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小倉山峰のもみぢ葉心あらばいまひとたびのみゆき待たなむ

貞信公(藤原忠平)

亭子の院の大井川に御幸ありて、行幸もありぬべき所なりと仰せ給ふに、ことのよし奏せむと申して 
小倉山峰のもみぢ葉心あらばいまひとたびのみゆき待たなむ

(おぐらやま みねのもみじば こころあらば いまひとたびの みゆきまたなん)

 亭子院が大井川にいらっしゃって、天皇もぜひここへ来てこの景色を見てほしいと仰ったので、お出ましのご提案を天皇に申し上げようと思いまして詠みました歌

小倉山の峰に色づく紅葉よ
院のご感動を受け止めているならば、いま一度の帝のお出ましを待っていてほしい

亭子院…宇多上皇の通称
御幸…上皇、法皇、女院の外出
行幸…天皇の外出。時の天皇は醍醐天皇
大井川…京都の桂川上流。今の嵐山の地域、渡月橋の辺りを想定すれば良いのだろうか。船遊びなど、していたようだ。風流。
奏す…天皇に申し上げる
小倉山…桂川(大井川)北岸の山。南岸の嵐山と相対する
峰…山の高い所、頂上
心…ここでは、ものの情趣を解する心。
待たなむ…動詞の未然形に付く「なむ」は、他者願望の終助詞。〜てほしい。

よほど紅葉が美しかったのだろう。この歌が奏上され、天皇が出かける頃の小倉山近辺は、一面紅葉だったことだろう。お見事。

藤原基経の子、時平・仲平・忠平で「三平」の3番目(四男)。兄時平は、右大臣菅原道真を排斥。次兄仲平は…伊勢との恋愛について少しここでも書きました(伊勢さんの魔性について、「難波潟短き葦のふしの間も…」の歌で勉強致しました)。忠平は、時平が夭逝した後に仲平を差し置いて藤氏長者となりました(仲平さんご存命中にも関わらず。仲平の心中いかばかり…)。
忠平は仕事のできる人だったようです。関白、太政大臣としてご活躍、死後正一位が追贈されました。貞信公は諡(おくりな)です。

貞信公(藤原忠平)

出典 拾遺和歌集、百人一首26番歌

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