今来むといひしばかりに長月の有明の月を待ち出でつるかな
素性法師
今来むといひしばかりに長月の有明の月を待ち出でつるかな
(いまこんといいしばかりにながつきのありあけのつきをまちいでつるかな)
訳 これから行くねって言うから待ってたけど、全然来なかったね。もう9月なんだけど。9月も終わりよ。明け方にしらーっとして空に残ってる月ぐらいしか私を見てないわよ。しらーっとして。あなた騙されたのよって最近毎朝言われるのよ。月に。
来む…I'm coming 現代の日本語なら、「行くよ」
長月…9月
有明の月…16、17日ぐらいから月の出が遅くなり、それとともに夜が明けても空に残ってしまっている月。満月を境に、月はどんどん欠けていく。
かな…詠嘆表現
一般的には、「軽い男の言葉を信じて、一晩待っていた女の子の歌」と解釈されているようなのですが、「月ごろ」(何ヶ月もという意味)待っていたっていうのも悪くないなと思いまして、こちらを採用いたしました。
素性法師(男性)が詠んだ歌のようですが、なんか軽い。
じとーっともしていないから、女の情念も感じない。
男にとってはいい思い出だったのかしら。たまに思い出してたりして。
※「月ごろ」説を唱えたのは、藤原定家さんです。
ただ、定家さんは、この待つ女を絶賛しておりまして、この歌を「心づくし」と。
あら、根本的に軽い男の、都合の良い女への願望だと私は解釈してますが^_^✌️
定家さんの説について、研究者の方のご論文を見つけたので読んでみたいと思います
素性法師(俗名 良岑玄利・よしみねのはるとし)
出典 百人一首21番歌、古今和歌集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?