見出し画像

山里は冬ぞ寂しさまさりける人目も草もかれぬと思へば

源宗于朝臣

冬の歌とて詠める

山里は冬ぞ寂しさまさりける人目も草もかれぬと思へば

(やまざとは ふゆぞさびしさ まさりける ひとめもくさも かれぬとおもえば)

都と違って山里では冬はいよいよ寂しさがつのることだよ。訪ねてきていた人の足も遠のき、周囲も冬枯れで寂しい景色が広がっていると思うと。

山里…山の中にある人里。
ぞ〜ける…「係結び」です。強意の係助詞「ぞ」の力が強いので、文末の形が変わります。「けり」は詠嘆。歌はここで一旦意味が切れているので、3句切れの歌です。寂しいな!って感じ。
人目…ここでは人の出入り、往来。
かれぬと…枯る(枯れる)と離[か]る(離れる)の掛詞です。「ぬ」は「と」の上にあるので終止形。つまり、完了の助動詞です。「かれない」ではなく、「かれた」です。「風たちぬ」が、風が起こった!であって、風が吹かない…ではないのと同じ。「ぬ」は打消の意味なのか、完了の意味なのかを前後の意味内容から推測しなければならずやっかい。
思へば…「思ふ」の已然形「思へ」に接続助詞「ば」。已然形につく「ば」には、おおきく3つの意味があり、①ので②と・ところ③といつもです。

藤原興風「秋来れば虫とともにぞなかれぬる 人も草葉もかれぬと思へば」の本歌取り。秋の歌で、人の訪問が遠のき草も枯れていくかと思うと、虫達の切ない鳴き声に涙がよよと流れる…と詠んでいます。これを本歌取りして、冬の歌に持ってきました!ひと足が遠のき、周囲が枯れ草だらけ…が現実。より一層、寂しさが増します。本歌取りが大変上手く成功しています。

作者の源宗于朝臣は、光孝天皇の孫ですね。源氏姓を賜って降下。古今和歌集等の勅撰集にも入集。寂しい歌の印象が強いので、不遇を嘆いていた人なのかも知れませんが、文学的には目覚ましいご活躍ぶりです。歌には意欲的に取り組んでいたのではないでしょうか。この歌もスマートに冬の寂静を詠み上げ、水墨画の世界のようですてきですね。三十六歌仙のうちの1人。

源宗于朝臣(みなもとのむねゆきあそん)

百人一首28番歌・古今和歌集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?