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子ども達のことを思う歌

子等を思ふ歌一首 序を并せたり
釋迦如來 金口に正に説きたまはく 等しく衆生を思ふこと 羅喉羅の如しとのたまへり。又説きたまはく 愛は子に過ぎたりといふこと無しとのたまへり。至極の大聖すらなほし子を愛(うつく)しぶる心あり。況むや世間の蒼生の  誰かは子を愛しびずあらめや。

 子ども達のことを思う歌一首(序にかえて)お釈迦様は、その尊い口でお話になりました。「この世の全ての人々のことを、私の子であるラーフラと同様に私は思っているのです」また、このようにお話になりました。「子どもへの慈しみの心こそ最上のものです」
お釈迦様ですら、子を慈しみなさっている。ましてや、この世の人間たちで誰が子を慈しまない者があろうか、そんな人間は誰ひとりとしていないのである。

金口…こんく。尊い口、その口からこぼれる言葉
羅喉羅…ラーフラ、ラーゴラ。釈迦の実子。後に釈迦の弟子になる。
至極の大聖…しごくのだいしょう。釈迦のこと。
蒼生…あおひとくさ。人々のこと。

瓜食めば子ども思ほゆ栗食めばまして偲はゆいづくより来たりしものそ目交にもとなかかりて安眠しなさぬ
(反歌)
銀も金も玉も何せむに優れる宝子にしかめやも

(うりはめば こどもおもおゆ くりはめば ましてしぬわゆ いずくより きたりしものそ まなかいに もとなかかりて やすいしなさぬ)

(しろかねもくがねもたまも なにせんに すぐれるたから こにしかめやも)

 甘い瓜を食べると子ども達のことを思ってしまう。きっとあの子達もこの瓜を喜んで食べるだろう。甘い栗を食べるとまして子ども達のことが頭いっぱいに浮かぶ。食べさせてやりたい。子ども達はいったいどこからやってきて私の前に現れたのだろうか。目の前にしきりに思い出されて、ちっとも眠らせてくれないなあ。

銀も金も玉も、である。それらがどんなに貴重なものであろうとも、優れた宝ものは、子ども以上のものがあるのだろうか、私はないと思うのだ。

瓜…まくわうり
子ども…子ども達。「ども」は複数を表す接尾語。思ほゆ、偲はゆの「ゆ」…自発の助動詞。自然と〜される。
目交…目と目のあいだ。目の前。
もとな…わけもなく。しきりに。
安眠…ゆっくり寝ること。
し…強意の副助詞。
なす(寝す)…寝させる。「寝(ぬ)」の他動詞。ぬ…打消「ず」の連体形。連体形で止めることで余韻を残す。

何せむ…何をしようとも
しく…匹敵する。及ぶ。
め…推量の助動詞「む」已然形
やも…反語。係助詞

作者の山上憶良が仏典を読み間違っていようとも、また彼が仏教をどのように理解していたかがよく分からなくても、そんなことより何なのでしょうこの歌は。
山上憶良が子どもを愛していた、このことは事実に違いなく、小さな命を大切に思っていたことが重要だと私は思う。もはや眠れないほどに、子どもの幻影が眼前にちらつく経験が詠まれている。これはすごいことであり、親の愛情、人の愛情の深さを知ることのできる歌である。

山上憶良

万葉集

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