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このたびはぬさもとりあへず手向山もみぢの錦神のまにまに

菅家(菅原道真)

朱雀院の奈良におはしましたりける時に手向山にてよみける

このたびはぬさもとりあへず手向山もみぢの錦神のまにまに

(このたびは ぬさもとりあえず たむけやま もみじのにしき かみのまにまに)

 宇多上皇が、奈良へいらっしゃった時に、手向山で読みました歌。

今回の旅は、幣も持ち合わせておりませんが、旅の安全をここに祈念しまして、幣の代わりにこの錦に色づいた紅葉を捧げます。どうぞとくとご覧になってくださいませ。お気に召していただけますように。旅の行く末は神様の御心にお任せします。この天を埋め尽くすもみじ葉と、ハラハラと散りかかるそれをきっと気に入ってくださると信じております。

たび…度と旅の掛詞
ぬさ…幣。麻・木綿(ゆう)・紙などで作る(後には織った布や帛(はく)も用いた)。旅に出る時、それら種々の絹布、麻、あるいは紙を四角に細かく切ってぬさぶくろに入れたものを道祖神の神前でまき散らして、旅の無事を祈った。後世、紙を切って棒につけたものを用いるようになる。祈りのためのもの。色とりどりの細かなものを想像しています。
とりあふ…居合わせる。間に合わせる。
手向山…手向く(たむく。願い事をして、神仏に供物を供える)ための山で、各所にあったと思われる。ここでは道祖神に旅の無事を祈っている。所在地はよく分からないが、宮滝(奈良県吉野)御幸の際の歌なので、奈良と京都の間であろうか。「手向山」と「手向け」の掛詞。
紅葉の錦…錦のように美しい紅葉。紅葉の鮮やかな美しさを豪奢な錦にたとえる。
まにまに…〜に任せて。〜のままに。

作者の菅原道真は、宇多上皇に気に入られ出世しました。「幣もとりあへず」、ぬさも用意できなかった理由はよく分かりませんが(宇多上皇さん、気分屋だったのでしょうか。思い立ったら即実行!タイプなのかしら)、御幸にも同行しこのような美しい歌を詠みました。幣をとっさに千々に色づく紅葉へと詠み替える発想の転換には驚かされますね。
菅原道真は、宇多上皇譲位後の醍醐天皇の御代も活躍しましたが、その途中で左遷され、死後も怨念を恐れられ、北野天満宮で祀られた人物ですが、学問の神様でもあります。学者の家系であり、彼自身も優秀な学者で漢文学や和歌に精通していました。幣がないことを発想によって豊かにしてみせるこの歌を読んでも、彼が優れた頭脳の持ち主であったことがよく分かります。

菅家(かんけ、菅原道真)

百人一首24番歌・古今和歌集

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