から82年前に雑誌に掲載され、その年のうちに単行本が刊行された。  ずいぶん前に発表された。  作者も今やほとんど忘れられている小説家なのかもしれないが、オダサクノスケ。「オダサク」と愛称で呼ぶ。学校で習う「文学史」では、「無頼派」「新戯作派」に分類されている。しかし、同じく「無頼派」「新戯作派」の代表選手、

          自由軒のライスカレー

          子ども達のことを思う歌

          子等を思ふ歌一首 序を并せたり 釋迦如來 金口に正に説きたまはく 等しく衆生を思ふこと 羅喉羅の如しとのたまへり。又説きたまはく 愛は子に過ぎたりといふこと無しとのたまへり。至極の大聖すらなほし子を愛(うつく)しぶる心あり。況むや世間の蒼生の  誰かは子を愛しびずあらめや。 訳 子ども達のことを思う歌一首(序にかえて)お釈迦様は、その尊い口でお話になりました。「この世の全ての人々のことを、私の子であるラーフラと同様に私は思っているのです」また、このようにお話になりました。「

          子ども達のことを思う歌

          鰻の歌

          嗤咲痩人歌二首 石麻呂にわれもの申す夏痩せによしといふものぞ鰻とり食せ 痩す痩すも生けらばあらむをはたやはた鰻を漁ると河に流るな (いわまろ/いしまろにわれものまをす なつやせに よしというものぞ むなぎとりめせ) (やすやすも いけらばあらむを はたやはた むなぎをとると かわにながるな) 訳 痩せている人をからかう歌 石麻呂様に私はひとつ、申し上げたいのだ。 あなたはガリガリでいらっしゃるから、夏痩せに良いとされているあれっ、うなぎを取ってきてお食べよ。 (…

          鰻の歌

          咖喱論

           半日のうちに気分は変わった。夏痩せに良しといふ物ぞ鰻漁り食せ(むなぎとりめせ)。はたやはた鰻を漁ると川に流るな。土用の丑の日は過ぎてしまったが、暑い夏は相変わらず続いていく。鰻なんて高すぎて買えないや。瓜食めば(はめば)子ども思ほゆ栗食めばまして偲はゆ(おもわゆ)いづくより来りしものそ目交(まかない)にもとなかりて安眠(やすい)しなさぬ。瓜を食むことも栗を食むこともほぼないが、季節ごとに美味しいものがあることは承知している。しかし一方で、季節関係なく食いたい物を食うことも可

          咖喱論

          風をだに恋ふるは羨し風をだに来むとし待たば何か嘆かむ

          風をだに恋ふるは羨し風をだに来むとし待たば何か嘆かむ (かぜをだに こうるはともし かぜをだに こんとしまたば なにかなげかん) 訳 風でさえ恋しく思えるのはうらやましい。せめて風だけでもここへ来てほしいと待っているなら、嘆くことなんてないと思う。 風を恋しく思うというのは、風に乗って好きな人の匂いが流れて来たりしたからでしょうかね。 「わ、あの人が来てるのかしら」などと華やぐ人。せめて好きな人のそばを通り抜けた風が吹いて来てくれることを願うその人。「あの人は来てくれ

          風をだに恋ふるは羨し風をだに来むとし待たば何か嘆かむ